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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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食べ物は有名企業の品ではないものを選ぶ

安心して食べられるトマトを選ぶ photo 宮本章光

大正生まれの祖母(96歳で他界)が、幼少時期のわたしに語ったことば。
「食べ物は有名企業のものを選ばない」
以前にも、少し触れたことがあったように思います。

もうこの場でご縁が続く皆さまには説明は不要でしょう。
なぜ有名企業のものを口にしないのか。
祖母は、それを幼稚園児世代のわたしに教えてくれていました。

借り物のこの体を大切にする。
それは、口にするものから意識して感謝していただきなさい、とも。
7月を今日で終えます。明日からの日々もお元気でお過ごしください。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

信じることを続けなさい

夏の日差しに映えるもみじ photo 宮本章光

先日より続く、明け方にもたらされる脳内ダウンロードです。

7月21日は、
【自分のやりたいことをやりなさい】[記事Link]
【見えるものを観なさい】[記事Link]
でした。

本日7月30日は、
「信じることを続けなさい」です。

この言霊の受け取り方には2通りあるように思われます。
・信じている何かものごと、あるいは考え方など、そういった対象に向けた意識を持ち続けなさい。
・信じるというその行動・行為をこれからも継続して行きなさい。
この2通りでしょうか。

別に何かの宗教に染まっているわけではなく、あるいは昨日まで心の奥で少々荒れた、スピっていると高所から下される否定的な感覚も。
いずれも何ら関係はありませんし、その意識もありません。また現実に何かに触れているわけでもありません。

どうもこの国の人々は、いわゆる村八分感覚とでもいうのでしょうか。
その地域やコミュニティのローカルルールから「外れた」もの・ことについては、それを異端なものとして排他的に捉える傾向が強いようです。
その大前提として、そのローカルルールが必ず正しく、外れているものは必ず誤りである。という定規があるからこそ、排他的判断になるのでしょう。
そうでないのなら、新しい感覚・新しい潮流として、どんどん採り入れればよいわけですので。

重くなりすぎました。もう引きずるつもりはありませんので一切を消去・削除します。


まさにこうしたエネルギーをニュートラルへ振り返してくれる貴重なメッセージでした。
また、
昨日には、図らずも強いエネルギーのシンクロを感じる瞬間があり、「自らの意識が現実を創造する」のは否定しようのないレベルにまで到達しています。しかもその速度が極めて早まっています。
どこを、そして何をどうすれば、それを否定できるのか。逆説的ですが、その否定要素はもう完全に消滅しています。
この人体実験は、それを信用し切っている人にだけ100パーセント実現すること、証明され続けています。

現実をみよ、足元を見ろ!
と叫ぶ必要性はどこにもなく、過去の想念が結果として具現化した現実という風景に「事後対処」のために奔走するのではないのです。
そこに使うエネルギーを、それが発生しないよう事前に使うのです。
その発生より前に、そして望ましい風景になるよう、意識を描き続けることによって、この先が変化する。
小学生にも容易に理解ができる「順序」のお話なのです。

いい加減(手抜きという意味)な営業を行なった会社に対しユーザーから殺到するクレームは、過去の営業担当(それは自分かもしれず)あるいは経営方針・手腕が失敗した結果なのであって、クレーム対処に忙殺され、この先はクレーム対応がオーバーフローした時点で滅亡に至ります。
どうやって電話回線を増やすか、お客様窓口をいかに低コストで充実させるか。
そんなところばかりに目が向いています。
違うのです。
すぐにでも過去の過ちを認め、それを正し、真摯な営業に切り替える。時系列でこれから先の時間に対し投資する。ここにこそ最大級の投資を、可及的速やかにに行うこと。
経営者なら痛いほど判っているはず。
それなのに、クレーム対応で手一杯になり冷静な判断ができていないのです。
こうした例え、ズバリではありませんか。


ただ一つだけ確認は必要です。
こうした言葉、こうした現象に対して「見慣れていない」「馴染みがない」人たちにとっては、違和感が大きいのだろうと予想できます。その違和感ゆえ受け入れ難いから、と否定的な言動を繰り返すのでしょう。
結果として、上記の例えで言う「クレーム対応電話回線を増強するばかり」に目が向きます。
ですが、それはその方々独自の判断と選択ですので、自分の軸(意志・考え方・方向性)を変えてまで合意する必要はなく、それを尊重し認めたあとは関与しないだけのことです。

「信じることを続けなさい。」
激しく納得できる言霊啓示でした。
特定のゾーンに意識を巡らせれば巡らせるほど、そのフォーカス先のエネルギーは加速度的に現実を創り上げてゆきます。
こういうことなのですね。

