画像データの記録ではなく

クルマの自動運転といった話題が賑やかになってきた。
AIの活用はあらゆるフィールド・生活圏に及ぶ。といった感じだろうか。
近い将来、自動運転が当たり前になっているのかもしれない。だが、自分自身で運転に関わる操作を行う楽しさは変わらないだろうと思う。
いや、むしろ何も操作しないのが当たり前の時代になっていればこそ、手足を使って「思いのままに」ギアシフトするタイミングを楽しんだり、ステアリングから伝わる微妙なコーナリングの手応えを味わったりしているはずだ。
(化石燃料や排ガス等、法的な規制も実際にはどうなっているかは判らないが。)
スマホカメラが高度化した現在、既にシャッターをタップするだけで画像データが記録できる時代になった。
しかし、マニュアル操作一眼レフカメラのように、露出を決め、光を見極め、構図を決め、ピント位置を決め、自分の手と眼をフル動員しシャターのタイミングを楽しむ。そこにはメカニカルなパーツが高度に組み合わされ稼働する「音や振動」があり、これこそが写欲を高める。
カメラに撮らされた「画像データ」ではなく、
自分の手と眼で撮った「写真」をいつまでも楽しみたいと思う。
2016/06/26(Sun) 15:17:46 | photo blog