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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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確固たる信念と哲学があるか

photo AKIRA MIYAMOTO

本質を意識的にマスキングし、見えないフリをする癖が常態化していないだろうか。

一方向に進む流れの中で、一個体だけ止まってしまうと、相対的には後退となる。
と、数十年前の言葉を思い返す。

日々の業務に、確固たる信念と哲学があるだろうか。

瞬時に判るもの

「この人はできる人だな。」と感じる場合と、
「この人は甘いな。」と感じる場合と。
当然、自分自身も他者から見極められているわけで。

ただ、
昨今、何となく後者の割合が増えてきたような感覚。

ホワイトバランス(色温度)でお好みの色に---ラジオ番組に補足して

Shinjyuku EASTSIDE photo AKIRA MIYAMOTO

昨日(2018.05.17)の、FM aiai様の番組「宮本章光のビデオをポケットに」では、ホワイトバランスに関するお話しをさせていただきました。
基準の色に合わせてゆく...といった目的以外に、自分の好みの色に意図的に変化させるといった手段にも使えますので、これを表現手法のひとつとして楽しみませんか。といった主旨でした。

お一人、ご質問をいただきましたので、回答済みの内容を含めナレッジデータベース的な事項をこちらに記載しておきます。

-----[ご質問内容]-----

暖かく黄色っぽい色温度は「低い数値(K:ケルビン)」で示され、
寒く青白い色温度は「高い数値(K:ケルビン)」で示すことができる。
といった、色温度に関する事項はご存じである方。

例えとして、

電球などの暖かい色 [2,700〜3,200Kあたり]
日陰の窓際や曇り空の青白い色 [7,000〜7,500kあたり]
で示される色温度を持っている。(実際にはもっと数値の振れ幅はあると思われるが、代表的な条件として。)

だが、自分で意図的に色を変えたい場合、

「暖かい色にしたい」場合は、7,000だとか8,000Kにする。
「寒い色にしたい」場合は、3,000Kあたりにする。
と、私が放送時に話している。

これは反対ではないのか?間違いではないのか?
といったご質問。


はい、これは間違いではありません。
その光源の色温度とは反対の方向に調整しなくては、目的とする色になりません。

●「暖かい色にしたい場合は、7,000だとか8,000Kにする。」
その理由は、7,000だとか8,000Kの光源の示す色は「青白い」のです。
その「青白さ」を打ち消すために、カメラ(写真もビデオも)は「黄色い暖かい」方向へ調整されるわけです。

同じく、
●「寒い色にしたい場合は、3,000Kあたりにする。」
その理由は、3,000K前後の光源の示す色は「黄色く暖かい」のです。
その「黄色く暖かい」色を打ち消すために「青白く寒い」方向へ調整される。といった仕組みを持っているためなのです。


なかなか慣れるまでは難しいかもしれません。
写真のカメラだと、多くの機種で「色温度によるホワイトバランス調整」ができるはずですので、背面モニターに表示させながら(ライブビュー撮影)、数値(K)を変化させてみると差が一目瞭然だと思います。

お仕着せのフィルターを選ぶのではなく、このように自分で考えながら、そして感じながら調整する部分にも楽しみはあります。

[サンプル写真]
shinjuku-eastside-square。
ホワイトバランスを3,000Kの方向へズラすことで、寒く青白い印象に。

HDR撮影したものは、後から大きく触るとあちらこちらにバンディングが出て綻ぶが、それはこの話題とは別なのでここでは不問と。

銀座・伊東屋Facebookページ閉鎖の発表

「Facebookにまだ投稿を続けるのは?」(2018.03.29記事: Link)で、企業のオフィシャルFacebookページが継続して運用されている点に違和感を感じたことを書いた。

今般、銀座・伊東屋さんが、5月16日(水)をもって同ページを閉鎖する、と発表された。
約5万人にも及ぶファンを抱えるページを閉鎖するに際し、ソーシャルメディア担当者の気持ちを想像すると、相当な痛みを伴うものと思われる。
だが、こうした日が来ることは予想されたことであり、現実問題として正しい判断であったと証明される日が近いであろうことも想像に難くない。

創業1904(明治37)年と公式に記載があるように、永きに渡って経営を支えてきた「らしさ」や「イズム」といったものが確実に継承されていることが伝わってくる。
近場を通った折に、ふらっと店舗に入ってみると、どこか懐かしさを感じる独特の空間がそこにある。
文具・ステイショナリーマニアの方にはお馴染みだろう。
しばらく覗いたことがなかったが、機会があればまた立ち寄ってみたいと思う。

いまだに、当社公式Facebookへいいね!をお願いします。だとか目立つところに貼ってある企業サイトをみると、大きな恥ずかしさが込み上げてくる。

体験を買っていただく時代

これからは、ますます体験を共有する時代になるだろう。

どこへ行った、何を食べた...。
そんな情報をSNSに垂れ流し、いいね!を交換し合う、などという、うわべだけの体験の共有ではなく。

心の通った人と人との接点の中で体験が共有される。
その体験自体を買っていただく時代。その橋渡しに商品や役務提供が存在する。
その満足度の高さと、橋渡し商品・役務の価値の高さが価格を決める。

この奥深さを理解できる人がどれほどいるだろう。

何でもタダ。利益は広告で捻り出す。
もうそのビジネスモデルが万能ではないことに気づいても良い頃だ。

人の体には、そして、人のココロには温かい血が流れていることを忘れてはならない。
「魂」までタダでAIにくれてやる必要はない。

誠意を感じることができる人

photo AKIRA MIYAMOTO

こちらの誠意を感じることができる人。
こちらの誠意を感じることができない人。

一文字だけの違いで、結果は正反対になる。

まだまだ捨てたもんじゃない、日本人の心は継承されている。のか、
はたまた、
人のココロを読むなんて無意味。数値計測できない不合理に付き合うことに意味があるのか。
とでも言うのか。

意味があるか、意味がないか。
それは、時間が経ってから、そして人生の刻を重ねてから判ることもある。

「リーズナブルなのに高品質」の行く末?

