
今日は「生後何日目?」になるのか。
そんな計算もwebで一発回答の時代。
なんと、わたしにとって今日は「21,916日め」となるようです。
今の時代、そして現在のわたしに「赤いちゃんちゃんこ」は無縁ではあります。
ですが、一生に一度くらいは、しっかりと振り返る日があってもよいのかもしれません。
これまでの年月を、さらっと脳内再生してみますと、いかに恵まれていたかという理解とともに、激しい強弱・山谷の波があったことが判ります。
全文約4,300文字程度になりますが、以下に続けます。
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誕生へその緒が首に巻き付いて窒息寸前だった誕生日。
予定よりほぼ一か月前に、鉗子(現在はリスクが高すぎて使われないはず)で引きずり出されて産声を上げました。
あと一週間後ならば、この世に生を受けていなかったと後に聞きました。
胎内にいる時点で階段から転落するといった経験をした母親の衝撃が、胎児であったわたしの首に絡まるといった原因になったのかもしれませんが、今となれば知る由もありません。
結局、現在でも首がズレているうえ、頭蓋骨や耳も変形したままの人生となっています。
図書室と音楽からパワーを得る幼稚園児時代その後、何度か触れていますように、母方の祖母に至れり尽くせりの世話を受け、このうえない愛情を注いでいただきながら幼稚園に入りました。
人生最初の目覚めは、ここで起きました。
登園後、まず図書室へ走り、その蔵書すべてを読破する(文字は満足に読めなかったので眺める。が正解でしょう。)という園児二名のうちの一人となりました。
本の見出しや表紙のデザイン・挿絵などから発する「作家が込めた目に見えない力」を受け取りながら、書物が発するエネルギーそのものを感じとることができた幼稚園児時代でした。
蔵書全書を読破したもう一名の女児がいましたが、彼女の周りにある繭のようなピンク色のオーラも、当たり前のものとして見えていた時代でした。
わたしの「第一の黄金時代」二年間。
カトリックの幼稚園でしたので、お祈りの時間がありましたが、別に何のありがたみも感じず、「自分の直感に響くもの」だけを信用して生きていた頃です。
父がコレクションしていたクラシックLPレコード数百枚を片っ端から自宅ステレオで再生し、幼稚園に入るまでの時点で、いわゆる世界中で語られるオケの有名曲は、ほぼすべて知っているという恐ろしい幼稚園児でもありました。
現在のわたしの仕事:クラシック演奏会専門、Video/Recordingの事業が成せるのは、物心つく以前から、それらの貴重で高価なレーベル盤を自由に触らせてくれた父親の教育の賜物です。
小学生:「よい子ちゃん」という失敗の道へ続き小学校に上がります。
ここで今度は、それまでとは真逆の「第一の大失敗時代」六年間を過ごしました。
「よい子ちゃん」でいることを選択した人生初の大失敗。
いまだからこそ語れる学びのための歴史でした。
試験はほぼ「満点以外に縁がない」…というと言葉にトゲが出るのでちょっと控えたいとは思いますが、まさにそんなこども時代。
親や先生に言われたことに忠実に従うことで、とにかく周囲からは「あたま撫で撫で」。ご近所の有力者からも「偉いね・凄いね」しか言われないので、それが正しいんだ。世の中ってそういうことなんだ。
と誤って理解してしまったのでした。
友人と遊ぶことも少なく、一人で小説や論説書物を読み漁ったのでした。
(現在の大人で、それらよい子ちゃんを地でやってらっしゃる方は、早く氣がつき目が覚めるといいですね。)
この弊害がどこにあるのかは、もうこの場でご縁のある皆さまには重ねて綴る必要はないと思っています。
この世の春:中学高校大学時代と現在の下地醸成この小学生の成績をもって、私立中学へ進学。
この卒業年度で私学へ行ったのは一人だけという年度でした。
ここで、晴れて汚名挽回。
人生「第二の黄金時代」中学・高校・大学の10年間が花開きます。
現在の事業に従事できるのも、この10年があってこそです。
写真撮影、それも天体写真。
長時間露光の工夫や冷却のための自作小物など、現在ならパーツや完成品が売られる時代ですが、40年以上前には何でも自分で作った頃です。
もちろん、暗室での自前の現像に没頭しました。
赤道儀自作(ここでは詳細は割愛)で地元新聞に取り上げられ文化祭で表彰を受け、心から喜び、心から友だちとシンクロできた学生時代。
並行して、自ら数多くの楽器演奏、演奏録音・記録にも。
学校行事でのBGM作成や、友人への録音技術(カセットテープの周波数特性やメーカーごとの特徴、EQ処理の基本やCompress/Dynamics)に、能書きを垂れた、いかにも偉そうな中高生時代でした。
オーディオ装置にも深く取り組み、その当時に商業施設で行われていた「長岡鉄男」氏制作のスピーカー(Back Load)実物が、現在もわたしの部屋に鎮座しています。
また、LPレコード収集(その大半は阪神淡路1.17で消滅)にも走り、食費を削って毎月レコード盤購入に投資していました。
レーベルごとの録音状態の特徴だとか、世界各国の指揮者・オケの演奏解釈に対し、音楽評論家顔負けの論説を「大学ノート12冊!」にギッシリと記したものがあったのですが、高校卒業時点で後輩に渡したのか、記憶から消滅しています。
ここで、少しだけ触れておく必要のある、避けて通れない事項があります。
それは、
わたしが15歳の時点で、父と母は別れたこと。
