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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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そこにスプーンは無い

雄大な紅葉を見上げる photo 宮本章光

見上げてみれば。
そこに雄大な紅葉の世界があり、そのパワーを感じたからこそのこの一枚。
見上げなければ。
そこに存在するエネルギーを感じ取ることはできず、この一枚は残せなかったかもしれません。

スマホ画面ばかりを見ていたのなら、恐らくこの絵は手に入らなかったことでしょう。
それに、
紅葉の絵を撮ってやろう!などと考えていても、この絵は手に入らなかったに違いないでしょう。

単に、そこにある木々のエネルギーにシンクロしよう、と意識した直後に、見上げて撮る。
そしてこのデータが残りました。


考えている通りのことが起きます。
意識が目の前の現実を創り出す。とはこのことです。

今年2021年の冬至までカウントダウンレベルの時期になりました。
2012年に失望し、2020年にエネルギーを取り損ね、そしてこの2021年。そんな方々が多いかもしれません。

力み(りきみ)すぎない。これが秘訣かもしれません。
心地よさとは、歯を食いしばるような環境では生まれないのではないでしょうか。

映画Matrixのワンシーンで、スプーンを自在に曲げる子供の印象的なセリフ。
-----「スプーンはないんだ。曲がるのはスプーンじゃなく自分自身だよ。」


併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

決定的な差異:〇〇につける薬なし

米粉でパンを焼く photo 宮本章光

少し言葉がきつくなるため伏せ字として続けます。
そのような言葉でネガティブ方向に落ち込むのはこの投稿の目的ではありませんので。

〇〇につける薬はない
XXにつける薬なし

確か、いろはかるたにも登場していたように思います。関西限定かどうかは不明ですが詳細はお調べください。
この言葉が語る意味、その裏側には、

「どうしようもなく理解が及ばない人であっても、心を入れ替えて精進すれば必ず良くなりますよ。頑張りましょう。お互いに仲良くしましょう。」
といった意味合いが込められているように思うのです。
だからこそ、いろはかるたにも取り上げられていたのでしょう。
これは、大和魂(やまとたましい)に繋がる、大変貴重な含蓄であったと。

現在の世の中を見渡してみますと、
分断したまま、双方を貶し蔑む。いや自分も含めそうした負のスパイラルにすぐに落ち込んでしまいます。
ですが、
その状態に波長が合ってしまうと「心地よさ」とは程遠いよくない感覚が襲ってきますので、その状態を「客観的に」俯瞰できる自分がいれば、いずれ脱出できる。と教えられてきました。
そして、それをこの2年間でしっかり練習してきたと思うのです。


標題に決定的な差異。と書きました。
決定的に差があるように見えるのは、その自らの心の状態がどちらに触れているのかを客観視し、それをニュートラルに戻す、その次には心地よいと感じる方向に向けられるかどうか。
ここにあるのではないでしょうか。

あまりにリアルすぎるので、この世の「うまくゆかない現実ゲーム」からログアウトできずに悶々とし続ける。
そして匿名をよいことに、SNSにネガティブワードを撒き散らす。周囲の波動が著しく落ち込む、地球や宇宙に大きなマイナスエネルギーを放つ。結果として、自分自身がマイナス点を背負う。
結局、このマイナス点は今世で解消できなければ来世以降の大きな宿題として雪だるま式に蓄積され続けます。

もちろんわたし自身も含め、それらを反省し改善し、いろはかるたのごとく学ぶ時を迎えているように思います。
そして、
心の安定化のために大きなウエイトを占めると考えられる「口にするもの」に無頓着な人たちも。
クルマのガソリンやオイル・メンテには非常に氣を配る人たちも、自分の体・その借り物である肉体の最高管理責任者の役割を果たさない人の多いこと。


小麦粉を使わずとも立派にパンはできるようです。
自家消費なのですから見た目はどうでも良いわけで、味や食感が優れていればそれでOKです。
わたしは料理に関するスキルは皆無ですが、ありがたい環境のおかげで小麦粉断ちをしてから腸の調子が激変しました。
病院のベッドで一週間過ごした時には、次は大腸を切って捨てる!と宣言されたのも昔の話になりました。
もう医療の闇も十分理解されているはずです。


情報を追いかけるのをやめ、仕組まれた負のスパイラルから卒業する人たちが増えている、とも伝えられています。
いろはかるたから学び、〇〇につける薬はない。と切って捨てるフェーズを卒業した次の階段は、大和魂、あるいは縄文意識とでも言うのでしょうか。その相互理解に進むのが正常進化だと感じています。
もちろん、生前に書いてきた本人の脚本は他人の触れるところではありませんので、その方々は残念ながら今世においては永遠のお別れ、と。
決定的な差は、色々なところに見られるように思います。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。


P.S.
貯めていた記事のストックがこれでゼロになりました。
業務繁忙期ですが可能な範囲で継続して行きますので、変わらずご贔屓のほどよろしくお願いいたします。

この国の原点へ戻る

印象的な回廊 姫路城 photo 宮本章光

VRゴーグル、ログアウトしても取り外しても、何をやってもハマり込む。
語る先から、自分自身がスパイラルに落ち込んでゆく...。
うまくゆかない現実ゲーム、という名のこの世のMatrix。

あまりよろしくないフィールドに突っ込んでしまったので一旦リセットを。
この国の原点に戻るのが、唯一の進化の方法ではないかと思っています。


この絵は観光施設なのでそれほど重みはありませんが、先人の智慧と技巧は貴重な財産を残してきました。
そして、
それは構築物だけではなく、心の持ち方。といった部分にも。
心のエネルギーと物質は相互に連携していることが判ります。

大切な「心」を忘れず、機会あるごとに思い出してゆく大切さを感じています。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

もうその手には乗りません

色とりどり photo 宮本章光

もうその手には乗りません。

まだやってるのですか?と前投稿で書きました。
テレビがYoutubeに置き換わっただけでしょう。

MSM(マスメディア)は、プロパガンダの目的を果たす媒体ですから、特定の支配者に都合が良く、特定の権力者に富が集まるように「愚民化政策」を遂行するためのもの。もう復習も必要ないでしょう。
いまだにそこに意識を乗っ取られている大多数の羊たちは、もう自ら思考することを放棄したのですから、他星系転送確定です。ご自身の意志表示ですので。
また、それが彼らの意志であり転生・生前にその脚本を自ら決定しそれを持って生まれてきているのですから、他者は触れることはできませんし、変えることもありません。
その列車に乗る人たちに関しては彼らの意志を尊重して見送るだけです。


問題は、氣づいた・目覚めた・覚醒した!とその意識を表示しているゾーンの方々の中の一部。
何らかの面識があったり、この2年間でwebを通して共に学び階段を上がってきていた、と共有する意識を持っていたであろう方々もあります。
残念なのは、
熱心にYoutuberを支持してみたり、誰々のいう言葉だから信頼性が高いだとか語ってみたり。
はたまた某国の軍事情報のリークだとか、オルタナティブ的にはこうだ...と、しっかりと泥沼に足を取られている様子が見えます。

直感はどこに消えてしまったのでしょうか。
わたしは、彼らが語る情報には「まったく響かない」といいますか、むしろ正反対のエネルギーが直感として伝わってきます。
それって、MSM(テレビ)がウソまみれだったことがバレたから、媒体としてwebという場に手を変えてきただけでしょう。

初めは一個人の発信者だったかもしれません。ですが、ある時点から裏に手が入って魂を売り飛ばしたであろうことがありありと伝わってきます。
そもそも、そういう「肩たたき」をされた時点で、それを断ると消される(これ以上の説明は不要でしょう)ので、従わざるを得ない。という事情も理解できます、いえ、ここは理解しては駄目なところですが。