混乱の風景は、確かに「ガラス窓で仕切られた向こうの部屋」として、単に見えているだけになったことを肌で感じます。
これは現実逃避だとかのチープな感覚ではなく、もっとシンプル、そしてもっと強力でしかも暖かく穏やかなエネルギーです。
もう怖いものは何もありません。ともに新しい世界を創造してまいりましょう。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分から階段を登ってゆく

飯舘村の水田を臨む photo 宮本章光

--「もうすっかり元通りでしょ。」
--「もう前の状態に戻ってますよね。」
そんな言葉を語る人が増えました。

それは個々人の自由ですから、はいそうですね、さようなら。とお返しします。
もう二度とお会いすることはないでしょう。

仮に元に戻ってしまえば、再び奴隷生活路線を走らされるのみならず次にはもっと激化し最終的にはムーンショット(内閣府が公式に発表しています:この事実さえもご存じない方がまだまだ多い。あるいは、そんなこと出来るわけがない、と仰る方まで...)の世界で、「何も考えず・楽しいことだけ味わいながら体を捨てサーバー内でエネルギー生成器として生かされる」ことになるのですが、それがご自身の希望だと意思表示しているということです。
といいますか、
そこまで深く理解していれば、元通りだとか元に戻っただとか、口が裂けても発言できないはずです。
お氣楽稼業・思考停止も行き着くところまで来たか、という感じです。


あるいは、みんな一緒で、みんな同じ意識でともに成長することが必要。そのために努力することが美徳。と考えている方々多数、これまた教育という名の洗脳被害者かと感じます。
「みんなお手て繋いで一等賞」が美徳。それが共存の道。
繰り返します。
それは教育という名の洗脳だったと氣づかない限り、その状況は永遠に続きます。現実は自分が創造するのですから。
そのご自身が氣づいていない洗脳から自分自身で飛びださなければ、ご自身も同じように最長50億年の再教育プログラムまっしぐら、そのレイヤーに浸ったままだということです。


人みなそれぞれですので、ご自身はどこをターゲットにするのか。ここが最重要ポイントでしょう。
他人の目など関係ありませんし、他人がどう評価するかなどさらに必要のないことです。
自分は何を、そしてどこを目指すのか?

ここ数日の記事でも綴りましたが、こうした言葉を書きますと、突然、瞬間湯沸器のように「スピってる!」「精神世界を語る奴は狂ってる!」の大合唱になる事例が極端に増えてきました。いえ、極端どころか激増しているようです。
身近なご縁のあるところでもそれに類する発言が聞こえてきたことを見ても分かります。
ですがもうどうでもいいわけです。そんな他人の評価など。

自分が現実を創る。という人体実験を数多く重ねてきておりその結果を出しているからこそ、公の場で言葉にしています。
これ以上の正解はあり得ません。
瞬間湯沸器のように否定から入ってくる方は、それならご自身で実験なさいましたか。食べてみましたか。そしてその結果はどうでしたか。

何もここに答えがありません。
そして、ワルもの側が仕組んだビジネスに引っかかっているんだ。君は騙されている!の一点張り。
はい、そうした背景も知っています。それに心理的にイカれていることもなく、客観評価もできる心理状態を維持できています、それに大体「ツボ(たとえです)」など買っていませんし、一円の費用も発生していません。
純粋に「心が現実を創造する」その実験を行い結果を出している。その客観事実だけを述べています。
いつまで、イイものワルもののVRゲームを続けますか?
そして、
ここに氣がついた方々が、またその一方(対極に位置する側)でどんどん増えていることも忘れてはなりません。
近々に、そちらの道が間違いなくマジョリティとなるだろうと思われます。
なぜなら、彼らは誰一人残らず、ご自身をご自身の意志によって変え、ご自身で結果を手に入れるという確固たる証拠と自信をお持ちだからです。100パーセントのプロセスと結果がある限り、これ以上に強固なメソッドはあり得ません。


ここまでのわたしの文字をトレースして腹が立つ...なら、リトマス試験紙は「真っ赤」に変化すること、図星でしょう。
もし自分が裸だったと判ったのなら、その瞬間に裸の王様の立場を撤回してしまえば良いのではないかと思います。
ええ、別に誰の了解も不要ですし、自分で乗り換えれば良いだけのこと。
そして、
本当の自分を見直して、新しい階段を上へ上へと登ってゆきませんか。
わたしは、そしてこの場で深いシンクロが起きている仲間の方々は、誰一人として排除しませんし、お越しになった人は手を取り合って共に伸びてゆきましょう、と、心の奥からその氣持ちを伝えています。

