そこに響き渡る音色を

この国に生まれこの国で育った人は、誰でも容易に感じることができるはず。
そこに響き渡る、小鳥の囀り。
そこに流れる、風の香り。
そこに満ちる、心に響く音色を。
感じよう、と、意識してみれば「感じられる」はずなのです。
ところが、
盲目的に、口を開けて待っていれば「自動的に与えられる」というスタイルに麻痺してしまったわたしたちの感性。
感性とは、偉い先生が演台で語る「文字に落とし込めないほどの難しく高い芸術性」のことではなく、特別な能力がなければ「受け取れず・感じられない」、別にそんな高尚なものではなかったはず。
自分から「合わせて」ゆきます。
それは無理矢理に「全く楽しくもないのにわくわく」することではなく。
それは無理をして「感じたくないタイミングに」心を開くことでもなく。
自分から、感じてみたい。
と、響いた瞬間に。
自分から、感じてみよう。
と、閃いた瞬間に。
心を合わせてゆきます。
まさに、勝手に、とでも言うような感覚で心が動く瞬間があります。
そのタイミングを逃さず、そこにある波長に合わせてゆきます。
そうすればこそ、
思いもよらない「大きく、そして暖かく包み込む」力がそこに存在していることに氣がつきます。
自然とともに響き合う。
それは生業として従事するという形ではなくとも、心の波長がガツンとシンクロした瞬間が判る、その感覚。
大切にしたいと思うのです。
そこに響き渡る感覚を。
そこに響き渡る音色が理解できた瞬間に、感謝の氣持ちが溢れ出ます。
こうして生きていることに。
このような体をお借りして、調和と共鳴の波長を体験できることに。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/07/12(Wed) 20:35:41 | New Age