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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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違和感こそが波長のシンクロ可否を示す

樹木に波長を合わせてみる photo 宮本章光

すべての存在はエネルギー。
各エネルギーは固有の波長を持っています。


その波長に意識を合わせてゆきます。
言葉は聞こえません。
もし聞こえるなら、それは何らかの存在に操られているのかもしれません。

言葉で例えるなら、
「そんな氣がする」。
これが最も近い感覚ではないでしょうか。

明確ではありません。
しかし、もし異なる波長であったなら、氣がする... 感覚は皆無です。
また、
もし拒否されるエネルギーが放たれていたなら、そこには違和感として大きな齟齬を生む感触があります。
こちらは明確に感じるものですから、「シンクロしない感覚」がはっきりと体感できます。


こうした違和感から、導き出すのも一つの方法だと思うのです。
違和感こそが、波長が響き合うかどうかの判断材料だと。

違和感がある:波長はまったく合わず且つ負の方向への放射もあるかもしれません。
違和感がない:そんな氣がする。これが、同じ・あるいは似た波長である証明でもありましょう。

逆説的ではありますが、一つのシグナルとして違和感の感じ方に意識を巡らせるのも有効かもしれません。




穏やかに過ごせば穏やかな現実が

ペチュニアの力を受け取る photo 宮本章光

静かに過ごせば静かな風景が。
穏やかに過ごせば穏やかな現実が。

想念が現実を顕現化させる仕組み。


大いなる仕組みに「氣づかせない」ように故意にNoiseまみれにされてきた過去。
消滅することはない仕組みである以上、そこからフォーカスを外す、周波数を異なる領域へ持ってゆく。

それが自分の選択。
これが現実創造。

穏やかに過ごせば、穏やかな目の前が現実となってゆきます。




静かに過ごせば静かな世界が広がる

どくだみの花が開く photo 宮本章光

想念が現実を創る。
思えばこそ、思うように目の前の風景が作られる。

これが大いなる仕組み。
仕組みそのものを「神」という。
だからこそ、
この国の先人は、八百万の神と呼び、あらゆるものに感謝を捧げ奉った歴史があります。


支配者層により世界規模で捏造された「歴史の教科書」をいつまでも後生大事に抱き抱えるなど、とっととやめることです。
教職・教師職の人ほど強烈にこびりついた洗脳が解けないように見えます。
自分がウソを教えてきたことを認めようとはしない。頑固すぎる洗脳。
あるいは「Android存在(プログラム通りにしか思考できない負の力で世を混乱させる目的で意図的に造られた人間ではない人間)」である証明かもしれません。

それも個々人の自由。氣持ちは理解できますが。
いずれ騙されてきた世の中が公になった時点で激しくショックを受けるか。
あるいは、
それより先にお借りしている体の使用年限が到来しこの世を去るか。

この地を離れても、やり直し授業を受けなければ成長できない仕組みです。そして合格を手にするまでは永遠に同じ教材をトレースするしかないのです。
どのタイミングでその大いなる仕組みに氣がつくか。それだけ。遅いか早いか。

この世もあの世にも終わりはないのです。
あるのは、ひたすら「自分で成長しようと望み、登り続けようとする永久に続く無限階段。」があるのみです。


仕組みを知るために。静かに過ごします。

静かに過ごせば静かな現実が現れる、といった、物質次元の顕現化を体験することよってそれを学びます。
踊らされている限り、その喧騒(Noise)にかき乱され、仕組みを学ぶレベルに到達できないわけです。

静かに過ごせば静かな世界が広がります。
それ以外に進化・成長の道はない。と語られている通りです。




健康疲れ?なる奇妙な言葉

どくだみから受け取る photo 宮本章光

この国の言葉は、複数のワードを連結して造語しても意味が通じるのが素晴らしいところ。

健康に関することばかりを意識して取り組んだ結果、疲れ果てている人が多いのだとか。
それ、言葉を勝手に作るだけでなく、そうやって「誘導する」故意に負の力を生むための仕組まれたワナだな、と感じませんか。

疲れ果てるほどにまで熱心に取り組む人もあるでしょう。実際のところ。
けれど、そこまでやれば健康になって疲れなど吹っ飛ぶに違いないと思うのです。
それより、逆の結果になる時点で「自分は間違っていた」と氣がつくはずなのであって、それさえも理解できないレベル。まさに踊らされているだけ。
あぁ、また、負のエネルギー欲しい欲しいビームが発せられているな、と氣づくでしょう。
あるいは、その裏に利権がある、これまた仕込みなのだろう、と。


恐怖を煽るやり方。もうバレバレです。
そこに乗っかって踊りたい人だけ、氣が済むまで踊り続ければいい。
泥舟はまもなく沈みますから。どうぞ崩壊・消滅の道を。

ええ、このように故意に仕組まれたワードに乗っかることで、わたし自身がそのエネルギーに燃料を注いでしまいます。
だからフォーカスを外します。
さよなら、不健康。
さよなら、意図的に仕組まれた負のエネルギー。

こういうことなのですね。
現実創造。心が生み出す顕現化の仕組み。
この乱世を4年間も病と完全無縁な生活ができること、素晴らしい体をお借りできること、そしてそれを維持するために支えてくれることに感謝を忘れてはなりません。

うれしうれし・たのしたのし、と生きるとは、まさにこれなり。
ありがとうございます。




もう氣づいたろう想念が現実を創ると

2024年6月に巡り会う空 photo 宮本章光

もう多くを語る必要はないでしょう。
想念が現実を創り出すのだと。


この数年の台風しかり。
ここ数日の大雨しかり。

多くの人が、このようにして描き出せば描き出すほど、より強固に現実が顕現化してゆきます。
けれど、すべての人でなくとも・多くの人でなくてもよいのだと。

自分が創り出すのは、自分の現実。
自分が創れば、自分の風景が変わることに。
もう氣づいたでしょう。
想念が現実を創り出すということに。
ならば、取り組むべきは「ただ一つ」。

