「氣」とはエネルギー存在だから

語り尽くされた、とは、まだまだ言い難い現状。
これから知り・学んでゆく必要があります。
そこにある「何か」。
それは、
物質・実体としてのモノではなくて。
感じることができる何らかのエネルギー。
なんとなく、でも目に見えないもの。
それが氣の正体。
人の意識も、同じようにエネルギーとして伝播します。
心に抱くだけで、その力が向けられた先へ伝わるのです。
人に向ければ、その人へ。
植物へ向ければ、その植物存在へ。
向けた先が「受け取らなければ」その力は自分に戻る。
それが仕組み。
負の念を特定人物に向けたなら、受け取られなかった負のエネルギーは自分に還る。
逆に、望ましく心地良く幸福感に満ちた力を手向ければ、その力も伝わること。
これが因果の仕組み。
先人は、これを「想念=物質界に顕現化させる方法」として知っており自ら実践していたのです。
だからこそ、望ましい風景を描き続けることで、望む世界を創り出すことに成功していた。とされます。
---望ましいことだけではダメだ。
---苦しんでこそ成長がある。
その論法は間違いではなかったわけですが、それを体験し対極にある価値の重要性を知ったのなら、その後は、もう選択する必要がありません。
もう重ねて語る必要はないでしょう。
抱くエネルギーを顕現化させるのは自分自身だから。
その学びは、ごくごく初歩の教育過程で、対極を知ることでその反対側の価値の意味を知り体験する目的でした。
学び終えたなら、もう負のエネルギーをいつまでも焚き続ける必要がなくなります。
ブルースクリーンに、無限再起動ループ。まいクソそふと野郎め。
と、騒げば騒ぐほど、その現実を自分で強化し維持します。自分がそのエネルギーを補充し続けているのですから。
そして、それを望んでいるとの意思表示をし続けているのですから。
学んだはずだったのでしょ。
いえ、なんにも体得しなかったのですね。
それに何年も前から、そうした状況が発生するリスクが語られてきたのです。
いつまでも学ばない地球人。
いつまでもその現実を作り続ける地球人。
まだやりますか。いつまでやりますか。
心が現実を創ります。
抱く想念が物質を顕現化させます。
氣とは、エネルギー存在だからこそ、その力が大きな影響を及ぼすのです。
(ここ半年ほどは、海外IPアドレスからのアクセスが膨大な数に増えています。
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2024/07/21(Sun) 10:13:05 | New Age