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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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写真の縦横比は3:2がしっくりくる

新しい歩道橋ができた
先日、あるフォトコンテストの審査をさせていただいた。

ここで感じたことは、写真の縦横比(アスペクト比)が応募者ごとにマチマチで、訴えてくるものが微妙に異なる。という点。
応募総数の約3割が画像データによるエントリーとなっており、PC画面内で評価をする作品もかなりの点数にのぼる。運営事務局からは事前に全作品を紙焼き出力しておくかどうか?の確認があったが、点数が多いためそこまで求めずに評価に臨んだ。
紙焼きと画面閲覧では公正評価の観点では問題があるのかもしれないが、これはこちらのアタマで変換できれば良いこと。として実施した。

結果、色の問題もあり思いのほかアピール度が異なるという現実に直面したが、それよりももっと大きな要素として、データ応募の作品の中でも「縦横比」が異なるものがあるために、訴求度合いが違ってくるように思えた。
多くのコンパクトデジカメは「4:3」の縦横比が多く、一眼レフの流れを汲むカメラは「3:2」である。荒っぽく言うと、過去から語られているように、縦横比の差が大きくなれば作品の緊張度合いが強くなる。
縦横比の違いだけで「3:2」のほうがその度合いが高くなるという訳だ。
PC画面サイズに合わせた「4:3」はよりスクエアに近く緊張度合いが下がるという理屈。

広大な空間を広角レンズで表現したいのであれば、やはり「3:2」でなくては魅力が半減する。被写体の奥行き感を表現しているのなら、これも縦構図の「2:3」でなくては、足切り感が否めない。
画面で閲覧する条件であっても、やはりここは「4:3」ではなく「3:2」の世界が必要だった。

写真作品としては、やはり従来からの3:2がしっくりくると感じる。
コンデジでもアスペクト比を変更できるものが多いと思う。その差をもっと意識しても良いのではないだろうか。
Instagramのようにスクエアな画像は、よほど構図に斬新さや訴求点が明確でないかぎり、見る者に訴えるものが低い。だから派手なエフェクトや強すぎるコントラストで加工しなければならないのではないか。とさえ感じてしまう。
批判をするつもりは全くないし、個々人で新しい楽しみ方をエンジョイすれば良いのだが、こうしたレガシーな部分の感性が麻痺して行くのは問題だ。

トリミングを否定しないけれど...

開演前に佇むティンパニー

昔は「トリミングはダメ」という人が多かった。
それは、撮影時に意図した構図を後から変えてしまう行為が良くないとされたため。

ところが、昨今のデジタルデータの時代になると画像処理という「後工程」が必要となってきた。
この単なるワークフローの変化だけだったはずのものが、構図に対する意識を大きく変えたように思う。
適当に撮って後から画像処理の段階でトリミングをする...。
というスタイルが(一部では)当たり前になった。

だから、今日は桜の写真を500枚も撮ってんでぇ、スゴイやろ!って人が出てくる。
でも、その500枚のうち「アピール度が高く説得力のある写真」は、もしかするとゼロかもしれない。
「後処理するんだから、撮影時はテキトーに撮ってればいいんだよね...。」
という発想が蔓延していないだろうか?

撮影時に伝えたいものは何なのかを考える。そのために必要な手段や設定を考える。
ここで一つの重要な要素に構図があるはずだ。
なのに、構図まで意識が及ばす、テキトーに撮って後からトリミング、と安易にやってしまうから500枚撮っても一枚も説得力ある写真は手に入らないことになる。

背景を意識し、四隅も見渡して、脇役にも思いをめぐらす...。
前後関係や、大きさの対比、色の配色、具合...等々、この一連の動作が構図を考える、という言葉に集約されている。

あとでトリミングしなくても良いように良く考えてから撮る。
このアクションが身につけば、僅か5枚だけしか撮らなくても1、2枚は説得力のある写真が残せるのではないだろうか。

数はある意味においてはパワーである。そして数多く撮ることは必要である。
が、無駄なショット数だけを誇っても意味がない。
PVだけ誇る中身のないBlogや、フォワー数と投稿数は多いが、読むだけ時間の無駄になるゴミしか蓄積されていないTwitterアカウントと似ている。

画角の感覚を身につけよう

APS-Cサイズで撮る画角を意識しよう:解禁日後のかにを撮る

かに解禁日を迎えて一週間。
初物をいただいた。

足が一本折れてしまったが、撮影操作そのものには影響はない。
今日のテーマは「画角」。

カメラ位置を基準として左右に広がる角度の大きさ(=画面に写る広さ:範囲)を示すので画面の角度という意味で使われる。

デジタル一眼レフが普及してくると、単焦点を入手される方も増えてくる。
教室でも、ボケや被写界深度の講義の後には、必ずと言ってよいほど単焦点を追加で入手されることが多い。
それは、美しい背景ボケを語るにはどうしても汎用ズームでは無理があるためだ。

ところが、入手し易い「50ミリf1.8」等の「50ミリレンズ」をAPS-Cサイズのカメラで使用すると、画角は75ミリだとか80ミリ相当になってしまう。
メーカーのカタログや取説にも焦点距離は1.5倍や1.6倍相当になる、と記載されている。

これはセンサーサイズが35mmフルサイズ(24x36mm)よりも小さいため、結果としてより長い焦点距離のレンズを付けたのと同じように「画角」が狭くなることによる。
「画角を体で覚える」という過去から重要視されてきたことが、間違った感覚で身に付いてしまうことになる。
50ミリレンズを付けているのに、実際は80ミリレンズの画角を見ているわけだ。

自動車運転免許を取るときに、時速40キロだとか50キロの感覚を身につける。と習った。終始速度計を見ていては、前方を見ることができず大変危険だからだ。

写真撮影では危険を伴うことは無いが、画角のイメージを自分なりに持つことはとても大切だ。
50ミリ単焦点が「標準レンズ」と呼ばれたのはもう過去のことで、既にその言葉を知らない方のほうが多い。
標準と呼ばれる理由は、広角的にも望遠的にも使え、絞りの特性を活かしながら、距離感を体で覚えることができるからに他ならない。

単に、絞りの値だけで背景ボケが決まるのではなく、被写体と背景の距離、被写体とカメラの距離によってその度合いが大きく違ってくる。
また、寄ることによる形状の強調感や、引く(離れる)ことによる望遠レンズ的圧縮感の感覚も体で覚えることができる。
その特性を学ぶのに最も適したレンズであったから「標準」と呼ばれた。

では、35ミリを付けていれば50ミリ(前後)になるので良いのか...?
確かに「見えている範囲という意味での画角」だけは近いものがある。
だがこれでは、35ミリの広角側のレンズ特性が大きく出てしまうため、印象はまったく別物になる。

今頃になって「感性を養う」現場で、APSセンサーサイズの弊害が出てきたのではないだろうか?
私自身もあまり意識をしていなかった。自分がAPS-Cサイズボディで撮影する場合には、フルサイズの画角の中央部分しか写っていない...という切り替えが無意識に行われていたのだと思う。

だが、初めて触れたデジタル一眼レフで、APS-Cサイズと50ミリレンズの組み合わせで単焦点の特性を学ぼうとしている方に、その深い部分の感覚を伝えようとすると「画角があまりにも狭い」ことに改めて気づいた。

5D mark2 85mm f1.8 ISO1250 絞り優先AE f1.8 -2/3EV
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