いつまでも踊らされるAndroid(人口の9割とも言われるこの世を混乱させる目的で意図的に造られた人間ではない人間)から離れること。
いつまでも踊らされる「旧いレイヤーに住みたい意志表示」をする人から離れること。
いつまでも踊らされる自らの心のセンサーが機能しない人から離れること。


自分ひとりでよいのだということに。
自分だけで創ればよいのだということに。
もう氣づいたろう想念が現実を創るのだと。




登り続けるのが標準仕様

登り続ける photo 宮本章光り

理由はない。
けれど、
目的は「ある」。

成長のため・学びのため。
精神性拡大のため。


ところが、このように語られ水を差すのです。
登ったら、次は下ることを考えないといけませんよ。と。
時間配分も、体力温存も。

しかしそれは、この地においてのみの特殊事情であったこと。
それこそが、この地をいつまでも支配下に置き一般臣民を隷属化したい権力者層の思惑でした。


登った先には、さらに登り続ける階段に、上昇ロードマップが示されます。

それが成長。
それが目的。


下り、戻り、再び旧来の体験を繰り返すのも自分次第。それぞれの自由。
永遠にそれを続けたいという意志表示。
永遠に隷属化され続けたいとの自分の選択。
そこには、成長も学びも拡大も存在できないことが明確に示されたにも関わらず。


拡大し続けるのが標準仕様。
上昇し続けるのがデフォルトの設定。




著しく波動が低下するその理由

みどりに触れ落ち込んだ波動を戻す photo 宮本章光

波動が低下すると、エネルギー不足の様相を呈します。
どこかへ漏れ出している感覚。
あるいは、
どこかへ吸い取られている感覚。
まるで、ザルで水を汲んでいるかのように。

物質・物理次元で体をお借りし維持している以上は、その不調を戻す必要があります。
少なくとも「この体の最高管理責任者」としては。


原因はさまざまでしょう。もちろん人ぞれぞれ。
しかし、一つだけはっきりしていること。共通していること。
それは、
ノイズの影響を多大に受けている状態であると。

顕在意識レベルの感覚では、メディアに触れないだとか、心地よい感覚を台無しにするエネルギーから離れる。だとか。そうした対応が取れるように思われます。
けれど、
そうした「判る・目に見える」場所にはない、潜在意識レベルで強烈にダメージを受けていると、氣がつかないうちに疲弊します。

過去、それは気候変化(気圧の変化)が多大な影響を及ぼしているとされました。
いまここで理解に及ぶことは、
もちろん気圧も多大な影響があることでしょう。まして故意に大気圏を荒らし回る操作が日常的に行われている以上は。
しかしながら、上記の潜在意識レベルで「エネルギーが枯渇」すると、同様の状態を感じるようだと分かってきました。

そんな目に見えないもの...と、一蹴するのは自由です。それがその人の選択。
終焉を迎えた唯物主義を貫いてくだされば。泥舟に乗船し続けるのは自由です。


現実に激しくエネルギー不足に陥ると、初めに記したような「ザルで水を汲む」感覚とでもいうのでしょうか。
暖簾(のれん)に腕押し。でもよいかもしれません。
漏れ出す・吸い取られる。そんな感覚を感じます。

そして容易に答えが見つかります。
漏れ出す・吸い出される。その現象が顕現化する周波数に合致しているからだ。と。
しかも、自らその波長にチューニングして「いない」にも関わらず。です。
これが潜在意識というクセもの。

回復するための手立ては。
自然からチャージしてもらう以外に方法はないようです。
漏れ出したもの・吸い取られたもの。それに等しく符合する力を得る以外には。
光り輝く緑のエネルギーを借りにゆきます。

これがエネルギーバランスの大原則。
質量不変の法則(ラボアジエ)などという旧レイヤーの物理法則さえ雄弁に語ります。
そして、原因にバランスする結果という因果応報の大法則までも。




大難を小難に無難にするのは自分自身

紫陽花から力を分けていただく photo 宮本章光

大難を小難に、そして無難に。

語り尽くされてきたように思われます。
けれども、本当に理解できているかどうか、極めて疑問に感じます。


災いが予想していたよりも小さくて済む。
言葉の上ではそのままです。

けれど、ではなぜそうなるのか。どうしてその結果が導かれるのか。
もう理解できたはずなのに、同じ落とし穴のワナに「いつまでも・何回も落ち続けて喜ぶ」ような悪趣味に興じる人間が多い地球という名の現次元・この世。

理解できています。
ええ、自分の選択が現在の状態・状況であると。
本当でしょうか?本当に理解できていますでしょうか?

3年前に選んだ「自分の選択」が、いま、ここで答えになっているにも関わらず、その原因を生み出した自分を棚に上げて「誰が悪い・どこが狂っている」と叫び続ける。
たまたま「運良くはずれクジ」だった方々も、そのように導いてくださったご先祖や天界の存在に感謝こそすれ、目の前に渦巻く負のエネルギーに燃料を放り込まない、触らないことです。

大難を小難に変えるのは、自分の選択だったこと。
何〜にも学べていない証明でしょう。


選択とは「何を信用して行動するか」ということ。
信用とは「どれを選ぶか」ということ。
誰も強制も強要もしませんし、選ぶのは自分だと。

悪意を持って隷属化・支配化しようとする特定層の存在が猛威を振るうこの世。
しかし待ってください。
そのエネルギーを「焚き続け・燃料を焚べ続けている」のは誰でしょう?
燃料が途絶えれば、その負の力は消滅するのです。誰かが消し去ってくれるのではありません。

いまやっていることは、
「小難から大難へと」わざわざ反対に拡大してしまっているのではないかと。
逆噴射させ続けるのは、自分の「選択」。それこそが責任だということ。


