流れの中にある力を受け取る

目に見えなくとも、そこにある何か。
何か、感じるものがあれば、そこにエネルギーが流れていること。
額(ひたい)で受け取ります。
頭頂は、受け取りではなく「放出」の場所のように感じます。
(個人的感覚:現時点のわたしの場合は)
見上げると、額と空とが面的に平行になることで、受け取りやすくなるように感じます。
メガネの鼻かけ部分から、額を縦断して頭頂までの線を意識すると、そこに共鳴するように思われます。
だから清潔に保つ必要があるのでしょう。
だから丁寧に顔を洗わねば、共鳴しないのでしょう。
何かしら、そこにあるものを。
何となく、そこから受けるものを。
これこそが、まさに「氣のせい」であり、そこにある「氣と言う名のエネルギー」を、何となく感じている。
という状態を示していること。
氣のせい=思い過ごし。と、教育洗脳により物質至上・唯物主義に刷り込んだ悪しき歴史を覆すには、自分からアクションを起こし、自ら選択する必要があるはずです。
流れの中にある目に見えない力を受け取り、そこに響き合います。
共鳴体験こそが、力を受け・放つプロセスであることに理解が及びます。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
2023/12/18(Mon) 12:22:10 | New Age