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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

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森の精霊に会いにゆく

森の精霊に会いにゆく photo 宮本章光

いまから55,56年ほど前です。
父に連れられて、近場の山へ登る機会が多くありました。
そうした環境が身近にあったこと以外に、専門的な登山趣味を持つ父の影響も大きかったように思われます。
わたしは幼稚園児あたりの時代ですので、短いハイキングコースをトレースするだけではありました。

こうした機会に教えられたこと。
それは、
「森の生きもの」を意識してみるといった感覚でした。

目の前に見える「植物・樹々」。
周囲に響く小鳥たちの囀り。
見えないほどに小さい「昆虫や土中の微生物」。
これらに加えて、
「そこに存在する氣」を感じることを教えてもらったのでした。
(父は氣という言葉は使わず、空氣を感じる、という表現だったように記憶しています。)


氣とは何なのか?
深呼吸をしてみますと、森にある独特の香りを感じます。
その嗅覚だけではない、心地よさがあります。もちろん目に見えません。
これこそが、森の氣の正体だと容易に理解しました。

幼稚園児であっても...、といいますか、その世代の子どもだったからこそ感じることができたのだと思います。
過去に何度も綴りましたが、わたしは幼稚園時代には、人のオーラを「色」として認識していました。
残念ながら、その後この能力を失ってしまったことさえ認識から消滅してしまいました。
現在も、まだ復活は果たせずのまま。


曇り鈍ってしまった感覚を取り戻します。
そのための、わたしのNew Version、氣の感じ方です。

--深呼吸します
--周囲の音に注意を向けます(この部分が現在の最新版)

これで、一瞬にして「森の氣」にフォーカスが合います。
香りとともに「言葉にできないエネルギー」を感じます。
加えて、
「鳥の囀りや葉の揺らぐ音」に意識が合います。

おまけとして、市街地の喧騒・近隣に位置する学校から響く楽器の音が聞こえることもあります。けれども、それらを無理に消そうとする必要はありません。
これらをトータルで「感じる」こと。
この「浸る感覚」を感じるだけでよいのです。


森の精霊...などと文字に落としますと、いわゆる苔むした、数千年間の永きにわたり前人未踏であるような神秘的な風景がイメージされるでしょうか。
メルヘン的。ケルティックな世界なのでしょうか。
でもこれは、人の意識がそのように創り出したもの。人の想念が、ある閾値(しきいち)を超えて、具現化したもの。


身近にある森にも精霊は存在していることが理解できます。
そこに浸り・感じるだけで。
但し、自ら「感じようと」しなければ感じることはありません。
この部分、とても大切だと思われます。

わたしたちは、口を開けて待っていればベルトコンベアで運ばれてくるスタイルに麻痺しているのです。
---重要なことは、先生が教えてくれる。
---プライオリティの高い情報は、メディアが声高に伝えてくれる。
この感覚こそが、故意に仕組まれ作り上げられた隷属化のための洗脳結果でした。まったく逆方向に!です。


森の精霊に会いにゆきます。
そして自分からセンサーをOnにしてそのエネルギーにシンクロします。





2024/07/20(Sat) 10:51:32 | New Age

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