大難を小難に・無難に。
それは神に祈ることだ、と信ずる人はそれが正解でしょう。人それぞれ。それが選択。
あるいは、自らの心が生み出すパワーに氣がついた人は、その膨大なエネルギーを活用する道を選ぶでしょう。

選択とは「何を信用して行動するか」ということ。
信用とは「どれを選ぶか」ということ。

大難を小難に・無難に抑えるのは、他でもない自分の心・自分の選択。
正反対に拡大する理由は、自分の心がそれを顕現化させているから。もういい加減にしなさい!ということです。
「変な天氣やねぇ。梅雨やからねぇ。大雨らしいわ。被害がでないといいけど」...。
高いところから見下し、よい子ちゃんで居続けるのも大概にしとけよ!と。
いつまで天氣予報だとか盲信し、そのように仕組まれた負のエネルギーを撒き散らし「きしょーそーさ」のワナに燃料を投入し続けますか。

離れます。
意識から外します。
そして、望ましい風景を描いてまいります。
美しく雅な、その姿を披露する仲間を見習って。





何でも祭りにせず静かに過ごす

夏至のエネルギーを受け取る photo 宮本章光

お祭りは活気があってよいと思います。
それは、長い歴史が刻まれてきた意義ある催事であったり、地元に密着した謂れのあるものであればこそ。

故意に騒ぎ立てる。
その裏には目的がある。
そんなエネルギーを感じると、一氣に祭りは台無しになります。


元来、昼の長さが最も長い。というその事象について、自然とともに暮らせる有り難さや、森羅万象すべての存在に対する感謝を伝える。
その日、夏至。今年2024年は今日6月21日。

精神世界の重要性とこれからの必要性を語る、とても大切な役目を果たす「はずだった」人たち。
けれど、
そこにはその道のビジネス要素がてんこ盛りで、いつしかこの日が祭りになっているように感じます。冬至もしかり。


大切なことは、
日々、この体をお借りして生かせていただけることへの感謝を忘れないこと。
それは、一年を通しての、さまざまな区切りごとにに認識を新たにする機会でもあること。

この日には〇〇をしなければならない。
だとか、
この日には〇〇を食べなければならない。
といったように、メディアが派手に騒ぎ立てる、だからその波動に乗せられて踊りまくる。
はい、チョコレート、はい、巻き寿司丸かぶり、で、タコに餅に、次は何でしょう。


大正生まれ96歳で他界したわたしの祖母。五十数年以上前の昔の話。
夏至には、きなこ餅を買ってくれた記憶があります。
それは、別にこの日でなくても良いのですが、幼稚園児のわたしに対して食べ物を口にする行動を通して、区切りの日を認識することの大切さを伝えてくれていました。

事あるごとに、何かを伝える。
毎日のように家にやってきては、必ず冷やご飯を温めて、布巾についた米粒一粒一粒に命があることを教えてくれたこと。
そして、冷やご飯を食べずに、手間をかけても必ず温めるその目的は、
最高の状態で食すことができるようにしてからいただくのが、お米に対して・そしてそれを作り上げてくれた農家の人たちに対しての礼儀である、といったようなことまで。

過剰意識かもしれません。
けれど、そこにはすべての存在に対して頭を深く下げる意識を忘れずに。との教えがあったこと。

この日、何を食べるか。
この日、何をしなければならないか。
そんな、メディアやインフルエンサーとされる人たちが騒ぎ立てる「どうでもよいこと」に心を奪われず、この先に望むものを創り出します。
ここにこそ大切な意識があること。
ここにこそ感謝を捧げること。


踊るのは自由。
踊らされるのも自由。
けれど、その先には望ましい未来は作り出せないでしょう。
なぜなら、
踊るように仕向ける支配者層は、隷属化すること以外に目的はないのですから。

ここに激しく違和感を感じる。それが正直な感覚ではないかと。
なんでもかんでも祭りに仕立て上げて騒がず、静かに過ごします。
素晴らしいエネルギーを醸し出す、美しい仲間たちの、そのパワーを受け取ります。
左手をかざしてみてください。
webを・この写真を通して、彼らの極めて強い力・美しい力が伝わるはずです。




感じればそれでよい

それぞれが個性 photo 宮本章光

個性という言葉に、周到に組み込まれた印象操作。

個性を大切に。
個性を伸ばして。
そう語る割には、人と同じことを重んじ、同じでなければならないと潜在意識に埋め込む。
なるほど、あらゆる場所・すべての物ごとにおいてセットで仕組まれた世でした。


卒業式にはどんな服装で行きましょうか。
卒業したらどこへ行く予定ですか。
あぁ、すでに卒業済みでしたね。

思考回路が別系統に切り替わって稼働している様子が肌で分かるようになってきましたでしょう?
見たこともないような外国に居るような感覚を受けませんか?
ええ、もはや、この地は自分の居場所ではなくなったことを感じます。

作り替えます。
建て替えます。
それは、意識の中・心の中から。

感じる心があれば、そこから現実という名の目の前が顕現化してゆきます。
感じれば、それだけでいい。
それが現実創造。
それがこれからの世の、自分の責任と行動。




科学的・論理的思考という名のワナ

みやび photo 宮本章光

この地は罠に満ちています。
それを体験する場所なのですから当然かもしれません。


--論理的思考ではないから、精神世界の語りなど誤りに決まっている。
--科学的根拠がないから、心の感じ方など妄想に過ぎない。

はい、この4年間ほどは散々な言葉を受け続けてきました。

罠(わな)は、落ち込むように意図的に作られているのですから、ハマってみて体験することが必要だったのでしょう。
けれど、一度体験し味わったなら、いつまでもハマり続ける必要はないと感じます。
まさに、永遠に罠にハマり続けて悦に入る姿。これでは一切の進歩が叶いませんし成長も望めません。
わたしはそれを選びません。


