"How to"思考?

ハウツー(How to)思考とでも言うのだろうか。
○○の撮り方は?
XXの撮り方は?
といったような「事前に誰かが用意した型」を選んできてハメ込む思考が増えているように感じる。
[〇〇の撮り方??(2017.3.5記事):Link]
こちらにも同じ内容を記載している。
時代の流れなのだろう。
スマホにもプリセットフィルターがあってそれを適用するのが当たり前になってしまった。
お決まりのお約束。
それが良いか悪いか、を論じるものではない点、まずお断りを。
90分や120分の講演の後、ご質問としてお聞きする内容が「○○の撮り方は?」といった言葉に近い内容が増えている。FMラジオでのお話しの後にも、似たようなメッセージをいただくケースがある。
今にも雨が降りそうな状況で、秋晴れの花壇の雰囲気のように撮りたい。
という希望は、多くの場合、叶えられない。まず、影が出ないのだから。
そのように見せる画像処理があるんでしょ?
と、返されると言葉が出ない。
過去にも「雨の中の桜」を「晴天の空に咲き誇るように」撮りたい。というお話しがあったような。
青空だけを曇天・雨天から青空に加工すればいいんでしょ?その方法は?
という感じだったか。
「事前に誰かが用意した型」
自分の知らない「型」。それは、フィルターなのかもしれないし、新たなアプリかもしれないし...。
それを知りたい。という世の中になってしまった。
曇天の花壇なら、その今にも雨が降りそうな雰囲気の中で、しっかり咲き誇っている姿を残してあげればよいと思うし、厳しい冬を越して花開いた桜なのに雨に濡れているなら、その冷たい姿を印象的に語る。
こうした方法もあるように思う。
魚なのに食感は牛肉のように料理する方法?
パンなのに白米のご飯のような食感?
もう、これは一部現実のものになっていないか。
「フィルター遊びにはじまった意表をつく。」という手法は世の中を破壊し尽くすのだろうか。
自然に向き合う姿勢を忘れ、そして自らのアタマで考えるアクションをやめてしまった人間はどこに向かうのだろうか。
2018/10/17(Wed) 10:57:00 | photo blog