周波数の乖離が一層激しくなり

周波数の乖離(かいり)が一層大きく激しくなってきました。
自分の意識が持つ周波数と合わないもの(人)は、このようにしていずれ見えなくなる、と伝えられている意味がよく判ります。
過去2012年には、激しく風景が変わらなかった=何も起きなかった。と文句をいう人が続出しました。
そして、昨2020年の冬至にも似たような感覚で、自分は何ら普段と変わらないけど...と。
さらには、今2021年の5月末からの重要ポイントに加え、夏至を通過しこの7月を過ごしています。
はっきりともう全く別の世界に入っているではないですか。
こうしたさまざまな変化を感じ取ることが難しい、自らの心のセンサーのサビ付き・機能麻痺が表面化しているケースでは、センサーそのものが機能していないために、その機能停止・腐っている状況さえも捉えることができず、また機能停止を知らせるアラームも備わっていないようです。
この状況は、裸の王様が自らの姿に氣づくことができないのと同じではないだろうか、と思うのです。
目の前の風景が変わらない。
その意味は、
緑色の葉が赤色に突然変化する。といったようなものではなく、その深みの具合だとか視覚以外の感覚と合わせ技でエネルギーを伝えてくる、といったような、自分の感覚の側が変わってきたために、感じ方に変化が生じている。ということではないでしょうか。
それは、過去には「氣のせい」という言葉を使い「氣というセンサーの感度」が変わっているから変化しているのですよ、と伝えていたはずなのです。
それが、
いつの間にか、思い過ごしであり何も変化はないのだ。といった方向に書き換えられてきたのかもしれません。まさにマンデラエフェクト・シフトが、この言葉に対しても起きてきているのかもしれません。
このように、一切の「ほころび」を起こさずに、共振共鳴する周波数に必ず合致するものが集います。
物理法則そのものではありませんか。
そして、その共振が物理的肉体や物理的高密度の地球上で「当たり前」という名の集合意識に定着した時点で、わたしたちの共通認識となる。と語られている通りに現実が進んでいます。
周波数が合わず乖離度合いがどんどん激しくなりますと、いずれ完全に分岐分離します。
どちらが良い・良くないはありませんし、どちらが正しい・正しくない、という判断も存在しない。と伝えられている通りです。
自分の心が感じる感覚、直感と勘が「何をどのように伝えてくるか」にフォーカスを集中し、「何をどのように感じるか」だけを羅針盤とする時代に突入したようです。
人の心、人の意識は千差万別です。自分の心の中にだけ答えが存在しています。
社会の混乱、それはもはや過去になりました。今後消滅が確定しているタイムラインからは卒業したのです。
過去アーカイブは大量に残していますのでどうぞご自由に。
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地球とつながる感覚を
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2021/07/19(Mon) 17:14:40 | New Age