--科学的思考をすれば・論理的展開であれば「必ずそれが正しく唯一の答えである」。
--他の考え方は、すべて妄想に過ぎず正しいはずがない。
--心の世界を語るなど、うわついている時点で誤り以外の何ものでもない。
--科学的・論理的思考こそが唯一無二の真である。
そんな思考。
これ、学という名の洗脳だったことを説明する必要はないものと思っています。
そして、その善悪・優劣・裏表に分類するやり方。

「学という名の罠」にハマり続けるのはもう満腹です。


みなみな美しく。
みなみな麗しく。
その感覚を大切にすればこそ、その先に顕現化する道が美しく麗しく創造されてゆくことに。

いつまで罠にハマって苦しみ続けますか。




その先を目指して進む

ガクアジサイ2024 photo 宮本章光

ここまでの人、さようなら。
貴重な学びの機会をありがとう。
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ここからの人、こんにちは。
どうぞよろしくお願いします。
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この先をともに創り上げる人、ご一緒できるのを嬉しく思います。
楽しみにしています。
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集合意識、というワナ。
人類の集合意識が変わらないから世の中変わらない。という大原則・不変の制約に縛られていました。

この無意識領域に強固に絡め取られてしまって身動きが取れない。まるで不織布のフローリングモップクリーナーのように。
モップなら不織布部分を切り取って捨てるだけ。
それなら、
集合意識という呪縛から逃れるにはどうすればよいのでしょう。


やっとの思いで答えに辿り着けたようです。
同じように切って捨てるだけ。

ドラスティック過ぎる言い方かもしれません。
でも、それこそが「お手てつないでみんな一等賞」な洗脳教育で刷り込まれた「アカ」でした。

たとえ一人二人であっても、崩壊寸前のMatrixに傷を入れるだけでも、風船が破裂するように逆回転への起動トリガーを引くことができるはず。
最後の一厘の仕組みは、こんなところに隠されているのかもしれません。


ここまでの人、さようなら。
貴重な学びの機会をありがとう。

さて、
その次のステージに突入したようです。
ここからの人、こんにちは。
この先をともに創り上げる人、ご一緒できるのを嬉しく思います。楽しみにしています。




一期一会の仲間たち

山で出会う仲間たち photo 宮本章光

一期一会。
貴重な仲間たち。

そこに出会える周波数と、感じ受け取る波長とが響き合います。


この地で最も多い種が昆虫だと言われます。
地球上に存在する生命の種、総数約150万種類のうち90〜100万弱の種が昆虫であると。

骨格構造を持たず、多くが蛹としての完全変態のプロセスを経て成虫になる、その特殊な存在を意識する機会はあまり多くないかもしれません。
彼らの姿と生態を知るにつけ、人間の「学・科学」の解き明かす知識が、いかに僅少な部分でしかなかったかと驚くばかりです。
羽を持つ存在は、急上昇・急旋回は当たり前。跳躍能力に長けた存在は、体重や体長の何十倍もの移動を瞬時にこなします。
そこに、人間が知りうる物理法則を超えた「何か未知の仕組み」があるはずだと感じずにはいられません。

驕りを捨て、貴重な仲間の姿にフォーカスします。
そうすればこそ、そこに波長の響き合いが生まれてゆきます。

その一期一会の瞬間こそが、現実創造そのものだと感じます。




明確に意志表示します

IMG_8792_2024.webp

明確に示します。

わたしはその道を選びません。
わたしはその未来を望みません。
わたしはその現実を創造いたしません。


明確に描きます。

わたしはこの道を選びます。
わたしはこの未来を望みます。
わたしはこの現実を創造いたします。


これが行動するということ。
これが現実創造の仕組み。
これがこの先の世に必要とされる力・「氣」という言葉が指し示す本来の意味に沿ったエネルギーの使い方。




忘れた記憶を呼び戻す

エネルギーをチャージする photo 宮本章光

失われていたかのように忘れ去っていた記憶。
しかし、
それは過去に存在していたのではなく、いまここで同じ周波数に同期し顕現化していることに。


忘れた記憶を呼び戻すためには、
そこに記されたと同じ波長に心を合わせるのみであることに氣がつきます。

そしてその舞台・プロセスは、大いなる自然の力を借りることで可能になると理解が追いつきます。
忘れた記憶とは、
そのように創り上げた自らのシナリオに過ぎなかったことに。




めちゃめちゃ暑い?そうでしょうか

凛として photo 宮本章光

めちゃめちゃ暑い?
そうでしょうか。
早朝から大声で叫びまくることではないように感じます。

こうして人口の9割とも語られる「Android(bot):スマホのことではなくプログラム通りにしか思考できない人間ではない人間」は、情報という名のメディア発信プログラムに踊らされるのでしょう。


データを見れば一目瞭然です。ま、それが捏造されているのが今の時代なのですが。

例えば期間平均気温と日照時間、それに絡む降水量のデータ推移を。
期間平均気温:前30日間を比較してみると、平年差マイナス。
では、日照時間はどうなっていますか。
前30日間を見ますとプラスです。

このデータだけを見ても容易に判断できるはず。
「太陽が照っている時間が何割も増えている。それなのに気温はマイナス。」
では、
降水量を見てみます。
同じように見ますと、平年差とは大きくプラスです。

これらを総合して考えられることは、
太陽の照る時間は増えている、でも降水量はもっともっと増えている。
イコール夜間に多量の雨が降っている、と理解できます。肌感覚でも同じでしょう。
そして、日中はお天氣のよい日が多いです。清々しい氣持ちの日が多いです。肌感覚も同じでしょう。
それなのに、気温はマイナス。
やはり、これも肌感覚と同じ。=これまでの体験よりも、ずいぶんと涼しく過ごしやすいのです。
平年に比較して、今年は意外なほど過ごしやすい=暑くない、のです。


