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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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スマホカメラから感じる「もう目の前」にある近未来

photo AKIRA MIYAMOTO 宮本章光

FMラジオ番組でのお話しでは、スマホカメラで充分楽しめますね。といった話題に終始していた。
さまざまなリスナーさんがいらっしゃるわけで、一眼レフの濃い・深い部分を事細かにお話しすることはない、との認識があり、ユーザー層を限定しない内容に徹していた(徹しきれなかった部分もあるかと思うが、それは例外として)。

だが、スマホに搭載されるカメラが高性能・高機能化するとともに時代は変化した。
そして、
写真画像を記録するための道具の範疇を超え始めた。

夜景の絵作りや、逆光条件下でのアウトプットなど最たるもので、過去のフィルム時代から蓄積されてきた「写真はこういうイメージなんだよね」という結果を根本から覆してしまった。

実際には、AIパワーによる高度な処理がシャッタータップからデータ記録までの短時間に、あるいは、シャッタータップ前のフレーミングの時間にさえも行われ、肉眼で見たようなイメージだとか、より望ましいと考えられる結果に調整・処理がなされる時代が訪れた。


これからの時代は、例えば、

1.交換レンズ不要

広角で撮ったものをトリム・画素補完して望遠画角にするなどお手のものだろう。
デフォルメされた「被写体の形状」までも補正されるように(すでにある程度実現している)なるはず。
よって、とにかく被写体に向けてカメラを構える、といったアクションだけであとはAI任せ。

2.シャッター不要

上記のように被写体と思われる方向にスマホを向けるだけで、動画として記録し続けるので、その中から
望ましいと思われる部分を静止画として切り抜いて自動的に保存する。

スマホ所有者のアーカイブから、その人の好みに合わせたイメージを自動的に作ってくれる。
といったような感覚だろう。


これらの機能、一部はもうすでに実現しているし、数年待たずとも実現するに違いない。
その状況をみて、
「あぁ、これはもうカメラじゃない。」と嘆くか、
「写真は終わった」と叫ぶか、

あるいは、
「あらたな世代の幕開け」を賞賛し、その上に自分らしさを載せてゆくのか。


興味深いのは、
政府が推し進めるキャッシュレス化の動きを批判する声とオーバーラップして見えることである。

お金がデータになってしまうと、金銭感覚が麻痺する。
財布に実物がないので使いすぎる。
災害が多い国で、電源がなくなるとどうするんだ!  と、叫ぶひとたち。


金銭感覚が麻痺するというのは、自分の管理能力のなさを露呈しているだけで、乗り越えるための手段はクラウド会計連携などいくらでもある。また、災害対策は技術革新とその取り組みによって乗り越えてゆくべき課題であろう。

否定から入ってしまうと、そこで進歩・進化は停止する。
停止した段階で、周囲(諸外国)との相対評価では「退化」となってしまう。
鎖国状態ではないのだから、ガラパゴス万歳論もあり得ないだろう。


令和を、平成に重ねてさらに悪化・低下の世の中にするのか、
あるいは、V字回復に向けて進めるのか。

一人ひとりの意識改革から始める必要がある。


スマホがある程度まで作り出してくれる絵に、自分が望む処理を加えるところに楽しみがあるはずだし、思考停止して撮影したデータであっても、後のプロセスを楽しみとして「自分の脳」を働かせるなら、そこに人間としての悦びがあるのではないだろうか。

【pringコミュニケーション進行中】
pring ID=amco99


大きな写真になりましたね、と。

すみだ水族館 photo=宮本章光
随分とご無沙汰していたある方からメールをいただいた。
Blogの写真、かなり大きくなりましたね。と。

割と前からサイズ変更していたので、久々にご訪問いただけたのだと思う。
こちらは、更新に関しては不定期かつインターバルが長い...と、ご覧いただく方にはフレンドリーではないのでお恥ずかしいばかり。