父とわたし、そして一昨年(2021年)に星に帰った妹との3人で暮らした学生時代の大半の裏側の世界があったこと。
負の感情に苛まれることも多かったものの、それに憑依されることなく、それを上回る大きな波に乗った10年間です。
大学では、楽器演奏に傾注します。
長くなるので触れませんが、さまざまな楽器の特性や音色・特徴が、肌感覚として刻まれていることで、現在の業務に活かされていると感じています。
当時の国鉄からJRへの変遷の時代背景もあり、鉄路での旅にも深く深く入ってゆきました。
時刻表は、どんな盲腸線であっても、ほぼ7秒で該当ページを開く。などというくだらない?特技があったり、地元私鉄の列車番号、全編成の車番を記憶しそれを友人に披露する、などという、まぁ今では呆れるようなことも。
思えば、
心身ともに、非常にキレる面を併せ持った(鋭いの意:怒りの感情のことではない)学生時代を過ごしました。
併せて、
他者のレポート作成など朝飯前。文字を書くこと、話すこと。まったく苦になるどころかご指名喜んで、そんな学生でした。
この点でも現在のスキルの下地が作られたことが判ります。
まさに、現在の礎が作られた13歳から22歳、この世の春でした。
就職と人生大失敗時代:病床で受けた啓示さて卒業、そして就職。
第二、第三、第四の「人生大失敗時代」となる、長く苦しく、そして物理的にも激しく痛みを伴う日々が続きます。
東証/大証1部上場企業への就職。
この世の春10年の状態から、この世の地獄へ真っ逆さまに転落しました。
それまでの体験・経験、すべて捨てろ。会社は組織。その歯車になること。
根こそぎ価値観の転換を求められ、ほぼ一年経つ頃には、亡くなった同期が現れたり、姿を消した仲間も何名か。
直感や勘といったものは、連日のアルコール漬けの肉体に宿り続けることは叶わず、ものの見事に消えてゆきました。
体重も、現在と比較して20kg以上多く重く、当時の姿を自分でさえも思い出すことが困難な状況です。
同時に、そうした外食と飲酒漬けが仕事の必須スキルである世界に住み続けることにより、元来、鉄の胃袋や鋼の大腸を備えていなかったわたしの体は、ある日、突然に音を上げました。
大腸下血。
穴が開く寸前でした。しかも数カ所。汚れ荒れたヒダにポリープも数多く…。
15年目に、単身生活という食生活での弊害がついに表出したのでした。
昼は神田の高架下弁当屋で「黒ずんだ油色の揚げ物」。
夜は松戸のスーパーで「半額値引きシールが貼られた出来合いの食材」。
これらを口にし、いつまでも健康体を維持し続ける強靭な肉体は、わたしには貸し出されていなかったのが、不幸中の幸いでした。
アキレス腱が「切れて衝撃を吸収する」と言われるように、
体を壊して、学びを得られたこと。これこそが幸運でした。
医師には、痛くなかったのか。普通もだえ苦しむ痛みに襲われるよ。と。
この時点で、お借りしている肉体を徹底的に痛めつける愚に目が覚めるべきだったにも関わらず、退職と転職。
そして再び転職を重ねます。
そのたびに、ここに何度か記したような生活が続きました。
朝の5時に帰宅して再出社。満足に食べ物も食べないので生きているのが不思議な日々を流しました。
ケイタイの電源が切れるのが、ただただ嬉しかった感覚。そして体のあらゆる部分が痛み、苦しみ、悲鳴を上げる感覚だけが記憶に残っています。
3社目では営業車業務だったため、居眠り運転・事故多発。山道で谷に転落寸前の体験が続きました。
最後の職で、ついに冷たい真っ白なシーツが敷かれた板の上に寝かされました。点滴という名の針を腕に刺され。
詳細は略しますが、3社の転職をもってしても、その愚に氣がつかず、最後の職において、激しい痛みとともに氣づくチャンスを与えられたのでした。
学びとは、自分で体験し味わうことでしか得られない。
その言葉を噛みしめて。
人生、42歳を迎えていました。
自分がブランドになると決める一週間、冷たい板の上で過ごす間に「天から降りてきた」のは、自分がブランドになるという決断をすることでした。
もう後には引けない。
もう体を痛めることはできない。
背水の陣。(本来の意味は、背後が池や海であることから、後方への注力が必要のない恵まれた戦地環境という意味もあるようです。)
企業に雇われる生活に別れを告げ、現在の業務を展開し始めますと、さまざまなご縁が生まれてきました。
もちろん、その時々の「自分の波長」にあったご縁で。です。
身の丈に応じたご縁。という言葉は、少々語弊がありますがお許しいただいて、その時々の自分に合うものがやってくるのです。
なるほど、これがエネルギーのシンクロだと。
そして現在。創業19年目。
多くの貴重なご縁と、さまざまな場を経験できること。
自分の道が「自分自身の心」によって創り出されていること。
ようやく、この意味が通じる方々が増えてきた感覚です。
本当にありがとうございます。
そして、本日「21,916日め」の記念日。
約4,300文字のお付き合いにも、重ねて御礼申し上げます。
これからさらに多くのシンクロ体験が起きる予感とともに。
ありがとうございます。
今日の記念すべき日に。
今世に。
この人生に。
2023年5月28日
十干十二支 還暦の好日に記す
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わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。