おひさまが照っている時間が増えたのに、気温がマイナス。どういうカラクリなのか。
それは、
「床暖房」が消えたからだ、と個人的には解釈しています。
床暖房とは何のことなのか。それはここでは触れません。わかる人には十分に伝わるはずですから。


いつまでもメディアに踊らされるAndroid(bot)。
支配者は、こうしてその存在をこの国に大量に送り込んだのでしょう。

生み出すのは自らの心から。
わたしにとって難しい・高いハードルは、Androidに揺さぶられるノイズから離れることでした。





数を追いモノを追い続けるのはもう終わりに

ひまわりが成長する美しさ photo 宮本章光

いつまで数を追いますか。
いつまでモノを追い続けますか。

そのタイムラインが行き着く先は、崩壊と滅亡しか存在していません。
物質至上主義社会の終焉です。
富の移転とその最大化を、学という枠に落とし込んだ経済学。
そして、資本主義という名の、富める者が貧者から追い討ちをかけ奪い取る仕組みを周到に組み上げた貨幣経済、さらに富を移転し拡大する隷属化と権力化の仕組みが、今ここに終わろうとしていることに疑いはありません。


原点回帰。
先人・賢人が遺した唯一無二の宝物。
それが「この国の言葉」。
「言霊。」「ことのは。」

大切にせぬなら、大切にしなかった結果を自分で受け取るだけのこと。
大切にしたならば、大切にしたエネルギーが生み出され、それが顕現化します。

この仕組みを知ればこそ、次のステップへの進級パスポートが提示されるはず。
ただし、
パスポートを持っているだけではその「新しい国」には入国許可が出ません。
試験があるのです。

極めて単純ながら、非常に困難な試験。
学生時代の恩師の言葉。
「試験は、あちらこちらに落とし穴が作ってある。そこにハマらないよう見つけられたなら、問題の半分は解けたと同じだ。」と。

落とし穴があることさえも氣づかないほどに「麻痺した心」で受験しても合格はおぼつかないでしょう。
試験には、篩(ふるい)にかけて「落とすため」の試験と、実力を測り「能力を見極める」ための試験があります。
現在は、
この前者、この先に不要な「魂・魂レベル」を篩にかける最後の審判。

この先に必要とされないエネルギーは消滅します。
それを自然淘汰という言葉に重ねて。

もうまもなく、数を追い・モノを追い続けるタイムラインにはピリオドが打たれます。




それも自分の選択・結果は自分で受け取る

IMG_8779_2024.webp

体によくないもの。
いつまで口に入れ続けますか。

仕方ないから?
時間がないから?
値段が安いから?

その言葉が生み出す因果、そっくりそのまま自分に返ってきます。
3年ほど前にも似たような展開、ありましたでしょう。

あの時、わたしに対して何と言いましたか。
そんな馬鹿げた話はありえない。君の頭が狂ってる。
そんなことをこの国ができるわけない。
世の中そういうことになっているんだから従うのが当然やろ。
幼児が駄々こねるみたいで見苦しいぞ。と。

そして今。その結果をご自分で受け取っているはずです。
ご縁が消滅した方々、多数。
見るも無惨な姿の方々、多数。
すでにこの地を去った方々、多数。
時限爆弾はご自分で処理なさる必要があります。

激しく腐ってしまい役に立たない「センサー」を、後生大事に持ち続けるのは、いい加減にやめることです。
ここで言うセンサーは、判断と思考回路を制御する、ご自身のアルゴリズムそのものであること。
この「最も貴重で重要なセンサーと制御装置」を新たな高感度・高性能の最新型へと取り替えることです。


他国ではハエが集っている食べ物でも食べるんだ。
日本人は清潔すぎるから抵抗力がなくなって、だからこれほどまでに病人が多いんだ。

そうでしょうか。
何をどのように理論展開なさるのも自由です。
それがご自身の選択ということ。
わたしはそれを選びません。


口にするもの二つ。
日本語という類い稀な言葉が生み出す言霊・望ましい世界線。
日本という国の先人が生み出した、貴重な食品の数々。

いつまで体によくないもの二つを口にし続けますか。
それも自分の選択。
そして、その結果は必ず自分で受け取り受け入れる必要があります。
今生を終えたあとでさえも...。
それも自分の選択。




世の中そんなに甘くない??でしょうか

そのままで美しい photo 宮本章光

言い尽くされた感があります。
世の中そんなに甘くない、と。

その言葉、間違いではないと盲信した過去があります。
しかし、
甘いか・甘く無いか、の論議も、ほぼ終焉の期を迎えた感覚です。
それは、
論点そのものが自らが勝手に作り出したものである、との結論に理解が到達したからでしょう。


甘い、と思えば甘い。
結果として、その甘いレベルを選択した自分の現実が具現化する。
甘く無い、と思えば甘く無い。
結論は、その高いハードルの茨の道を選択した自分の現実が目の前に顕現化する。
こういう仕組み。

思考停止するのはよくない。現実を直視せよ。
狂った世を変えるには行動せよ。
そう思えばそのように具現化する。
それだけ。

自分で作り出しているだけのVR。
そこまで知ったなら、
望ましい風景を描き出すことのみに注力すればよいのだと。

実際、この描き出すところそのものが難しかったわけでして。
でも、これさえも「難しいと思っていただけ」だったと理解できたのなら、それを乗り越えられるはずです。
口にするもの二つ(言霊・食べ物)を劇的に変える、と実行・実践してきたならば。


深く理解した人は、すでに実践・体現のフェーズに入っています。
自分の世界は自分で創る。
言葉面(づら)だけ・うわべだけをトレースして終わりの人は、こうした貴重な教訓と仕組みを、高いところから見下し、いつまでもその困難に満ちたハードルを自ら作り続け、超え続けなければならないことに意識が及びません。

