「まじめ」と「良い子ちゃん」を混同しない

真面目(まじめ)に生きる。
その姿に対し、何か訳もなく反発してしまう。
まるで、おすまし顔をした学級委員長に反抗するかのごとく。
ちょいワルがいいんだ。てな感覚。
他方、
良い子ちゃんで居ること。
言われたまま、人と同じようにすることが偉いと思っている。
これが正しい道だと取り違える。
いつまでも真逆ばかりに向き続けています。
それも、その人の霊性そのもの。
御霊(身魂)相応。
真面目に生きる。とは、
生きとし生けるもの万物に感謝し、この地でこの体を使わせていただき学ぶことができる。
ここに最大限の感謝を忘れず、借り物は大切に扱う。
口にするもの二つ(言霊・食べ物)を大切にする。
すべての生命に対する感謝の心を忘れない生き方。
植物の存在がなければ、一回の呼吸さえできないのです。
良い子ちゃん。とは、
この地を支配する権力者によって教育段階から刷り込まれてきた洗脳。
人と同じことをするように思考が固着し、自ら考えることを放棄、言われた通りに生きることが正しいと思ってしまう。
人と同じであることが正義であり第一優先順位、毒をも食らう。
それが良い子ちゃんとして生きる姿。
どちらが正しいか・正しくないか。
その論点は、とうの昔に過去になったはずです。
どちらも正しく、どちらも正しくない。
自分の心がそれを決めています。
どう思うのかは自分次第。
それが、身魂相応。
借り物の体をお返しした時点で、相応の道に進むだけのこと。
人間として再び生きることはもう叶わない。そうした存在が多数とされます。
その結果を生み出したのは、過去の自分。過去の判断と意思表示。
真面目に生きてゆきます。
美しい姿を披露する仲間とともに。
2024/05/27(Mon) 17:28:46 | New Age