こうした内容を綴るだけでその役目を果たす方向とは正反対に逆噴射してしまいますので、ここで終了します。
もうその手には乗りません。


取り組むべきは、3両編成の自走できない客車を力強く引っ張る(数日前のアーカイブを参照ください)こと。
それは、意識という力によって望ましい未来を心の中に描くこと。
その根拠は、自らの直感が指し示す心地よさに裏付けされています。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。


【関連記事】(別windowで開きます)
誰かが「してくれる」ではなく選択「する」[Link]
「意識」に責任を持つ時代[Link]

誰かが「してくれる」ではなく選択「する」

アスファルトに舞い降りた落ち葉 photo 宮本章光

アスファルトの上に舞い降りた落ち葉たち。
彼らは、年月とともに微細化され都市の溝から川へそして海へ。
あるいは、アスファルトの目の中に住む微生物に分解されるのかもしれません。

落ち葉に意識があるのかないのか?それを問答しても答えは得られません。
しかし、アスファルトに舞い降りたのは「選択のひとつ」であったことに違いはないでしょう。
それが自分で物理的に場所を狙って動いたのか移動したのか。そういう観点でしか人間は考えません(考えられません)。生物は自ら動くことが能動的である、といった意識で強く固まっているためでしょう。
そして、
風に任せて落ちただけで意識など関係なく、単に風の移動エネルギーと引力によって生じた一つの物理現象に過ぎない。と。

そのように考えて当然でしょうし、それが誤りだとも思いません。その通りでしょう。
ですが、
落ち葉の選択であった。という見方もあってよいのではないかと思うのです。

意識があるとかないとか、そういう視点からの判断ではなく、落ち葉にとってもそれが選択だったのかもしれないな、と。
植物は、種族全体で一つの魂だといわれます。
枝を切っても葉を落としても、はたまた一つの株を根こそぎ抜き去ったとしても、それは髪や爪を切ったような感覚なのだといいます。
落ち葉は、その爪の先の一つや髪の毛の一本に過ぎないかもしれません。
ですが、元はこの地3次元でのスーツだったことには違いありませんし、その一つを切り離したのは植物の意志でしょう。


---誰々の発信する情報だから信頼できる。
---フォロワー数がこれだけ凄い人が発信しているから信頼できる。
---コメントはそれぞれ個々人の意見、色々ありますから...。
だとか、まだそんなことやってるのですね。
まだそうやって情報を追いかける、VRゴーグルからログアウトせずにエンタメを見続けているのですね。

信頼できるとされる人からもたらされる「何かを待つ・何かをしてくれるのを待つ」。
これを続けている限り終末・滅亡のタイムライン、ポールシフト大津波で沈むか核のボタンが押され滅亡するか、それらのレイヤーから脱出はできないよ。と散々伝えられてきているのですから。

黄金時代へ!だとか叫ぶにも関わらず、いつまでも旧タイムラインのVRゴーグルでエンタメを見ながら踊り続ける。
自分発見!自分が第一!と叫ぶのは間違いではないでしょうが、ネガティブにフタをしただけのポジティブごっこから卒業しない。

氣づいた。目覚めた。覚醒した。
そう仰るわりには、もっと別のところにあるエネルギーを感じようとなさらない人たち。
以前にも綴りましたが、やはり「淘汰」されてしかるべきゾーンは存在し、それが「選別」されるということ。まさに「別視点からのNWO」が完全に進行しているように見えます。

誰かが「してくれる」のではなく、自分が「選択する」のです。
ここに意識が合致してゆきますと、幹から・枝から落ち葉として切り離したのは、やはりその木の選択だったと強く思うのです。
さようなら。
わたしは、この植物たちの波動にチューニングし、落ち葉の意識と会話するような世界に行きたいと思っています。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。


【関連記事】(別windowで開きます)
結果が出せないなら選別対象です:2021/04/23 [Link]
鉱物からもう一度やり直しますか:2021/04/27[Link]

海の音を聴き潮を香る

IMG_0079_2015.jpg

海の波音を聴き、潮の香りを感じる。

この画像からそのイメージが伝わると良いなと思っています。
それは、
単に、頭の中で過去の経験から導かれた似たような風景に意識を巡らせるだけかもしれません。しかし、その意識のエネルギーは確実にその世界を具現化しているはず。

氣のせい。とは氣のエネルギーを感じているからこそ生まれた言霊だったに違いありません。
膨大な数の写真が手元に残っています。
それは、業務上撮影したものではなく、あくまでもプライベートの範囲で。

写真として鑑賞するには取るに足りないものが大半としても、そのまま埋もれたままストレージの肥になるのなら、同期できる場にエネルギーとしてリリースするのも一つの役割なのかもしれません。


大雨のあとの海岸を臨む、湿った空気と潮の香りを感じてください。
海の響きは、わたしたちの心に共鳴するはずです。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

エネルギーを受け取り転送する練習

2021年秋の眺め photo 宮本章光

エネルギーという言葉には、普段からあまり馴染みがないと思われ、それらを自分自身が受け取り、そして転送し放つ。いま、この一連のフローを体感し練習するタイミングだと感じています。


それは、実は一枚の写真を撮る瞬間に色々と練習をしていたのだ、と氣がつきます。
色の対比に意識を巡らせている時には、その色という波長の持つエネルギーを視覚から感じ取っており、葉や幹の形状に関して意識をしている時には、その大きさや向き・位置が持つエネルギーを感じている。
といった具合でしょうか。

それらの複合エネルギーを、一枚の画像の中にどのように散りばめ(=構図)、どのような手段(=面積の対比、明るさの対比、ボケ具合、フォーカス位置、などなど)で確定するのか。です。
その瞬間瞬間に、各種多様なエネルギーと対話し、それを咀嚼(そしゃく)しているはずです。
続いて、
ここ!というタイミングでシャッターを押すフローを見てみます。
その瞬間を知るのは「直感や勘」で、いまここ!これだ!と、心が示してくれるのではないでしょうか。
シャッターを切る・タップする瞬間のその感覚、それは誰でも理解できるはずです。
もちろん頭を使っている部分もあるでしょう、ですがやはりそれは心が命じる信号が指先に伝わっていると思っています。


これほどまでにスマホが進化し、ポートレートモードもこの程度までは優秀な結果を導き出してくれるようになっています。そして何よりも、多くの方々がその機能を使って手軽に・気軽に撮影を楽しんでいる現状。

エネルギーを感じる、とは、なーんだ、そんな簡単なこと?だったようです。
被写体のエネルギーを感じ、そしてそれを受け取りデータにする。そして人に伝えるという形で転送(公開)する。
まさに、これこそがエネルギーを受け止め転送する練習をしていたのだ、ということではないでしょうか。

宇宙のエネルギー?地球のエネルギー?
そうした言葉の持つパワーに氣負いし圧倒されてしまうのではなく、これほど身近な体験がその練習として役に立っていたことを伝えたく、この一記事を綴りました。

宇宙から到来するエネルギーを受け、それを大地に流し大気を潤す。その一連のフローを体現している植物たち。
当然、大地からも受け取り、成長という過程で還元する。
わたしたちの本来の姿もエネルギー体であるわけですから、親和性は高くて当然でしょう。


エネルギーとは、本当はとても自然で無意識に近い感覚であるときこそ流れているのだと理解が進みます。
確かに、歯をくいしばっているときほど、肉体は緊張しパワーが出るかもしれませんが、その物理現象以外の部分には、何らエネルギーがもたらされることがない事実にも氣がつきます。

実は、とても自然でとても軽く、そして無意識のような感覚のときにこそエネルギー使いになっているに違いありません。
これこそが、頭で考えずに心で感じること。体を使わずに意識で使いこなす部分なのだと。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

