写真に内包される撮影者の心

古いアーカイブHDDを開く必要があったので、2004年の撮影データより一枚。
13年経過してみると、当時「何を感じ、何を思って撮った」のかといった記憶が完全に消え失せている。
何も感じず、単に目の前にある被写体を記録しただけだったかもしれない。
どこにも押しを感じず伝える力が弱く、どことなく寂しい。
この後、半年経過してから病床に臥すことになる。
写真に内包される撮影者の心。
そういったものが存在するのかしないのか。といった論議は不要かもしれない。
2017/06/09(Fri) 21:54:05 | photo blog