本年もご来場ありがとうございました

今年度も無事に終了することができました。
ご来場いただきました皆様、猛暑の中お越しいただきありがとうございました。
イベントへの来場の方々は、今年は例年に増して多かったように感じました。
合同開催・系列他ホテル様での開催を含めますと通算12回目となる展示ですが、歳を重ねるごとに、会場においてお会いできることも一つの大きな目的になってきています。
今回も遠方よりお越しの方、ご多忙なお仕事の中休暇をとって来場いただいた方、小さかった子供さんがどんどん大きくなってゆく姿...など年に一度だけお会いできる多くの方との再会に大きな意義を感じました。
毎回のことながら、一度に集中するため満足にお話しができなかった方々には大変失礼いたしました。数多くのご来場に感謝しています。
ありがとうございました。
今年も再会を楽しみに

【電車とバスの夏祭り2012】宝塚ホテル様の会場にて毎年継続開催させていただいております、阪急・阪神電車写真展。今年も会場内壁面にて展示を行います。
(写真は駅貼りポスターより)
ポスター記載のポイント解説は行いません。昨年の原稿が残っていたのでしょうか。
雪の日の撮影写真を集めたアルバムは昨年に引き続きお申し込みを受付けます。
展示写真に新作はありません。が、もう何年も前に走っていた当時の姿を伝える一枚に想いを馳せていただければ幸いです。
そしてここ数年、特にその傾向が強いのですが、年に一度だけお会いする方とのご挨拶の場としても意義があるように感じています。
ご来場お待ちしています。
おかしなこととは接点を持たない
ホンモノを見分ける力を持ちたい[ Link ]という記事を先般書いた。
しかし、ホンモノを見分けられない人(や権力)が既に蔓延している場合には、いくら正論を並べたところで勝ち目がないのかもしれない。
「木を見て森を見ず」で、些細なあるいは僅少であり、大勢に影響がないことであっても、権力にモノを言わせて正論を通そうとはしない。
そんなサービスや業者(あるいは権力)とは付き合わないことだ。
なまじ文句を言いながらでも利用しつづけるから生きながらえる。
おかしなことが多すぎる。
と文句を並べる前に、おかしなこととは接点を持たないことがスタートではないか。
おかしくない正しいこと、をもっと伸ばして行こうではないか。
個別レッスンにて、生徒さん所有のマクロレンズ。
いい道具をお持ちで、向上心も高い。
こうした方々との接点こそ大切にしたい。
ホンモノを見分ける力を持ちたい

間違ってはいけない。
ホンモノを見分ける力。今こそ必要だと思う。
いつから客観評価よりも主観的観点が世の中を席巻するようになってきたのだろうか。
「自分が良いのだからそれは正しい」という判断。
個人レベルにとどまるなら何でも結構。
自分が良いと思ったのなら、自分自身の範囲である限りそれはご自由にどうぞ。
といった世界。
だが、自分自身に優劣や善し悪しの判断基準を持たない人たちが増えるに従い、こうした人たちが「最初に良いと発言した人の意見」に無条件に賛同するようになる。
初めに正しい、と発した発言や言動が「実際には間違いであっても」それが規範になってしまう。
旗ふりをしたがる人たち、何かをリードしたがる人たちは、得てして「間違った」内容を「客観評価せず」に、自分が言うのだから正しい。という。
流されてはいけない。
ホンモノを見分ける力と、客観評価を下せる力。
写真の世界も一緒。スマホのカメラで業務用大判機器のアウトプットと同じものが撮れるわけがない。
何でも心が大切なことは事実だ。だが、心を込めているだけでは結果は出ない。
極端な発言には、どことなく危険な宗教的空気が漂う。
飛ばす...と単純に言いますが

よく、あまり目立ってはいけない部分を「飛ばして」ということがある。
それは、該当部分を白飛びさせて「何も見えないように」してしまうことを指していることが多い。
データから見れば、飛んだ部分はデジタル画像としての「情報が皆無な状態」であり、印刷をするならその部分は「インキが乗らず紙の白がそのまま出ている状態」となる。
ここで知っておきたいことは、撮影時点で強いコントラスト設定を行い「飛ばして」しまうと、撮影データが作られた時点で既に一部の情報が存在しないものになっている。ということ。
デジタルの世界では、データが存在していないものは、あとから絶対に作り出せない。
もちろん、画像処理段階でデータ補完という手段が当たり前になってはいるが、厳しい言い方をすれば「存在していないものを周囲のデータから予想してアプリケーションが勝手に作った偽物」ということである。
存在しているデータを元に、ハイコントラストに加工し「飛ばす」のは自由だが、最初から意図的にデータを少なくしてしまうのはあまり望ましくないはずだ。
だから、「濃い味」である高すぎるコントラスト全盛の現在の潮流は危ない。
撮影時点では可能な限りデータを残すように心がけたいものである。
大切なのは次に活かすこと

考え過ぎは逆効果かもしれません。
非常に熱心で高い向上意欲をキープなさっている方が多いカルチャーのクラス。
考えることが多くて撮れない時がある。との声も。
なかなか難しいところでしょうか。
ある程度のレベルに到達すると、表現のための操作に思考を巡らせるため、このようなハードルに遭遇するのかもしれません。
あまり難しく考えず気楽にやってください。
デジタル全盛の現在、撮影後すぐに画像が確認できるので、撮影後に良くないところを直せばよいかと思います。