その日その時は必然である

夕日が映える元町ビル街 phot 宮本章光

この世に偶然はなく必然の連続である。
そのように語られて久しい状況です。

なぜなら、その日その瞬間に巡り会うように「選択」しているのは自分自身の意識であるからだ、といわれます。
この地でこの時代に、このような体験をすることを望み、そのために自らの意志によって転生してきたこと。
いま一度、確認をしておきたく思います。


混乱から抜け出し、新しい世界を創るために手を上げてやってきたわたしたち。
ここ数日、3両編成の客車を引っ張る機関車の例えを書いてきました。
何名かの方々から個別にご連絡をいただいています。

---[3両編成、引っ張りましょう。3両ならなんとかなる。]
---[3両ならお尻から突くだけで動くかも。]

非常にエネルギーの込められた言葉をいただきありがとうございました。
みんなで力を合わせれば3両ならなんとかなる。確かにそうだと思います。あくまでも例えに過ぎませんが。
心強いメッセージをいただけること、まだまだ捨てたもんじゃないな、と感じています。
いえ、これからが本番です。


その昔、留学生を迎え机を並べる経験をしました。当時、高校生でした。
留学期間を終え空港へ見送りに行った時、日本人の「和の意識は特筆モノだ」といったような感想を彼の口から聞いた記憶があります。
実は、
その帰国直前に、彼の筆記具がクラス内で無くなるという事故がありました。担任であった恩師からは日本の信用に関わる!として、同じ筆記具を購入して本人に差し上げて。と代金を預かっていたのでした。
また特に親しく過ごした数名からは、その事故に関してのお詫びとともに貴重な体験ができた御礼の手紙も添えるよう預かっていました。
わたしは、その時点でのクラス代表として同じ筆記具を購入する役割とともにその手紙を添えて帰国前に手渡す役目を仰せつかっていたのでした。

空港前の文具店(その頃はまだ主要駅前には文具店が存在している時代)でペンを購入したのですが、今になって思えば、帰国の当日の朝に購入する段取りをしていたので、店が開いてなければどうなっていたことだろうかと、いまになって胸を撫で下ろしているような次第です。

そして予定通りにペンと手紙を手渡したあと、出発ゲートに向かう彼は、日本人の「和する心は忘れない」といった内容の言葉を残して帰国の途につきました。自国では、そのような一体感を感じる体験ができるのは稀だ、といったような印象の言葉も併せて。


力仕事が続きます。
いえ、体は必要ありません。心の中から意識のエネルギーを束ねるのです。

3両ならなんとかなる!というのも偶然ではなく必然に違いありません。
自分の意識と周波数がそのシンクロを生み出し、望ましいタイムラインを生み出せるはずです。
この国に居れば感じることがほとんどない「和する心」。
エネルギーを束ねる、とはまさにこういうことなのだと改めて感じています。
そして、
この日この時刻、この瞬間は必然であり自分の選択の結果である、と。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

みんなが仲間だと氣がつく

虫食いも桜の紅葉 photo 宮本章光

花や木々、植物を撮る時には、その花の一番綺麗なところを見つけましょう。
そのように伝え、そのように実際に授業を行ってきました。

いえ、それが誤りだったというものではありません。
美しいものを伝える手段としては間違いではありません。
ですが、
虫が食い、落ち葉になる直前の葉は、写真の対象にならなかったのではなく、撮影者が「勝手に」対象から外していただけであることに意識が及びます。

その葉は、来春の開花の時期まで注目されることもなく、近々に地に舞い落ち大地に戻って行きます。
それも、そのあるがままの姿で役目を果たしていること。
人間の側で勝手にフォーカスから外しているだけだったこと。

そこに意識が及ぶようになれば、すべてが仲間であると理解でき、すべては同じ波長に同期するものがシンクロしてゆきます。
葉を食う虫も仲間のひとつ。
そして、
その姿が、最も美しく見えるように記録する。これも今この瞬間の役目の一つだったに違いありません。

すべては、同じ周波数に同期するものが磁石のように引き合う。
すでにそうした時代に入ったことを感じます。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

本気で卒業する意識があるのなら

自然はいつも自然体 photo 宮本章光

いつまでも混乱にフォーカスし続けていると、その波動に足元を掬われます。

支配者は、混乱を故意に発生させ、そこに意識を合わせた人間の「ネガなエネルギー」により更に混乱を拡大する目的として「種」を撒いているのですから。

目の前の風景は、人類の集合意識が作った過去のエネルギーの産物でしかない。
そのように学んだはずだった人たちが、ここに来て再び泥沼に落ちてゆく姿を目の当たりにしています。

昨日の記事でも書きました。
【「意識」に責任を持つ時代】[Link]
わたしたち、ここでシンクロ可能なわたしたちは、機関車として「自分では動けない客車」を引っ張る役目があるはずです。
機関車が、壊れるかもしれない。パワーが足りないかもしれない...。
そんな弱気でネガティブな意識に落ち込んでどうするのでしょう。


目の前の風景を作り替える大仕事をする!と心に誓ったわたしたちは、支配者のワナに捕まることなく、歓喜溢れる未来を描くのが仕事です。

逞しく生きる仲間である木々を見て意識を新たにしてください。
激しい嵐が来ても、まったく雨の降らない猛暑であっても、そして極寒の豪雪の中でも、決して弱音を吐かずに立派に生き延びています。仮に枝が折れようと、葉が吹き飛ぼうとも。
そして、もしその命が絶える瞬間を迎えたのなら、それをあるがままに受け入れます。
その場所から絶対に逃げることができないからこそ、その存在を確固たるものとして築き上げているではないですか。

わたしのルーツは、シリウス星系で第二密度生命の研究に携わった、と伝えられていること、何度も綴りました。
だからこそ、この地にある木々の姿に感動を受けるのだと思っています。


眠り続ける脚本を持って今世を過ごしている人たちにフォーカスする余裕はありません。
自分の意識、自分自身の心を完全にコントロールし続けること。そしてそこから巨大なエネルギーを生み出し集合体にすること。
これこそが、この場でシンクロできるわたしたちの役目であるはずです。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

「意識」に責任を持つ時代

たんぽぽの意志表示 PHOTO 宮本章光

意識に責任を持つ時代に入っています。

以前から何度も繰り返し綴ってきました。もう満腹かもしれません。
しかし、
いつまでたっても乗り越えられないハードルが「日本人特有の考え方」の中に根強く残る限り、終末・滅亡に向かうタイムラインから離脱できないことを痛感しています。

「わたしにはまだまだです」
「現時点ではまだまだ期が熟していない」
「まだそのタイミングには早すぎる」

これらの言葉、そしてこれらの意識に共通するもの。
それは、
「まだまだ」という言葉です。

日本語には絶対的にその言葉が示し、そして必ずシンクロする言霊(ことだま)の力があります。
たとえ、それを言葉として発しなくとも意識の中に考えとして描くだけで、その言葉の力が潜在的に作用し始める、と伝えられている通りです。

まだまだやり残していることがあるから世の中は変わらない。
確かにその通りだと感じます。
そして、日本人だけではなく世界規模でさまざまな考え方の人たちが存在する以上、平均点を狙うところに道を描かなくては、メリットよりもデメリットが超過し、良い方向に進めようとしているにも関わらず本末転倒、破壊の方向に進んでしまうリスクがある点、ここにも理解が必要だと判ります。

ですが、この場でずっとご縁のある方々、そしてもはや2年近くもこの狂った状況から「脱出するために学び続けて」来られた方々にとっては、その平均点を狙っている限り、平均点から永遠に脱出できないこと。ここを再度確認しなければなりません。
確かに、
この地は、二極化・両極の体験を積み学ぶ場だったとされています。ですが、もうそれは終わったのです。
その自覚をお持ちになっていますか。
わたしたちは、平均点を狙うのが役目ではないはずです。