それが自分の選択。
それが自分の意志表示。
身霊相応。

取り組むべきは「ただ一つのみ」。


まもなく舞台の幕が上がる

舞台を待つ photo 宮本章光

力を蓄え呼吸を整えます。
本番舞台を間近に控え。

幕が上がれば、
そこに目一杯の美しさを披露することでしょう。


一期一会の舞台のために。
静かに・穏やかに。
そして厳かに。

夜明け前が最も暗いことを。




美しいと伝える

足元から美しい力を引き上げる photo 宮本章光

踏み潰されそうな歩道の端に、静かに花開く。
誰に注目されることなく。


大声でアピールしなくとも。
数を追い数を誇る道を追い求めなくとも。

それが彼らの生き方。
それが生命の道。

美しいと伝える。
そこに顕現化する可憐なエネルギーをここに伝えるとともに。




真正面から受け取る

そのまま受け取る photo 宮本章光

真正面から受け取ってみます。
その存在が発する目に見えない力を。

そのためには、
物質次元の感覚とは異なる部分の能力が必要ではないかと感じるのです。
まさに、故意にスポイルされ眠り続ける98パーセントのDNAがここでこそ活躍の場となることを。


ありえない色に画像を加工して、人目を引くことだけを狙うだとか、
奇妙なコントラストや色転びを故意に発生させ、それをアートと呼ぶだとか。
もちろん人それぞれ、自由です。
その世界が立派に存在していることは認めます。

ただ、その「アート」の延長線上には、「そこに在るだけで価値がある生命存在の声を聞く」のは難しいように思うことが増えました。
周波数が違いすぎるのです。
完全に波長が異なるために、別の存在としてしか認識ができなくなっています。
さらに言うなら、
もはや体レベルでさえ「受け付けない」状態になります。瞬間的に。
心が入り込む余地は皆無です。


何かの料理を口にするとしましょう。
〇〇の〇〇です。と出された料理が見るも無惨でしかも味が既知のトーンとかけ離れているなら、それをいただくことは難しいでしょう。
それが新たな料理としての作品です。
と、語るのは創作者たる料理人の自由ではあります。ここを否定することはありません。

しかし、それを喜んでいただくかどうかは、口にする「受け取り側」の自由に委ねられるべきでしょう。


そんな「わざと遠回り」をして人の関心を惹く、という手法は、すでに手垢にまみれた旧いスタイルのように見えてしまうところ。一周回って「元に戻った」ことを感じます。

終末。大転換機。滅亡の瀬戸際。
元に戻すためにすべてを「更地」にする意味がここにあるように見えます。


真正面から受け取ってみます。
そこには、
人の手で弄り倒されたノイズまみれのエネルギーではなく、生命の根源から生まれる、強力で且つ暖かい力があることに氣がつきます。




この顔をよく覚えておくがいい

送電線と鉄塔 photo 宮本章光

何が行われている(いた)のか。
どのような目的で利用されていたのか。
電力を遠方へ送り届ける...などと、寝言をいう人はここでのご縁は無いと思っていますが。

すでによく理解できている方々ばかりだと思われます。
そして、
その昔、この近くで響いていたハム音(ブーンだとかジイーといったような音)は、現在では、まったく聞こえないことまで。


過去、商社勤務時代に大変お世話になったお得意先社長の事例。
同社社屋の真上に、極めて低く送電線が走っていました。

自分の感覚・感性は完全に麻痺していた時期・昭和最後から平成初期の頃です。
それでも、このお得意先に行くと頭痛が激しくなることが多かったこと。あるいは激しく眠くなること。
同社長とアポを取ると、必ずその時間には近場に移動してお茶を交えることが多かったことを思い出します。
この空間から離れることが必要だ、と無意識に感じてらしたからでしょう。

ある程度の収量の内倉(=倉庫)まで備えた自前の社屋を建てるには好条件だったと聞いた覚えがあります。
新社屋完成のお祝いの日、その時にはここに送電線は走っていなかったように記憶しています。これだけ巨大なものが頭上に垂れているわけですから、氣がつかないはずがないのです。
ところが、ある日突然に激しく巨大な鉄塔に挟まれ、送電線が走る風景に変わってしまいました。社員の方の話しによると、ほんの一日二日だったといいます。
確かに鉄塔を建てるには時間がかかるでしょう。この段階では氣がつかないのです。工事を注視して連日観察しているわけではないので。
けれど頭の上に線を渡すのは一晩で十分だと理解できます。

そして、数年後。
脳梗塞。

何度か見舞いに訪れた時の同社長の姿は、身動きひとつできず、白いシーツの上に横たわるだけの人となっていました。
手を握って話しかけると、その手を握り返すことで会話が成り立ちましたが、それも僅か数ヶ月。
経理ご担当の方から届いた訃報とともにこの地を去って行かれました。

息子さんとなる二代目社長から聞いた意味深い言葉。
「医師は何かを知っていたようだ。それも明確に目的があったことまで。」
「あの場所(土地)は実験のために売られていたことさえ聞き及んだ。」等々...。数多くの物的証拠まで。

[ 追記 ]
その後、お得意先担当の変更となりました。
数ヶ月経過後に訪れたその場には、何ごともなかったように送電線は撤去、遠くに鉄塔が残るのみだったことを追記しておきます。



あれから24,25年ほど。
いまにして思えば、なるほど実験だったのだと。
そして、
その人体実験に、ど真ん中で接することができたことに意識が及びます。

何ごとも断定はできません。
ただ、そうした隠された事項を、何でもかんでも無条件に陰謀論だとか否定するクセは、もうやめることです。
その裏には、
自分が信じてきたこと・自分が学んできたことが「根こそぎ崩壊」するのが耐えられず、自分を守りたいだけのエゴであることに氣がついたのなら、いい加減に大人になることです。

それが御靈・身魂相応ということでしょう。
この先に求められるのは、
これだけ悪事が蔓延っていたんだ、この地は!と叫ぶことではなく、望ましい世を望む道を、自らの心から生み出すことであるはずです。
もちろん「この面(つら):顔」をよく覚えておくことは必要でしょう。
その上で、望むものを創り上げるところへ意識をシフトしてゆきます。
それが精神性の向上と拡大。
それが成長。永遠の学びの道。




