望む世は望む心の波動により生み出すもの

浅い、薄い。
深みのない精神性の乏しさ、魂レベルの幼稚さが露呈してゆきます。
恥ずかしさが半端なく拡大し続けています。
全体が格上げされるこの大転換期だからこそ、自らもそれに合わせ(あるいはそれ以上に)伸びてゆきたいものです。
他者との比較など、どうでもよいわけで。
自分で自分を磨く。
その意識を忘れず。
恥ずかしい過去の思考・意識は、学び成長し続けるからこそ、変化し拡大し行動そのものを変えてゆきます。
---これほどまでに世の中は腐敗していたんだ。
---これほどまでに酷く騙され続けてきた世の裏側を知れよ!知ることが成長だ!知らせることで世の中を変えるんだ!
と、叫ぶ限り、自分がその負のエネルギーを焚き続けます。
上記のように「全体が底上げされている」いま、それを続けるのは「もはや、自分が悪・負の力そのもの」に成り下がっていることを知れば恥ずかしさの極みに至り、大きな顔をして人前を歩くことさえできないはず。
当然、自戒を込めて。
だからこそ、無限階段を登り続けるのです。
何もネガな裏側を無理に知らなくてもよいのです。
知る必要が出てきたのなら、その人のそれぞれのタイミングで必然的に知ることになるのですから。
知らせることで世の中を変える...などという発想こそ、悪平等に洗脳された恥ずかしい行動かと。
穏やかに風にそよぐ樹々は、悪事を知れ!と叫びますか?
静かに丸くなって眠るネコは、裏側をもっと多くの仲間に知らせる必要があるんだ!と行動しますか?
いつまでも教育洗脳や支配構造の中で隷属化されてきた「クセ」を握りしめたまま、旧いレイヤーの上で踊るのは終わりにしたいもの。
それを「強く握りしめた手を開き離す」のだから「手放す」というのではありませんか。
その姿、
それは、もはや恥ずかしさ以外の何ものでもなくなりつつあります。
それは、自ら輪を掛けて負の因果を増大させるばかりです。
そして、
この地・この世を「さらに痛めさらに苦しめさらに酷い現実」を作り出しているだけの存在となり落ちぶれてゆきます。
心静かに。
心穏やかに。
望む世は、望む心の波動により生み出すもの。
それを、先人は「想念」という言霊に託して使いこなしていたのですから。
この森の息吹を受け取り、それを拡大上昇させてゆきます。
それが望ましいこの先の世の風景であるからです。
2024/08/15(Thu) 19:49:10 | New Age