日本語と日本の教育を受けてきた以上、まだまだ勉強が足りない。まだまだ時期尚早だ...。
そのように一歩下がって考えることが美徳とされ、また過剰な期待を持たないことでリスクヘッジとする考え方が体に染み付いて離れません。


少し離れた視点で俯瞰(ふかん)してみてください。
いま、転換点となる駅で列車が分割され、行き先が異なる編成がそれぞれ出発します。
一つの編成それは8両編成の電車で、Bの目的地に向かいます。
もう一つの編成それは客車だけの3両編成でしょうか、Aの目的地に向かいます。

わたしたちは、このAの目的地に向かうのだと意志表示しています。
3両編成の列車は非電化区間を走るので牽引する機関車が必要です。このたとえでは自走しない客車が3両編成。機関車が引っ張らなければ動かないのです。

わたしたち、そうです、この場で同期できるエネルギーを感じ、そして解釈できるわたしたちです。
わたしたちは、3両編成の客車に乗っているだけでは永遠に発車することができません。
わたしたちは、その前に連結されている「機関車」として駆動する役目があるはずなのです。そしてAの目的地に向かって電化されていない区間であっても力強く引っ張る、その役目を担うと決めたのではなかったでしょうか。
役目を担う、とは、すなわち「自分の意志」によって進むことではなかったでしょうか。

後の3両の客車で「そのうち期が熟したら」などと、Bの目的地に向かう乗客と同じ感覚で待っている限り、Aの目的地が自動的にBになってしまうのです。
これこそが、意識が現実を創る。ということではないのでしょうか。


意識に責任を持つ。とは、
救世主を待ち続けることではなく、また、情報を追い続けることでもなく、意志表示し決めたことに向かって自分から力を出し機関車として引っ張ることだと思うのです。
力を出すとは、まさに「意識をそこに合わせてゆく」ことだと思うのです。

物理的な行動に責任を持つ時代から、自分が抱く・描く「意識」に責任を持つ時代に入っています。
まだまだ...と言う限り、それは美徳でも何でもなく、責任を果たすことを放棄しているのではないかと感じます。

発車ベルはもう鳴り止んだにもかかわらず、機関車が引っ張らなければ決して発車することはできないのです。
意識に責任を。意識がこれから先の現実を創り出します。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

自分の意識で行動したい

月食2021年11月19日 photo iPhone11Pro 宮本章光

今夜は月食があるから、
来月には日食があるから...。

--テレビで言うてるから見るねん。
--webで話題やから見てみた。
--SNSで急上昇しているからめっちゃ幻想的だぜぃ?

どれもこれも個人の自由に違いありません。
そして、どのように考えるのも、どのように行動するのも自由です。
はい、無理にその話題を避けることなど必要ありませんし、無理に離れることもありません。
重ねて書きます、自由です。


いま、世の中の大転換機。
そのような多数に流される思考が見直されつつあることに意識を巡らせても良いかもしれません。
そうした思考にハマり込むように、教育からメディアから、何から何まで洗脳されてきた結果が、現在、目の前に繰り広げられています。
SNSさえも、そうしたワナに落ちるように使われてきていることに。

自分の意識、自分の心がどのように感じ、直感・勘がいずれの方向を指し示しているのか。
いま、非常に大切にしたい感覚です。
そして、これからはその感覚こそが生きてゆくために必要とされているはずです。

みんなと同じだから安心。
みんなと同じだからよい子ちゃんだね。
わたし自身は幼少期から人と同じであることに極めて強い嫌悪感を抱き続けてきたこと、ここしばらくの記事で触れてきました。

今回の月食は、宇宙のパワーにバランスするために非常に重要な役割を果たす意味があったようです。
心穏やかにその時間帯を過ごされましたでしょうか。
それらをスポイルする目的で「めっちゃ幻想的だぜぃ」だとか茶化して煽る。それも権力者とメディアのやり方です。
そんなノイズに踊らされて、いいね!だとかやっていますと、終末・滅亡へと一直線のタイムラインから脱出することは難しいでしょう。
はい、もうこれで終えます。自由です。

意識の持ち方を、いま一度、見直してみる時期を迎えていることは確かでしょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

そこに仲間がいる限り

落ち葉のように美しく photo 宮本章光

言葉を通して語ることがなくても、
会って話しをしたことがなくても、
そこに存在を感じることができる、そんなエネルギー。

それは、人だけではなくすべての生き物。
それは、動くものだけでなくすべての存在に。


幼少時期の記憶が鮮明に蘇る機会が増えています。
毎朝、早めに登園した児童たちは、数多くのおもちゃで自由に遊ぶことができる環境が整っていました。
クルマもあれば列車もあり、また小さなものから大きなものまで。
朝の時間は、各部屋の仕切り板を開放し3部屋か4部屋が通しで見渡せる大きな教室として利用、各自が思い思いに遊んでいました。
仕切り板は、ベージュのような薄いピンク色のような色彩であったこと、その板の厚みや移動時の音の響きまで克明に思い出すことができます。
ですが、わたしはそこに魅力を感じなかったため図書室へ一直線に向かい、児童書を片っ端から読み続けていました。

その園(児童館の幼児クラスでした)の図書室にある幼児書を貸し出しを含めてすべて読んだのは、わたしとあと数名だったと後に聞きました。
ここで毎朝、同じように書棚からお氣に入りの本を手にとって、その世界に没入しているもう一人の園児が居たことも記憶に蘇ってきています。
名前や顔を思い出すことまでは叶いません。しかし、非常に切れる(聡明なという意味)意識を持っているであろうことが、その周囲に放つエネルギーから感じることができました。
いわゆるオーラが醸し出されていたのでしょう。今になって思えば、この児童が持つ波長にシンクロすることに心地よさを感じていたのかもしれません。もちろん、本の中身に意識が移ると視界からは消えていました。

エネルギーの周波数が合う、だとか、エネルギーの強さだとか、そんな難しいことなど一切理解できない園児の年代。
お氣に入りの本は、まるでレコードやCDのジャケ買いと似たような感覚で、表紙のデザインや色彩感で決めていました。
そして、他の児童のオーラを感じながら過ごすという贅沢な時間を堪能した時期でした。

この時期に、まさしくエネルギーのシンクロを感じその心地よさを追求するといった体験を重ねていたこと、今になって記憶が蘇るのは、ここに行きなさいという導きに違いないと感じています。
それは、
言葉ではなく、話しをすることでもなく、存在を感じそのエネルギーに同期することで得られる心地よさこそが、これからの新しい世界に必要とされるものだと確信しています。
そして、
そこに仲間がいる限り、そのエネルギーを大切にして行きたいとあらためて思うのです。
そこに仲間がいる限り。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

心のこもった記事・情報

飯舘村で迎える秋の風景 photo 宮本章光

心のこもった記事や情報。

そう聞いて違和感を感じるかもしれません。
記事や情報って、心を込めるものではないでしょう?と。

客観評価の事象を伝えるのが情報。
特定の視点から語るのが記事。
そのように刷り込まれてきただけなのかもしれません。まさに教育という名の洗脳の結果でしょうか。

記事にも心を込めて書かれたものには、書き手の心が織り込まれていますし、それは言霊としても表出することがあるはずです。
何より、その記事を読むことによって、込められたパワーを感じることはありませんか。
そのエネルギーを感じる、といった体験がそれを物語っています。
また情報にも、事象を客観的に論じるだけのものではなく、そこに何らかのエネルギーが存在していることを感じられるケースがあるでしょう。

ここで氣がつくこと。
それは、いずれも「人」がその間に介在していることです。
人が記事を書き、人が情報を伝えます。いえ、媒体は電波かもしれませんしモバイルデバイスかもしれません。ですが、そのコンテンツは、多くは「人」が作成しているはずなのです。
当然、AIにより自動作成されるコンテンツも増えていることは承知の上です。