オーラフィルドは磁氣エネルギー

マツバギク(松葉菊)が発するオーラフィルドを感じてみる photo 宮本章光

色から受け取る感覚があります。
香りから受け取る感覚があります。
しかし、
そこにあるエネルギーを感じることができない。それがわたしたち人間の現在の姿。


本来備わっていた能力を、遺伝子操作によって故意に無効化され、真の歴史を隠匿し捏造されてきたのですから、いつまでも役に立たないジャンクDNAが98パーセントなどと語られる、誤った学を信奉し続けないことです。
その激しく間違った「学」こそがジャンクなのです。

人間のDNAにジャンクなど存在せず、それらすべてを含めたものが元々のわたしたちの能力。
すなわち、現時点では2パーセントしか使われていないのですから、潜在能力は激しく高いのだと小学生でも理解できるでしょう。


色から受け取るもの。それは、可視光線の帯域に存在する波動を「色」として認識します。
音として受け取るもの。それは、可聴帯域に存在する波動を「音」として認識します。
であるならば、
生命存在としてのエネルギー波動・磁氣エネルギー、それがオーラであることは容易に理解できるかと。

わたし自身は、幼稚園児の時代に人のオーラが見えていました。
(過去にこの場でも何度も綴りました)
人の周りの空間に、淡いピンク色や水色といった薄い繭(まゆ)のようなものがあり、人が包まれている様子を。
その当時には、それが当たり前だと思っているのですから、何も意識さえしなかったのです。
そして、小学校へ進級した頃からその記憶が消滅しています。
よい子ちゃんとして生きる道(言われた通りのことをするのが偉いんだ、という生き方。)を選択したためかと思われます。

数十年の遠回りをして学んだことは無駄ではありませんでした。それが必要な学びだったということが理解できます。
けれど、いまになって、大昔には「自分は見えていたんだ」と氣がつくわけです。
そして知らぬ前に、そうした感覚や意識そのものさえも失っていたことに。


ここに来てより理解が深まります。
色が可視光線帯域の波動であること、音が可聴帯域の波動であることを知るにつけ、
では、生命体がその場・その空間に放つ波動は何なのか。

鮮烈な色でアピールする存在を見て感じるのと同じように、
そこに放たれている「波動エネルギー」を感じようとしてみることです。
98パーセントの眠ったDNAは、本来、それらの力を認識するために使われる能力なのですから、自らその能力を回復しようと努力してみるのは無駄にはならないでしょう。
と言いますか、自分でやらない限り誰もお膳立てしてくれるわけがありません。
いつまでも救世主や白馬の王子様を待っているのは、もはや恥ずかしいフェーズに入っています。

しかし、
それは、なかなかうまく行きません。
なぜなら、物質次元のモノの感覚に、あまりにも慣れすぎてしまったからだと思われます。

明確に声が聞こえる。だとか、
明確に触れる物体がある。だとか。
そうしたモノの感覚とは、まったく異なるものだからです。

なんとなく感じる。
なんとなく、そんな氣がする。
これが、目に見えない波動エネルギーの正体だと思われます。


温かみを感じる、と例えれば、
それは、暖房器具に手をかざした時のように温風に触れるわけではないのです。

鮮烈な色彩感で伝えてくるのと同じように。
独特のエネルギーフィールドがそこにあることを感じてみます。
それこそが、
生命が発する磁氣エネルギーであり、オーラの正体であったことを知ります。


ここを勘違いし、いつまでも「そんな妄想ばかりに浸っている君は頭がおかしい」と人を否定し、洗脳・隷属化されている自分自身を美化し続ける愚はもう繰り返さないことです。




ノイズに揺さぶられそうになったら

美しい仲間に美しいと伝える photo 宮本章光

くだらないノイズに触れず。
垂れ流される負の力に押し流されず。


仕組まれたネガな波動に揺さぶられそうになったら。
美しい仲間が発する強力なエネルギーを受け取ります。
いつでも・いつまでも美しく。
常に華麗な姿であれ。


ノイズに揺さぶられそうになったら、
素晴らしい仲間が発する美しい力に触れてください。

その場に居合せることができずとも、
ここに伝える役目があるのだと感じます。




美しいと伝える

美しいと感じたら美しいと伝える photo 宮本章光

美しいと感じたら、
美しいと伝える。

そこに同じ波長が一致し響き合う現象が生じてゆきます。
こうして、現実という目の前の風景は創られてゆきます。

美しいと感じたら、
美しいと伝える。


ちなみに、エネルギーの流れとしては、逆方向からだと思われます。
すでにある美しさに同じ波長で合致し、そこに意識が生まれている。という方向でしょう。


変化するから浄化される

川の流れが浄化する photo 宮本章光

変化を嫌う。
それが人間の特性でしょうか。

加えて、変化することは未熟であると語ります。
変化しない境地にまで成熟できたからこそ悟りがあり無になるのだと。

そうでしょうか。
もはや正しいか正しくないか、その論議さえ必要がなくなりました。
なぜなら、
それを決めるのは自分だから。
それを創り上げるのは自分の選択であるから。


流れ続ける。
だから、川は自然に浄化される。
変化し続ける。
だからこそ、成長がありそこに望ましい「氣」が生まれる。

自分から変化を受け入れ自分から変わらない限り、誰も変えてくれることはありません。
目の前の風景に「いつまでも踊らされて」いるなら、その状態こそが学びが足りない証でもありましょう。

集合意識、というクセものがあります。
けれど、
それに一喜一憂している限り、自分がその「足りない・至らない」とされる状況を永遠に維持し続けます。
頑固に固着したこの意識を脱するのは、相当高いハードルだと感じます。