こういうことなのではないでしょうか。
現実という名の目の前の風景を「変えよう変えよう」とするのではなく、自分が変わる。そうすれば結果が変わるのです。本当に見事に変わります。順序を逆にやっている限り答えは永遠に出てきません。
これが宇宙の大法則。大原則。
それを否定している限り、ご自身の世界は変わらないこと。もう繰り返す必要はないですね。
お待ちしています。そしてこの場で繋がる皆さまの暖かいエネルギーも束ねてお送りします。

もうそういう時代に入っています。
目の前の風景は「変えよう。どうすれば変わるのか。」と、やっている限り永遠に変わりません。
詐欺が多いんだから氣をつけよ!と語るご本人が詐欺に掛かっているという笑えない現実。
でも、そこで切って捨てずにともに生きる道を歩みませんか。というご提案をしています。
切るべきは、
残酷ではありますが、今世は眠り続ける脚本を設定されている方々、彼らの人生シナリオを他者は書き換えできませんし、書き換えてはならないのです。
この部分でも、大いなる勘違いをやってしまっています。
これについても過去に何度も綴りました。もう学習済み・卒業済みです。

人体実験をやってきて結果を出しているわたしたちの言葉に、ご自身の心は共振しませんか。センサーは磨いていますでしょう。
ともに手を取り合って望ましい近未来を創造しませんか。
手を取り合うという言葉は、こうした場で使うのです。みんな一等賞の洗脳に使うのではないですね。不要となったもの・過去は捨てれば良いのですから。

美しい日本、これ以上にない美味しいお米、そして恵まれた気候。
ここを感じること。この風景に感謝すること。それこそが心の中で美しさに共鳴している証拠です。どこにも否定は存在しません。
心の時代、とは、精神世界を語る、とは、こういうことなのです。ひたすら純粋に。
当然、現実の物理社会に対応する行動は必要です。それを否定しているわけではないこと。単に夢を語っているだけの空想にとどまっていないことまでは理解いただいていると考えています。
ですので、物理行動に関することにも言及は必要であり、実際に動いていますでしょう。
何度も繰り返しますが、「順序を誤る」と結果は出ません。ここが大変に重要な絶対条件なのです。

そうして、望ましい近未来を心に描き続けることで、結果としての結晶化物理現実を具現化させてゆきます。ここを否定する時点で量子物理学・量子力学さえも否定していることにお氣づきではない可能性があります。
何も奇妙なビジネスに染まっているのではないのです。


最後にダメ出しをしますが悪意はありません。
例えです。
5kgの鉄の玉を手で持っています。その玉を自分の足の上に落としたらどうなりますか?
最悪、足の指は砕けます。親指を破損すれば満足に立つことさえ困難になります。
そういう物理法則を言っています。
ところが、
そんなもの自分で落とさないよう注意すればいいだけのこと、そんな空想に耽っているのはスピっている証拠。そんな思考の奴はアタマが狂ってる!と蔑み叫ぶようなイメージです。
いえ、物理法則に則った原因と結果・その順序について述べています。
このように、論点のフォーカスも論理組み立ての順序も完全に食い違っていることが判ります。どちらが良い悪い・正しい正しくない、その話ではないのです。
まず、他者の言動に左右されそれをジャッジしている時点で、もうその先に創り出される現実は明らかでしょう。
繰り返します。
何も奇妙なビジネスに染まっているのではないのです。
なるほど、身霊相応(みたまそうおう)の時代が来る、とはこのことだったと激しく頷きます。

ここで何をしても何を述べても、それは過去に抱いたエネルギーの結果に過ぎませんし、意識や意志でコントロールできるものでもない上、そもそもそこにフォーカスしている限りそのレイヤーから脱出できません。
アタマで考え論議している時点で、ここにとどまりたいとの本意ではない意思表示になることや、その方向を持ったエネルギーによりその現実を創ってしまうため、ここでリリース・放下、終了します。


この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

手綱(たずな)は絶対に自分の心で握る

飯舘村の大きな力を受け取る photo 宮本章光

手綱(たずな)

--- Wikipediaより ---
手綱(たづな)は、乗馬する際、馬とコンタクトをとるための道具の一つ。乗り手はこれを手に持って、左右の方向指示や止まれなどの合図を馬に与える。
--- Wikipediaより ---

上記説明のように、乗馬時に馬に合図を送るためのもの、が本来の意味ですが、これを自分の心を制御するためのものという意味でも使うことが多いように思います。
自分の心は、本来は自分以外にはコントロールできないはずなのです。
ところが、アタマの中で捏ねくり回し、他人にその「手綱」を渡してしまうことで、いとも簡単に「他人に制御されていまう」結果を招きます。

