自分の意図で撮る写真

機器の性能が飛躍的に高まり、人間の能力をはるかに超えるようになると、人間は何をする必要があるのだろうか?
Auto focus が、その速度と精度で人間の目を凌駕したのはもう何年も前の話。
Auto exposureは、シャッターが開くまさに直前の露出を調整する。
だが、それぞれの機能と特性は極めて優れた性能でありながらも意図しない結果を生むことがある。機器はプログラムされ動作指定された通りに働いているのだが、「この場合は違うんだよ!」という例外的な条件下では、本来の機能とは異なる結果が求められる。
ここを間違えずに自分で補えば良いだけのことなのだが...。
この機能は未完成、だとか、メーカーが精度を高める努力を怠った...など、批評家が酷評する。
機器は道具なのだから、異なる結果を求めたい場合には、望む結果になるように人間が操作をしなければならない。
これを「道具を使いこなす」と呼ぶ。
バーカウンターの雰囲気を伝えるように、色調(色温度・ホワイトバランス)や明るさ(露出補正)やボケ具合(絞り・レンズ選択)、そして構図を「自分の意思で」コントロールすることこそ「写真を撮る」と呼ぶのではないのだろうか?
機器のオペレーターに徹してばかりで写真を撮る人が少なくなってきているように感じる。
2011/10/31(Mon) 22:11:48 | others
Re:自分の意図で撮る写真
hiroshiさまご無沙汰しています。コメント有り難うございました。ご返事遅くなり失礼します。
フィルム撮影を知る方々にとっては、自らのアクションで操作・設定することが当たり前だったはず。
技術革新とそのプロダクトは、人間の操作で補完してこそパーフェクトな結果を得られるもの。
という発想がない人には「使いこなし」は難しい時代になったのだと思います。