踊らされている限り、望ましい道は出現しません。
踊らされている限り、望む世を創ることは叶いません。
自分勝手に、望ましい風景を描けばよいのだと目が覚めます。
そのために、
変化を選択してゆきます。
そして不要なもの・コトが浄化されてゆきます。

そのあと、白紙の下地に自分の青写真を描きます。
それが学びのための標準仕様だから。
それが「自分相応」の進む道。
身靈(御靈)相応。




さらに色鮮やかな

2024紫陽花 photo 宮本章光

外を歩きますと、地面にペイントされた歩道の白線が従来になく眩しく見えます。
そして、
色とりどりの花々が、以前にも増してさらに色鮮やかに感じます。

はい、氣のせい。ですか。
そうだと思います。
氣というエネルギーがそこにあり、同じ周波数に合致した瞬間に響き合うのですから。

エビだソースだ、と叫び続ける唯物主義者に捧げます。
これこそが正論・真正面の物理法則であることを。
精神世界を馬鹿にし無きものとして扱いたい、頑固洗脳固着組は、今後この地で生きてゆけなくなることが確定しているにも関わらず、それを自ら選択するのですから、どうぞご自由に。


美しくその姿を披露し、この瞬間その時を謳歌する。
素晴らしい仲間に感謝を伝えます。
それは、この先に繋がる道を「自らの手で現実創造」する姿であることに。




感触という感覚

道端から呼ぶ声 photo 宮本章光

感じようとしてみるからこそ感じることができます。

質感という感覚。
この地のVR論に入ってしまいますと、そもそも脳が刺激を受けているだけ。とも言えるかもしれませんが、それとは別に、この地で体験することを最大限に感じればよいのだと氣がつきます。

物質次元で、体をお借りして「感じる」体験を重ねる。
物質次元で、体をお借りして「感じる」のは、その周波数に合致しているからという法則を知る。
だからこそ、
この「質感」という「感触」を大切にしたいと思うのです。

ここに注目して!
と、エネルギーを送っている、その波長に合ったからこそ、その声が聞こえます。
声が聞こえた、などといいうのは妄想に過ぎない。
と否定ばかりに溢れる世界は、もう脱出できたでしょうか。

聞こえたような氣がするのは、
そこに、そのエネルギーがあるから。


感触として感じるのは、過去の体験から。
そう、その体験という「体を使った」感触を、数多く重ねることが目的でした。
そして、
そこには、同じ周波数が響き合うという大原則に則った体験が行われていることにまで理解を到達させること。

素晴らしい体験をさせていただけることに、
感触という感覚をイメージできることに、感謝を捧げます。




線と面と点

IMG_8766_2024.webp

線、と面、と。
そこに点という停止モード。

時間の流れを示していることに氣がつきます。
うわべだけ、時間は無い。高次元はこうなっている。
と、浮き足立ってしまう傾向が目につきます。


目の前にあるもの。
目の前には、無機質な存在ではなく生命があることに。
そして、
線と面という物理次元の拡大意識とともに、そこに「点」というストップモードを加える。
そこに、
時間軸の感覚がプラスされてきます。


この「動と静」「停止と拡大」という、一見関連のないと感じるものを融合してゆきます。
見事な心の遊戯。

頭が勝手に妄想しているに過ぎない。という考え方もあるでしょう。
しかし、その思考のトリガーとなったエネルギーはどこからやってきたのでしょうか。

わたしたちは、いとも簡単に「思考を操られて」しまいます。
この弱点に憑かれて支配されてきたのですから、もう過ちは繰り返さないことです。

思考は、その周波数に合致するエネルギーがあり、そこにシンクロすることで「見せられている」と学んだのなら、
何に「合わせる」のか。
ここに、自分の心の手綱が隠されています。

発する・そこにすでにある望ましい力を選択する。
それが自分の意志表示。
それこそが、オーダーメイドの現実創造。




ライトコミュニケーション開始

ライトコミュニケーション開始のご案内

メーリングリスト、と聞くと大袈裟な感じを受けるでしょうか。
特定メンバーのみでメールを媒体としたコミュニケーションが可能になる仕組みです。

過去、色々なグループリストを運用していました。
現在はすべて解散していますが、継続的に個別にお便りをいただく方が何名かいらっしゃるので、一度一つに束ねて会話ができる場を設けてみても良いかな、と考えてきました。
オンラインサロン的な場を...というお声をいただいたケースもありましたが、わたし自身が業務の合間でしか管理できないので企画段階で消滅したことが何回かありました。

ということでメール媒体で試験運用を。
仕組みはシンプル。
特定アドレスに投稿を行うと、登録されているメンバー全員に配信される形です。
先立って、まずは、

●1.登録のご依頼
このアドレス
***@***.***
へ「登録の依頼」を送信ください。これは登録申請のみに利用するアドレスです。
(追記:受付クローズいたしました)

●2.登録作業(わたしの手作業)
送信いただいた方のメールアドレスを登録いたします。
無尽蔵に誰でも投稿できない設定としているためです。
その後、メーリングリストへの投稿先となるメールアドレスをご案内として返信いたします。

上記登録依頼のアドレスは、この二日間(6/1、6/2)で一旦、アドレス自体を消去・削除いたします。
Spam対策です。
(追記:受付クローズいたしました)


過去によく見られたような、ガチガチで規則を固めて、発言の書き方がどうだ、だとか、夜間に投稿するな。というようなやかましい決まりは設けるつもりは一切ありません。
そもそも、わたし自身の返信さえも行うかどうか不明ですし、そのときの氣分(というと失礼かもしれませんが)で行きたいと思っています。
そんな、とにかく軽く個別コミュニケーションのメールを束ねてみる。という実験です。

まず、この二日間:2日の夜までに複数名のご要望がなければ、運用自体をキャンセルいたします。
(追記:受付クローズいたしました)
この場でご縁を繋いでいただいている方々との、共有の場ができれば嬉しく思います。




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