当Blogで掲載の写真は、大半がiPhoneでの撮影であり、一眼レフを持ち出す機会は業務案件を除いて皆無になった。コンデジも皆無。
だが、この程度のサイズでも解像度の点ではまったく問題はないし目的が果たせる。
クオリティの面では若干の不安も残るが、業務案件ではないのでこちらも目的は果たせる。

令和を目前にした今となっても、まだスマホの画素数...だとかを語る人たち。たまに見かける。
いや、確かに高画素であるならトリミング耐性も上がるかもしれないけれど...。

高画素が必要なら一眼レフ、あるいは本当に必要なら中判業務用デジタルバック(Digitalback )に行けばよいわけで、すべてに対して最高の品質と最高の画素数とをスマホに求める必要はないはず。

道具を選ぶところに楽しさはあるし、そうしたスキルも作品創造の一つの要素ではないかと思う。

どこへ向かうのか?スマホカメラ

浅草松屋 photo 宮本章光

観光客に紛れて、片手でラフに構え、そのままシャッタータップ。
ブレは無いし、見た目にインパクトのある色再現、それに階調も街角スナップには文句なし。

スマートフォンカメラは、もう「カメラ」という道具の域を超えてしまったように感じる。
スマホカメラは、この先どこに向かって進化を続けるのだろうか。

スマホカメラと一眼レフの間の大きな壁

そりゃカメラそのものが違うんだから、壁があって当然でしょ。
というハード的な観点ではなく、機器として「それぞれの種類のカメラを使う人の間」に大きな壁がありますよね。というお話。

スマホカメラネイティブとでも言えば良いのか、物心ついた時からスマホが身近にあり写真や動画を撮るのも生活の一部になっている世代や、世代が違っても写真や動画はスマホでしか接点がない。という人たち。

こうした人たちにとってみると、極論すればカメラはスマホ以外にないので、すべてスマホ上でできることしか行わないし、それ以上の「カメラを使うために生じる面倒なこと」はしないように感じる。
他方、
一眼レフのように、道具を使うといった撮影アクションそのものを楽しむことを知っている人たちも存在する。


昨今、スマホカメラのアピールポイントとして目立つようになった「ボケ」。
被写界深度の浅い、背景(もしくは前ボケもあり)を柔らかく溶かしたかのようなボケ味が、スマホカメラでも加工技術の進歩によって楽しめるようになってきた。

このボケ味を楽しむためのアプローチ方法を見ると、上記二つの層に別れる人たちそれぞれの間において、まったく異なる傾向があることに気づく。

前者では、ポートレートモードで撮るんでしょ?他にはどんなアプリがあるの?といった部分が全てだろうか。
カメラやレンズの原理はまったく必要なく、どれだけ自分にフィットするアプリが見つけられるか?に最大のパワーと時間を注ぐ。
後者では、より美しいボケ味を得るためにはどのようなレンズが良いのか、焦点距離はどうか、絞りの値はどうすれば自分にフィットする結果が得られるか?
といった部分に意識が注がれる。

カメラ講座やセミナー・写真技術講習、といった接点で多くの方々とお会いする中で、こうしたターゲティングを見誤ると、この人たちは何を求めていらっしゃるのか?といった部分に齟齬が生じる。
また、それぞれの層の方は、他の層の手法に一切関心を示さない。あるいはむしろ排除しようとさえしているケースも多いように感じる。

スマホベースの方にとっては、絞り?はぁ?何それ。めんどくせぇ。ということになるし、
一眼レフベースの方にとっては、アプリ?えっ、めんどくせぇ。という感じに近い。

はてさて、この大きな壁をどのように料理すれば良いのか。
どちらも楽しみは大きいし、それぞれを理解している立場としては、相互乗り入れを実現するために心を開いていただく点に注力することになる。

結局、ボケりゃいいんでしょ?ってことになるのだろうか。
アプリもポートレートモードも使わなくても、条件・シチュエーションによってはこの程度のボケは簡単に手に入る。
だが、時代はもっと大きなボケがトレンドなのかもしれない。

銀座和光を背景に

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