いま、最も大切にしなければならないこと。
それは、人のエネルギーを感じ取る能力までも放棄せず、むしろそこにこそ意識を集中したい、という部分です。
悪のNWOが目指すゴールは、もうこの2年間でしっかりと学んだはずです。そこに到達しないように心の中にある感性は最後の砦(とりで)として死守しなければなりません。

感じること。
エネルギーを感じること。
それは、日本人には実は容易に使いこなせる能力に違いありません。
そこに「心がこもっているかどうか」。
この一点に集中するだけで、そのエネルギーを感じ取ることができるからです。

そして、
わたしたちの存在そのものはエネルギー体としての魂であり、肉体はこの世で学びを重ねるための3次元スーツに過ぎなかったこと。
ここまで理解が進んでいるのなら、もっともっとエネルギーを感じる体験を大切にしたい、と強く願うのです。
それをこの記事に込めたエネルギーに同期できる方々へ送ります。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

色は匂えど散りぬるを

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仮名文字の「いろはにほへと」を学ぶ段階で知識として得た方も多いのではないでしょうか。

色はにほへど 散りぬるを
我が世たれぞ 常ならむ
有為の奥山  今日越えて
浅き夢見じ  酔ひもせず

この場へご訪問いただく方の属性が一氣に変化しました。
ストレートに波長の合う方々、しかも日に何度も来ていただく方とのご縁をより一層大切にして行きます。
やはり波動の法則はここでも証明されているようです。

webの世界は、更に静けさを増してきたような肌感覚があります。
ネガティブに「蓋をせず」両極を等しく受け入れる辛さと苦しさを体験してきた方々が、その同じ心の辛さに同期するのだと思っています。

諸行無常
是生滅法
生滅滅己
そして、
悟りの世界に到達すれば、儚い夢を見ることもなく、バーチャルなマトリックスであった目の前の風景に酔いしれることもない安らかな心境に至る。
と、いろはうたは、
寂滅為楽(じゃくめついらく)
で結ぶのです。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

黄金時代になったとしても

冬の木々 photo 宮本章光

黄金時代は、確かにやってくると考えています。
また、そのように確信して具現化するよう意識をそこに合わせています。多くの方々がその波動を維持なさっているはずです。

しかし、
仮に、世の中が黄金時代とされる(言われる)状態に整ったとしても、そこに組み込まれている「人間」が変わらなかったとしたら?
今だけカネだけ自分だけ。そんな人たちが溢れる世の中。
表面上は利益の最大化などと綺麗ごとで飾っていながら、実はいつまでも利権にまみれた欲の塊。
そうした人間が存在する限り、いわゆるその黄金時代は本当に実現するのでしょうか。

ここにコトの本質が隠れています。
いま、そのドロドロの人間の「考え方」を卒業しない限り、手元にあり余る資金が取り戻せたとしても、生きてゆくためにあくせく翻弄される心配がなくなったとしても、結局は「揺り戻され」てしまう可能性が極めて高いでしょう。

だから、タイムラインは終末に向かってまっしぐら。これは確定なのです。
だから、人間が変わらなければ何も変わらない。
だから、人間が変わるとは、意識の中を変えてゆくこと。
だから、意識が目の前を創り出すとは、そういうことなのです。

黄金時代とは、誰かが自動的にもたらしてくれるものではないはずです。
一人ひとりの心の中、意識が目の前の風景を創り出すのです。
いつまでも卒業できない...。その状態を続ける限り、もう一度言います、終末のタイムラインへ一直線です。これは変化しません。

いま存在するタイムラインは既定路線なのですから、自分がそこから卒業し飛び出し別のレイヤーに行く以外に避ける方法がありません。
ですが、それは意識の中で飛び出すのです。引越しをするような物理的な変化ではありません。
そうすれば、あとから目の前の風景がついてくる。そういう理屈なのですが...。

2012年の分岐点。そして2020年の分岐点。
今度は、この2021年の分岐点が最終だと伝えられています。
2012年だって何も起きていなかったじゃないか。昨年の冬至にも何も起きなかっただろ。
そう仰る方々、残念ながら永遠のお別れの時間が来たようです。

ここで同期できる皆さま。
意識を拡大して行きましょう。拡大するところに新しい世界が創り出されるのですから。
そして、プラスとマイナス、善と悪は、共に等しく受け入れる。この辛く苦しいハードルを超えて行きましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

タイムラインを「選ぶ」の真意

堰堤を流れ出る川 photo 宮本章光

タイムラインは無数にあり、どれを選択するかは個々人の自由意志。
そのように語られ、もう満腹状態だと思われます。
ですが、その真意がどこまで理解できているのか。自分自身でも日々学びが続きます。

目の前に現れる風景は、自らの意識とともに人類が創り出した「過去の集合意識の結果」だといわれています。
タイムラグを伴っているため、自分が創ったものだとはとても思えないかもしれません。しかし、それが真実であり直感にもビシビシと伝わってきます。
それならば、望ましい近未来を創り出せば良いじゃないか。
これも語り尽くされてきました。同じく耳タコ状態でしょう。


この時点で発想の転換が必要だと感じています。
逆に考えなければ見えてこない、そのように思うのです。

現在の混乱の「風景」は、このまま「その周波数に同期」して踊っている限り、終末に向かうことが確定している、と伝えられています。
以前にも少し触れましたが、そこに自分自身の意識がシンクロしているのですから、状況がよくなることなどあり得ない。と容易に理解できます。
そのシンクロした意識・波動は、そのまま更に更にネガティブ方向に増幅され、最終的にはポールシフトで終末を迎える。あるいはある人物が核のボタンを押してこの惑星のタイムラインは滅亡を迎えます。
そのように決まっているのです。少しニュアンスが異なりますが、そのように決まった道があり、この現在の風景に個々人の意識が同期している限りそこに至ることが不可避、ということです。

ここで発想の転換が必要になります。
目の前の風景にシンクロする限り、終末に向かい消滅・滅亡することは確定。具体的には過去文明と同様に大海の底に消え去るとされており、生き残った人たちは地底で生き延びるも感情を放棄、進化が停止。この時点ですでに地球人グレイになると。そこに至るまでに数千年の時間が経過しているといいます。

そんな未来のこと判るわけがねぇだろ...。ではなくて、もうここにあるのです。
そして、何度もその道を繰り返し通ってきたと語られています。わたしたち地球人は。その回数、すでに5回だとか6回だと。
ですので、この現在の道もこのまま流れてゆく限り、再びその結果を招きます。同じことをいつまでもずっと繰り返しているわけです。
現状を見渡してみますと、既にその「いつまでも同じことを繰り返す片鱗」が散見されます。

だからどうするの?という問いに対する答え。それが、別のタイムラインを自らの意識・心のエネルギーによって創り出すことだと伝えられているわけです。
非常に重要ですが、ここで勘違いしてしまうのではないでしょうか。
それは、
何かを、誰かがお膳立てしてくれ、「その中から・その候補の中から」選ぶのではない。ということ。
ここに発想の転換が必要になります。

「白紙状態のキャンバスに自分で描く」のです。
存在していないタイムラインを自分で創るのです。いえ、正確には、そのタイムラインもいま存在しているとされていますが、その周波数に同期しなければ認識することさえできないので、白紙に描くのと同じであり、その周波数に合わせてゆくことで初めて明確化するということなのでしょう。

