情報過多な時代の判断
現在、とにかく情報が大量に存在します。
webは情報の宝庫、といえばポジティブではありますが、実際のところは腐敗した生ゴミの山のような印象かもしれません。
その中に、割合としては非常に僅少な「有用」情報がある。
このようなイメージがあります。(個人的感覚)
何が有用なのか?は、個々人の捉え方により異なって当然のことと思います。
調べれば調べるほどに混乱を招き、真実にたどり着けなくなるケースも多いはず。
現在、そのようなタイミングなのだと感じます。
---Aの情報にはAが正しいとし、Bは誤りである。と。
---Bの情報ではBが正しいとされ、Aは間違っている。と。
ここでCの情報を入手すると、AもBも誤りである。と書かれているかもしれません。
先の記事でも触れました。
このようなケースでは、真偽の追求に費やすパワーを自分の直感に向ける方法もあると思っています。
もちろん、その判断が誤りであることもあるはずです。
しかし、
自らの心に尋ねたのですから、誤りであっても「その時点で軌道修正」すれば良いのだと思います。
災害が予想されるタイミングではそんな悠長なことは言っていられないため、目の前の対策を最優先しなくてはなりませんが、それ以外のことであれば、心に尋ねるトレーニングを重ねるのも意味があると考えています。
webは情報の宝庫、といえばポジティブではありますが、実際のところは腐敗した生ゴミの山のような印象かもしれません。
その中に、割合としては非常に僅少な「有用」情報がある。
このようなイメージがあります。(個人的感覚)
何が有用なのか?は、個々人の捉え方により異なって当然のことと思います。
調べれば調べるほどに混乱を招き、真実にたどり着けなくなるケースも多いはず。
現在、そのようなタイミングなのだと感じます。
---Aの情報にはAが正しいとし、Bは誤りである。と。
---Bの情報ではBが正しいとされ、Aは間違っている。と。
ここでCの情報を入手すると、AもBも誤りである。と書かれているかもしれません。
先の記事でも触れました。
このようなケースでは、真偽の追求に費やすパワーを自分の直感に向ける方法もあると思っています。
もちろん、その判断が誤りであることもあるはずです。
しかし、
自らの心に尋ねたのですから、誤りであっても「その時点で軌道修正」すれば良いのだと思います。
災害が予想されるタイミングではそんな悠長なことは言っていられないため、目の前の対策を最優先しなくてはなりませんが、それ以外のことであれば、心に尋ねるトレーニングを重ねるのも意味があると考えています。
2020/09/05(Sat) 21:11:00 | New Age