ともに生きる世へ向かう感謝の心

崖と山道を隔てる朽ち果てた木。
そこに息づく数多くの生命存在。
多くの人たちは、目もくれず黙って通り過ぎて行きます。
手元のヤマレコやYAMAPアプリに注視するばかりで、先を急ぎ時間に支配されている姿がアリアリと伝わってきます。
規定ルートをトレースすれば、過去最長だとか過去最短時間、だとかSNSにあげて悦に入る。
何のために山に入ったのでしょう。
アプリに踏破記録を残すため?そしてSNSで注目を集めるため。でしょうか。
ここでも、結局は自己顕示欲と自己承認欲求を満たすばかりで、自然の波動と共鳴しあう体験が二の次になっている様子が非常に残念です。
ええ、まだ都会のど真ん中で、体によくない食べ物・飲み物を口にしながらSNS/webに釘付けになっているよりは、何倍も望ましい行動には違いありませんが。
物質物理実体の賞味期限を終えれば、お土に還り、新たな仲間へその抜け殻を提供してゆく。
この輪廻。この循環。
遠大、且つ深淵な時の刻みがこの足元で繰り広げられていることに、あらためて感激と驚きを感じます。
そして、ここに感謝の念が湧き出します。
このところ山道で出会う・すれ違う方々。
このようなアプリに支配されてしまっている姿とともに、この場の空氣感や自然(じねん)の波動に共鳴してみよう、といった感覚を持つ人たちが急激に減少しているように見えます。
市街地至近の場所であっても、千メートル近い高さまで自分の足で登ることであり、その高さから街を眺めるだけでも別世界の感覚を得られます。同時にその体験ができるのは、お借りしている体があるから、という点にも礼を忘れず。
何より、
自然の波動は強力でありながら、大変暖かく広く穏やかな懐を提供してくれていることを実感し、ここにも感謝が溢れます。
貨幣経済は、わたしたちが「終わらせる」必要があります。
そして、そのために「行動する」必要があります。
他国の大統領が行うのではありません。くるくる詐欺をやっている人たちは、いつまでそのループにハマったままでいるのでしょうか。自分はくるくる詐欺ではない!と叫んでいる時点で、まさに「善の仮面を被った悪」に落ちぶれていることに氣がついていない末期的症状。
すべてはエネルギー波動なのです。フォーカスするもの・対象に合致したエネルギーが、この世では時差を経て顕現化してゆきます。
これが仕組みであり例外はありません。
終わらせる、とは、悪しき旧い波動にフォーカスせずに、自然(じねん)と調和し共生するエネルギーを生み出してゆくことで、その周波数のエネルギーを束ね拡大し、臨界点・閾値を超えることによって望ましい世を顕現化させてゆくこと。
同じく、
行動する、とは、デモに参加することでも悪よ滅べ!と叫び踊ることでもなく、心からこうした波動を生み出してゆくことです。
結果として、穏やかでありながら強力で望ましい波動が生み出され、そこに感謝が満ち溢れます。
これを「何もしていない!」と批判するのは、物理実体を使い走り回ることだけを行動だと解釈している証であり、その唯物主義的で未熟な狭い精神性では、この世を脱し新たな世に入ることなど叶うわけがありません。
まして、
貨幣資産をもっと多く手に入れて幸せになろう、などと毎日感謝感謝と念仏を唱えることではありませんし、そうして「フォーカスしている先」のエネルギーにシンクロしている自分自身が、結果として「いつまでも古き悪しきエネルギー」を増幅し続けてしまうのです。
これを善の仮面を被った悪、というのではないでしょうか。
ともに生きる生命存在と、
そこに共鳴できる体験と。
そして、湧き出す感謝の波動を大きく拡大してゆきます。
この先に望ましい道を切り拓くのは、この方法しかありません。
2025/05/18(Sun) 11:56:15 | photo blog