だからこそ、いま必要とされている行動は、なりたい姿、実現させたい風景を意識の中に明確に描くのだ。とされているわけでしょう。
当然、プラスとマイナス・善と悪、といった両極のエネルギーを等しく受け入れ尊敬する境地に辿り着いていることも条件としてあるはずです。
見えているものに同期している以上、終末に行き着くこと。それは避けられないのです。
よく考えて、何を創り出すのか手を取り合って進めてゆきたく思います。この場で同期できる皆さま、エネルギーを束にしてください。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

わたしはこの道を歩む

飯舘村の秋 photo 宮本章光

わたしは「この道」を選び、この道を歩みます。

人と同じ選択をすることで安心する。
そうした人生を選ぶのも個々人の自由に違いありません。
しかし、
わたしはその道を選ぶことはありません。

幼少期には、人と同じ行動をすることに激しく嫌悪感を持ち続けていました。
幼稚園に入り、同じことを強制される理由が理解できず過ごしました。集合写真で横を向いているのは君だけだった、と後から諭されたのは年長の時でした。
故意に横を向いてやろう、と頭で判って行動したのでした。今でも鮮明に記憶しています。

小学校に入り、ようやくその意味を理解し、そして「人と同じように行動する」ことで「世間的に良いとされる評価」が下されることを体で理解しました。
低学年でその道を選ぶことで、成績は常に上位に入る状態が続きました。
ですが高学年になる前に、もはやそれは「自分を偽って生きている」と判断できる状態でした。

宿題を拒否したのは小学校5年生だったように記憶しています。
--そんな量をやらなくても自分は判っているし時間が無駄だ。
職員室の担任教師に申し入れに行く小学校5年生の姿。
休み時間や放課後は、日々同じ眺めに嫌気が差し校庭の影で小説を読み耽りました。

令和のこの時代には考えられないかもしれません。しかしそれをやっていたのは紛れもない自分自身でした。
そしてその5年生の時点で、もう遅すぎるとされた私学受験を決意し、一年半後の春に私学合格したのは、その年度でわたし一人でした。

いえ、自慢話をしたいのではありません。
こうした道を、これまでの生き方すべてにおいて貫いてきました。
それは、その瞬間の「直感」「勘」が、その行動を導いてきたことを知っていただきたいと思ったからです。

そして、あと二年で干支(十干十二支)が一巡りしてきます。
ようやく、そしてやっと、この生き方の道に波長が合う世界がやってきそうだ、と感じています。
宇宙レベルで世の中が大転換する機会です。
約25,800年ぶり、最小公倍数的には約50億年に一度の稀有な機会なのですから。

ここ二日ほど、火球目撃情報が続いています。
それは、もうこの惑星を支配していた存在が逃げ出すところを宇宙(あるいは地球上層部)から撃墜されたからでしょう。
流星群の時期に重なった...だとか報道していますが、毎年それは同じですから。なぜ今年・いまだけなのですか。
メディアの情報など、直感や勘が指し示す強力なパワーを持ってすれば、ウソや偽りであることは一瞬で判ります。


わたしは、物質次元で肉体を酷使し走り回る、あるいは叫び続ける道はもう選びません。
この強烈で鮮烈なパワーを感じられる方たちとともに、新しい未来を創造してゆきたいと思っています。
どうか、このエネルギーとこの波動にチューニングしていただきたいのです。
心の底から湧き上がるパワーに同期させ、その力を束にしてこの惑星の開放にご協力ご尽力いただける方に伝えたく思います。
わたしは、この道を歩み続けます。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

木々と会話していますか

飯舘の秋 銀杏 photo 宮本章光

木々と会話していますか。

何を突拍子もないことを...。
と仰る方は、もうこの場からは離れ・去って行かれたことと思います。
深くシンクロが可能な方々とのご縁を大切にしたく考えています。


植物も生き物です。
そのように明確に意識したのは幼稚園に入る前あたりだったでしょうか。それ以前のような氣もしますが記憶に残っていないだけかもしれません。

猫の額すらないような狭小な庭でしたが、鉢植えの木をスコップ(地域によってはシャベルが適切かもしれませんし、移植ごてと呼ぶと伝わるかもしれません。)で切り落としてしまったことがありました。
何がそうさせたのか、何が楽しかったのか。
枝が切り落とせる、自分の手に持ったスコップでチョップする。
そのような感覚だったように思うのですが、それ以外にどのような力がそのような残酷な行為に走らせたのかあまり鮮明な記憶が残っていません。

その日の夜。父が帰ってきてからきつく叱られたことは言うまでもありません。
自分の手や足を切り落とされたらどんな気持ちがするか考えてみよ。と。腕を雑巾絞りされて激しく痛かったことは鮮明に覚えています。
そもそも、自らの手足が切られる、といったその感覚さえも意識したことがなかった年齢だったと思います。
当然、遊びの中で怪我をすることで「痛み」そのものは理解していました。ですが、自分で痛みを感じる以外に「他の存在の痛み」に意識を巡らせる。そういった体験は、その残酷な悪戯を持って初めて感じたように思います。


この銀杏たちにも命が宿り、その「衣」を纏う魂が存在します。
わたしたちも、現在の第3密度の肉体を持つ遥か前には、植物だったことがあるのかもしれません。
そもそも、
現時点で深く眠り続ける人たちは、その過去の因果を今世で解消できなかったのなら、その度合いによっては「再度、第1密度である岩石からやり直し」だと伝えられているのです。

木々と話だ?何をバカなことを。
そうでしょうか。
心の中で波長を合わせることでコミュニケーションは可能だと氣がついている人が増えているはずです。
もうそういった時代・次元に突入しているのです。
大切にしたいものです。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

感覚を取り戻す旅をご一緒に

宍道湖の眺め photo 宮本章光

何らかのエネルギーを感じる時、感じるもの。
それは、
風景を眺めている瞬間も、あるいは食事中の料理に対してさえも。

当然、受け取り側の氣分や体調、あるいは環境によっても大きく変化するでしょう。
それこそが周波数の違いだ、と理解が進みます。
--周波数が異なるなら受け取ることはできない。
--周波数が合致するならばそのエネルギーを受け取ることができる。
極めて明快です。

この場でシンクロが可能かどうかは、発信側であるわたしの周波数あるいは方向性と、受け取りいただく方々とのマッチングにかかっているということでしょうか。
ここしばらく大きく変化が起きています。
合わなくなった方は去って行かれました。まるで2年前に離れていった人たちのように。そして新たな方々との同期を感じています。


微妙な周波数のズレは、そのエネルギーの大きさや強さとして現れるように思います。
昔のアナログチューナーのラジオを経験した方には、その感覚が理解できるでしょう。
デジタルチューナーならば、そのサンプリングのステップが一つでもズレると検波できない仕様であることも多いと思われ、その段階で音として再現されず聞くことができません。
ですが、
昔のアナログチューナーならば、少しズレていてもノイズが増えたり音が歪んだりしながらも、何らかの音として再現されていました。

その昔、AM放送では、篭りがちな音声をチューニングを敢えて微妙にズラせることで高周波のノイズを故意に乗せ明瞭化したように聴く、などということもやっていました。(わたしだけではないはず...)
また、FM放送を最高の音質で聴きたいという欲求に対し、アナログの糸を張ったバリコン(もう死語かも:パソコンじゃないですよバリアブルコンデンサー=variable condenserです)を操作するタイプのものはその張力のかかり具合で時間と共にズレてくる、などという構造的な仕様もあったこと、ご経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

このような微妙なズレは、アナログだからこそ許容され放送を聴くことが可能でした。
いま、エネルギーの周波数のズレがどのような形として現れてくるのか、さまざまな場面で体感を積んでいるところです。

同じ音楽を聞いても、そのエネルギーを強力に感じる日があれば、そうでない日もある。
同じ写真を見ても、同様にその大きさの違いが出ます。
同じ店で同じ料理を口にしても、そのパワーの感じ方が異なってきます。