MVNOサービスのmineo界隈がこのところ騒がしい様子。

通信データの中身を不可逆圧縮し、データ輻輳の原因となる容量圧迫を軽減する「通信の最適化」稼働とのことで、ネガティブな空気が充満しているようだ。

---約款に定義されてるとはいえ、今までは実施されていなかった
---自分でOFFできない
---事前の案内はなく、ユーザーの指摘で判明した

といった、一方的なやり方がどうなのか?という声も多い。
ま、このあたりは、誠意を欠いた部分があるように感じるものの、企業の資本系列を見れば判る話かもしれない。

私は、mineoのサービスを2014年に利用していたが、当時のiOS8アップデート絡みで高い授業料となった違約金を支払って逃げ出した。
その後、MVNO数社を試行錯誤したが、自分が必要とするパフォーマンスを得ることはできず、結局は「安かろう悪かろう」のイメージを超えることがないMVNOの利用をやめキャリアに戻った。

今、考えたいこと。
それは「リーズナブルなのに高品質」といった、日本のお家芸的な物事の展開について。

良いものを安く提供するのは大変良いこと...といったイメージがある。
もちろん、技術革新に伴ってクオリティが上がり、コストは下がる。その展開自体は望ましいことであり、ユーザー・消費者側でそのメリットを享受できるのはありがたい。

だが、ここで考えなくてはならないのは「その結果を得るためにはコストがかかっている」ということ。
その技術革新には莫大な開発費用が投入されたかもしれない。
その技術革新に投資された費用はどのように回収されているだろうか。

昭和の高度成長期には、コストが下がった分に比例し生産量が増え、同時に消費量が右肩上がりでついてきたことで歯車が回転したのではなかったか?

今、右肩上がりの消費が望めない状況下、提供・販売価格だけを提供者自らが下げ続けるのが美徳。といった感覚になってはいないだろうか。
また、数字を取り繕うために偽装や改ざんが正当化されるかのような風潮が蔓延していないだろうか。

ここで気づくべきは、
価格には理由がある。ということではないのか。

なんでも無料、無料、タダ、タダ...というキャッチコピーは、広告を絡めたwebサービスにおいては有効(だった)だろう。だが、何でも広告ビジネスモデルに当てはめるのは無理がある。
安いものには安いなりの理由があり、高いものには高いなりの理由が存在している。

当然、相場を外れた価格を見極める眼識を養う必要はあるが、「リーズナブルなのに高品質」という展開は、平成の終焉とともに、私たち自らの感覚の中からもフェードアウトする必要があるかもしれない。

少なくともワールドワイド視点では、価格を低く提供することこそが美徳...的な感覚は少数派ではないだろうか。

Facebookアカウントは削除済み

[定期告知]

最近、立て続けに複数名の方からご連絡をいただくので、再度ご案内。
「Facebookアカウントは既に削除済み」です。

ログインすらしなくなってから丸4年以上経過し、連絡手段としてメッセージ機能は残して欲しい。と仰る方もあったが、こちらも利用がなくなり丸3年以上経過した。

そして、昨今の社会問題化。
これ以上残しておく意味はなくリスクが増えるだけなので削除させていただいた。

webでの接点はここ[ URL Link:And EM OfficialBlog ]の記事をはじめ、[ Link:令和のデジタルイメージング通信 ]もある。
当然、OfficialのEメールは出先でも読み書き可能だし、電話番号も3回線とも生きている。

あと、月に2回は、FM放送でも番組を通しお目(お耳)にかかっているので、私との連絡手段は他にいくらでもあるかと。

いや...、やめたんですね?といった言葉に包み、コミュニケーションをはかる目的でご連絡いただいたのだと理解しています。
久々のご連絡に感謝申し上げます。皆様ありがとうございました。

主業務はクラシック演奏会専門映像記録制作

当方、主業務は【Link:オーケストラ演奏会専門のビデオ記録制作】。

先般、ある方から「驚いた」とのお言葉。
以前にも、何名か同じリアクションの方とお会いしたことがある。

それは、過去からずっとこのBlogをご覧いただいており、ラジオ番組も聴いていただいている様子。
これらの露出接点から判断するに、私は写真だけを撮る人だと思っていた。と仰る。
確かに、事業スタート時点ではスチルのみで始めた。だが、現在は主軸を映像へ移行し久しい。

webでは、演奏会ビデオ専業制作者(社)として、オーケストラビデオ撮影...等々の検索結果にAnd EM アンド・エムが出てくることをご存じでありながら、私とこの会社(者)二つの要素が同一であることを認識していなかった。とのこと。
「同じ人だったんですか!」と。

こちら発信側が考えているほど、受け手側は情報を取り込んでいないし判断していただけないものだと、あらためて認識。

今、ご覧いただいているBlog同じ枠の上部メニューにある「ビデオ」「出張講演」...など、すべて同じサイト上で見えている(=私の事業)にも関わらず、一回もクリック・タップしたことはない、とのことだった。

確かに逆の立場なら、Blogの更新だけを見て、こと細かにサイトの隅々まで回ることはしないかもしれない。
そんなものなんだな、と。
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