何が足りず何が多いのか

画像処理万能...。
全てを画像処理による後処理に頼る傾向がますます高まっているようだ。
画像データは、触れば触るほど収拾がつかなくなり、劣化の一途を辿る。
それは、処理を始める時点で方向性が見えていないことが大きな理由ではないだろうか。
「何が不足していて、何が余分なのか」という部分。
色調しかり。明るさしかり...。
なんとなく暗かったから明るくしてみた。
なんとなく色が違ったから触ってみた。
これを繰り返していては、バランスを崩すばかり。
小手先の改造を重ねて本来のバランスが崩壊してしまったクルマと似ている。
どこかを触ると、どこかが狂う。
結局、もう1台新車を購入するのと同じか、極端な場合にはそれ以上の費用をつぎ込むことになる。
写真はCO2も排出しないしNOxとも縁がない。
だが、撮影時点で解決できることも後処理に委ねすぎているので、撮影時の感性がドンドン鈍化する。
これを、機材に対してもやってしまう人が居る。
ストラップに凝ってみた...。程度ならまだやさしい。
そのうち異なるマウントを使うことに優越感を感じたり、ファームウェアに手を入れる禁断の果実を味わう...。
後から手を加えることばかりに注意が行ってしまっている。
それは悪いことだとは言わない。自己責任である限り他人には関係がない。
しかし、カメラは「写真を撮るためのツール」であるはず。どうも「写真そのもの」が何処かに消えうせているように感じる。
もっと表現や感性の世界を語る人が増えることを願いたい。
2010/03/11(Thu) 01:30:50 | Img Processing