これらは、発信側と受け取り側の周波数の違い・ズレによって生じているのだろうというところまで判るようになってきました。
ようやく「自分の定規」で、客観的に感覚を評価できるところに辿り着きつつあります。
スポイルされた感覚、本来備わっていた感覚。
それは、自ら回復させようとしなければ戻らないように思われます。進化・復元の旅をご一緒しましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

本気で信じ本気でイメージする

低い雲に挨拶を photo 宮本章光

本気で信じ切っているでしょうか。
本気でイメージを描いているでしょうか。

先の記事で書きましたように「楽観的すぎるからウソっぽい?」だとか懐疑的な見方をするのは「その対象を見極めて」特定の対象・項目に対して行う行動です。

洗脳目的のプロパガンダ情報。
撹乱を意図した偽情報。
それを見極めそして捨てるための直感であり勘なのです。


望ましい未来、希望する未来が「来るか来ないか?」などと、この部分に疑問を混ぜている限り絶対に実現しません。
ここでは、100パーセント信じ切って明確に、そして強烈にイメージを描くことが求められます。
意識の力を使う先、そしてその使いこなし方が間違っているのです。
そもそも習ったこともないので無理もありません。しかしこの2年間はそのために訓練してきたのでしょう。

タクシーに乗って〇〇駅に行きたい。とします。
行き先を「〇〇駅に行きたいような氣がする、それともxx駅がいいだろうか。ホントは〇〇駅なんだけど...。」
と、伝えますか?
お笑いの新喜劇でも出てきます。
ある方のお宅に伺って挨拶をします。「おじゃましますか?」
そこは「おじゃまします」でしょう。
レストランでオーダーする時に「わたしはランチを食べたいですか?」と言いますか。
いや、そこは「食べたい」でしょう。「か」はいらんねん!そんなもん知らんがな。ってアレです。


混乱・撹乱情報は「疑って」見極めた上でスルーする。
意識の力によって自分が創り出したい未来は「100パーセント信じ切って」その絶大なパワーを使いこなす。
これを「使いこなす」というのではないのでしょうか。

強力に、いえ強烈にという言葉が適切かもしれません。
そして明確に。
自分の望む近未来は、自分の意識の力によって創り上げるのです。

もう、混乱にフォーカス...なんてやってるヒマは一切残されていません。
別の脚本で踊る人に世話を焼く余裕などまったく存在しません。物理次元の肉体を使う時代は終わったのです。
明るい未来を創るのは「意識の力」「心から湧き上がるエネルギー」によって、です。
このエネルギーを、みんなで一つに合わせて心に描き続けましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

必要のないエネルギー

空を眺めるエネルギーを受け取る photo 宮本章光

もう波長が違いすぎる必要ないbookmark
もう価値を感じない必要ないSNSアカウント
もう使うことがない必要ないメールアドレス
もう連絡しない必要ない電話番号
もう活用しない必要ないList
もう読まない必要ない書籍
そして
もう役に立たない自分に必要ない情報

これまで世話になったエネルギーにありがとう。
そして、さようなら。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

楽観的すぎるからウソっぽい?

飯舘村の秋の気配 photo 宮本章光

情報が溢れています。
そりゃそうでしょう。情報戦争中なのですから。
平和ボケが体にとことん染み付いていますと、現状認識、客観視さえもできなくなるのでしょう。


楽観的な情報ばかりを選択すると道を誤る。そんな論説が幅を利かせてきました。
それ、あちら側の作戦ですね。

いままで何を勉強してきたのでしょう。何を磨いてきたのでしょう。
自分の「勘」はどちらを指していますか。
自分の「直感」はどのような感覚を送ってきますか。
もう、散々訓練を積んできたのですから、スパッと明確な答えが得られるはずです。

楽観的すぎるからその情報はウソっぽい?
これ、判断の指標とする要素が違っています。
楽観的すぎるから...。
という、その要素を判断の決定要素にしている時点で、その情報自体あるいはその意見自体がウソでしょう。
(百歩譲って悩みやすい性格の方なのですね、と理解できます。しかしそれでは新しい時代を自分の力で創造できません。)

それなら、悲観的な要素があれば正しいのですか?

当然、プラスとマイナス、善と悪。両方受け入れなくてはなりません。
ともに、です。これももう学んだはず。
ですが、もうそこまで到達したのならば、次は自分に必要ないものからチューニングを外さなれば、まったく進歩できず同じループに戻るだけです。最悪50億年やり直しです。その行き先の列車に再び乗り換えたいのですね。


自分の心に訊いてみましたか。どんな感覚を感じましたか。
違和感を感じるものは、まず自分の周波数と合わないこと。そしてそれは「自分が求めていない」こと。
これらが瞬時に体感できるはずなのです。

求めていない情報は、これから先には「必要ない」とされているうえ、それに同期させることで自分のエネルギーがそこに落ち込みます。
まだやり直しをしたいのでしょうか。
まだ永遠に続くループに逆戻りしたいのでしょうか。
求めていないもの・必要がないものにはフォーカスしない。チューニングしない。
一旦、プラスマイナス両方ともに認め尊重し、ともに包括して嚥下したからこそ、次に進めるのです。
ポジティブごっこで、ネガ要素に蓋をする過ちも、もう痛い体験をして乗り越えたはずです。


情報は、基本的にあちら側の撹乱・混乱目的のものが多い(というより大半)のですから、判断の基準を間違えないことです。
笑ってスルーすればいいだけのこと。
時代は変わっているのです。
いいですか。笑ってスルーすればいいのです。心の時代は「自分の心」がすべてを創り出すのです。
肉体は借り物のこの地で体験を積むための「着物・衣」です。
もう理解できたはずです。

今日も今日とて、楽観的すぎるからそれ大丈夫?...的な意見・論説が出てくる時点で、一向に卒業できていない。
と、化けの皮が剥がれて見えます。丸見えです。
そうやってブレブレで右往左往するから、いつまでも目の前は変化しないのです。

繰り返します。
Very Very Hard modeの時代を「直感に基づいて50年以上生きてきた」人間がストレートに感じるからこそ連日綴っているのです。
迷わないこと。
混乱を目的とした情報は笑ってスルーしてください。
やることをしっかりやったのなら、あとは天に任せる。答えは勝手に降ってきます。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

地上地球人よ役目を果たせ

夕日に輝く落ち葉 photo 宮本章光

地上の地球人よ役目を果たせ。

敢えて地上の...と加えましたのは、地下ではないわたしたち地上の人類のことであるからです。
この投稿は地上と地下の文明についてではなく、ここしばらく触れています「自分たちの役目」についてです。
そして、
目を覚ませ!ではなく、役目を果たせ!です。
もう起床時間はとっくの昔に過ぎており、それは「行き先が違う列車」の方々のお話でしょう。

この僅か一行の文字列に理解が叶わない方は、そろそろこの場での同期エネルギーは消滅しつつあるのではと感じます。
過去からのご縁が大きく変化し、新しいご縁に置き換わっている状況が数字にも現れています。そして、それは肌感覚で判る意識の温度差やエネルギーの体感として伝わってきます。

「外側を変えようとしない」
この点については、何度も繰り返し触れてきました。もう重すぎて再度の記載に及びません。
意識の力をつかいこなす時期です、とも数を重ねて記してきました。
しかしながら、
救世主を待ち続ける、といった自らの心の中の感覚から大きく離れた他力の変化を待ち望む人たち多数。そしてそのエネルギーが激しく大きく伝わってきます。
同じ方向に向かう列車に「同乗していたはず」の方々だと思っていたのですが。


世の建て替えに伴うネガティブ要素の大掃除がそろそろ終わろうとしている、と伝えられるようになってきました。
次に必要なアクションは、
過去からの洗脳を解き脱出する「自分の意志」を明確にすること。
そして、
イベントを待ち望むのではなく、その先に展開する社会で「自分がどのように役に立てる」のかをしっかりイメージすることではないでしょうか。

笑い話のネタにしかならないレベルの例えで、
入学したら○○するぞ!が、どこにも存在していない、とでもいう状態でしょうか。入試に通ることそれ自体が目的になってしまっており、何のためにその学校に行き、何をそこでやりたいのか。
ここが完全に抜け落ちてしまっているから、○月病なんてことが起きてきます。


新時代で何をやり遂げたいのか。
自分の役目は何なのか。

〇〇になったら....
〇〇が起きたら...
〇〇はいつ来る...

そうではなく、いま、この時点でできる役目を果たしてください。
自分から「蛹(さなぎ)」を脱ぎ出して成虫にならなければ、昆虫はその時点で命が絶えます。
自分から「開花」しなければ、その花の蕾まで育ったはずの枝は成長が終わります。

他星系の援助を受け、地球の開放がようやくここまで辿り着いたと伝えられています。
あとは、わたしたち一人ひとりが「自分の役目を果たす」時間になったのです。
明確にそして強力に、来るべき世界・迎えたい社会をイメージし、それを意識の中から拡大する、それが役目であるはずです。


救世主を待ち踊り続ける人たち、実は同じ行き先の列車には「乗っていなかった」ことが判ったのですから、わたしたちは自分の行き先を明確にし、それをイメージし続けることが求められています。この場のエネルギーを集合意識として拡大させてください。
今こそ地球人の役目を果たしましょう。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

ここで共鳴共振できる皆さまへ

綿の実の手触り photo 宮本章光

この場で共鳴し共振のエネルギーを感じられる皆さまへ。

自分自身が何度も失敗を重ね、あちらこちらで落とし穴に嵌ってばかりだったため、その時々の考えをすべてこの場にアーカイブしてきました。(過去の記事には誤りだった事項もある、ということです。)
その時々で同じように考え同じように行動し、同じように感じていただけた方がご縁を繋いでいただいているものと考えています。

最近は、その「意識の大枠」といいますか、こうした方々の存在のエネルギーなのでしょうか。それとなく、何となく感じる時があります。
そして、深い共振・コアな部分で共有できる方をイメージし投稿を続けています。
いま、再度・再々度の確認をすべきとても大切な事項だと考えていることを記します。


[外側を変えようとしても決して実現しない]

本当に何度も何度も繰り返しになりますがこれを再度確認したいと思っています。
過去から何度も落とし穴に落ちてしまった自分の反省を兼ねて。
これからの新しい世界を創造するには、自分たち自身の心の持ち方・感じ方を変えることにより実現して行きます。
特に、ポジティブごっこ、という言葉でわたしは例えていますが、ネガ方向の意識に蓋をして見ぬふりをするやり方は、絶対に成就しないことを体感したからこそ重ねて記しています。
どちらも等しく咀嚼し取り入れなければ浄化のステップに進むことが叶いません。

よく語られる言葉として「罪を憎んで人を憎まず」があります。
ですが、
人だけではなく罪さえも憎まない。のが次の社会には必要だと伝えられています。その言葉自体は誤りではなく本当に必要な意識に違いありません。

ここで勘違いしてしまいます。
罪に「蓋をして見ぬふりをする」のです。そしてポジティブになりましょう、と。
しかし、罪は罪として100パーセント認識しなければなりません。そして罪は罪であり二度と繰り返し体験する必要がないエネルギーであった、と、ここまでたどり着く必要があるはずなのです。
ここで、ようやく階段を上がることができるのではないでしょうか。
罪というネガティブ方向のエネルギーを知ることによって、その反対側の存在を実感・体験できるという仕組み。これこそがこの地での学びであったと。


これと同じプロセスだと思うのです。「外側を変えよう」としても変わりません。
今後迎える新しい社会とは、いま「目の前に見えている風景」がそのまま継続するはずです。同じ建物が存在し同じ街路樹が並ぶ街並み。
しかし、そこに感染症は存在しませんし狂った世界を変えろ!と叫ぶ声も存在しないのです。
そういった認識は「自分の心の中」から生み出される意識です。

何か、物理的に景色が変わることを待ち望み、救世主や白馬の王子さまがやってくるはずだ。と、そのように待ち続けること自体が「外側を変えようとしている」ことだと思われるのです。
同じ建物があり、同じ街路樹を見て、きっと救世主が...と外側ばかり見ていますと、結局は以前に書きましたような「終末・破滅のタイムライン」を迎えることになるでしょう。
ポールシフトにより地上のこの文明は壊滅・消滅します。

タイムラインはいくつもの並行世界があり複数のレイヤーが折り重なっている、とされています。
どれを選択するのかは自分自身の意識次第。
自分の意識、それこそが内側の力・直感と説明を受けていますが、それらを変えることによってのみ世界が変わるのだと。少なくとも同じ建物や同じ街路樹は残り続けるでしょう。
そして、同じ建物や同じ街路樹を見ていながらも、結果はまったく異なるところに行き着く。こういうことではないのでしょうか。

氣のせい。も同じです。このところ続けて触れてきました。
見るもの触れるもの、すべて同じ物理世界の物質であっても、感じる心感じる意識を変えることによってのみ、それが変化してゆくこと。
この重要ポイントについて、もう一度、考え直すタイミングではないかと思うのです。
この部分にスパッと答えを出せていないエネルギーが、ずっと伝わり続けて来るために綴りました。

意識をこの場で共振・共鳴できる方々の大枠に拡大し、同じ周波数で広く拡大伝播させることで、必ず結果を出せるはずだと感じています。
大枠のエネルギーの感覚、それこそが、極めて少ない小さいながらも、この場・わたしの文字との共振の集合意識だと思っています。

併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

難しいことなど必要ない

たんぽぽに留まるシジミ蝶 photo 宮本章光

難しいことは必要ないと思うのです。

意図的に難しくすることにより、自らの判断を放棄するように仕向けられてきたのです。
現在のこの極めて重要なターニングポイントで、自分自身の意識を置き換えなければ、再度の輪廻ループで学習をやり直しです。
早い話が「落第・留年」です。
もう一年、下の学年と一緒に机を並べるだけでは済まないこと、もう理解できている方々がここでご縁をつないでいただいていると感じています。

羽が破れた蝶は、一桁の最低気温に下がる時期になっても、その生命の存在意義を体現しています。
冬が来る前にその実体である体は滅ぶことになるでしょう。
同じく、たんぽぽも今日のその日差しの下で、自身の存在目的通りに現時点で精一杯の花を咲かせます。
そして、
それら二つの生命が、違いに同期し補完し、この地球の時間を形作っています。

こうした周波数に同期するからこそ「この絵」に巡り会いますし、それを画像として記録することができます。
自分の波動が何に同期するのかは、自分自身が決めること。
外部に作り出された混乱に同期している限り、これらの周波数に合致することは永遠に起こりません。

故意に・意図的に「思考停止させる」目的で作り出された「難しいこと」にフォーカスする必要はないはずです。
わざわざ仕組まれた道に乗り移ってまで自らの意識を下落させる必要などまったくないのです。

この時に必要な道案内をしてくれるのが「直感・勘」であり、わたしはこれまでの人生の要所要所ではすべて直感に基づいて判断をしてきました。
もちろん、その場・その瞬間では失敗だったと感じることもあります。ですが結果として、現在もこの体とこの意識を維持できている限り、その判断に間違いはなかった。と理解しています。


難しいこと。
わざと難しくして権威を保つような行動。
どちらも終演の時間となったようです。

難しいことなど必要のない時代。
すべての生き物とともに創造し役目を果たしてまいりましょう。
併せて、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉も忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。
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