昨日の記事、【「どうでもいい」感覚】[Link]
でも触れましたが、
精神世界は「悪の側が仕組んだ悪徳ビジネス」だから、そこに触れそれを語る奴は頭が狂っている。と一方的に決めつけて排除しようとする動きが突如として増加してきたように見えます。
まぁ、これも二極化と二元化を学ぶ地だからこそ具現化しているいわば教科書教材の一つなので、もうわたしたち:この場で深くシンクロする皆さまにとっては、既に学び終えた学習項目、軽くスルーしておけば良いのです。
そして、
極端に増加してきた理由は、この「手綱」を渡さないようにしなければ、と考えるその意識が「渡すなよ・渡すなよ・絶対渡すなよ」(熱湯風呂コントのようですが...)と心の奥底に存在しているから現れているのだと理解できます。

ところが、仮にここで手綱を人の手に渡してしまいますと、その瞬間に道を踏み外します。
---精神世界こそ、成長のために必要なプロセスなんだ!
---精神世界を体験してこそ、本来のエネルギーに開眼できるわけで、スピっているバカな奴と罵られる筋合いはない!
といったように「応戦」してしまうのです。

昨日の文章の中で、わたし自身も一部そちらに振れてしまう瞬間が何度かありましたが、振り子を戻す方法はもう体得済みですので怪我には及びませんでした。
本来、自分の心の制御権は自分にしかないのです。
それを他人に渡してしまう時点で、その他人に依存していることになり、自分軸は消滅します。
こうした言葉には、またまた反論・反撃する存在が出現するのかもしれませんが、もうスルー検定最上級まで合格してる皆さまは、まずブレることはないでしょう。

依存しない、手綱を渡さない。
そもそも、そうしたエネルギーがアンテナに掛かってこない。
ここに到達するまであと少しです。


そして、今日は以下の大きなポイントを伝えたいと思い綴ります。
強固な自分の心の制御権というエネルギーは、実は、木々の姿・植物の生きる姿から得られることも分かってきました。
強風で枝の一部をもぎ取られようが、烈火に焼かれるごとく強い日照にも負けず、厳冬の豪雪に手足を折られようが、決してひるむことなくその存在を全うします。
そこに存在していること自体に意味があり価値がる。そんな木々のパワーは並々ならぬ強大なものであること。
この強大な力に周波数をチューニングしてみますと、その流れと渦を受け取ることができるはずです。

ところが、その強大な力は、
実は、いかにも「強力だ!強大だ!」といったような圧力を一切感じないものであることまで理解が深まってきました。
そのパワーには一切の圧力的感覚はなく、
「暖かく心に響く感覚」
「安心感や安堵感」
といったような、穏やかな感覚に近いこと。ここまで理解し体感するようになっています。

まず、力を抜かなければ、その波長にチューニング自体できないこと。
そして、感じてやろう、受け取ってやろう。などとアタマで考えている時点でもうそれは不可能になっていることです。
言うなれば、
手綱を「アタマで考える思考」に明け渡さないこと。
手綱(たずな)は絶対に自分の心で握る。
これがポイントでしょうか。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

「どうでもいい」感覚

飯舘村で出会う花卉畑 photo 宮本章光

「どうでもいい感覚。」

ある見方をすると大変荒っぽい言葉ではあるのですが、思考がどんどん単純化しシンプルになっている状況に対する感覚です。
しかしそれは、投げやりな、という意味ではなく、不要なものを削ぎ落とし拘りがなくなった状態だと思っています。

いつもご連絡をいただく方々、数は限られていますが、とても深い部分で同じ周波数を感じることが多い方々は、同じような感覚を語られることが増えました。
意識はさらに進化・深化しつつあることが肌で感じられます。

他方、
こうした精神世界に関する話題になると、突然「危ない・触るな!」の一辺倒な方々も多いのが現状です。
確かに、こうした目に見えない世界をビジネスに落とし込んでワナに嵌める悪徳商売が存在しているのも事実だと思われますし、それに対してガードを張るのは、落とし穴に落ちないための自衛手段でもあるでしょう。
そうしたワナが無い、とは言いません。

ですが、それは(過去にも書いたことがあるように思われますが)、

---墜落するリスクがあるから飛行機には乗るな鉄路で移動せよ。
---通話料金が高いから携帯は使わずオフィスの電話で掛けろ。
---ゲーム機になるのがオチなんだから一人一台のPCなんて導入する必要がない。
---面談こそ営業の極意なんだからメールなど使わず訪問せよ。

といったような、時代錯誤甚だしい感覚と非常に似ていることが判ります。
その当時・その瞬間---それは昭和末期でしたが---には、そういう考え方があって当然であり納得できる部分もあったのです。
よって、
精神世界に「不用意に触れる」危険性を語るのは、それはそれとして必要な発言だと理解できます。
ここまでの基礎となる土台を相互理解した上で続けます。


精神世界を語ることは、人間本来の姿としてのエネルギーに対する理解や、輪廻転生、因果応報、そして宇宙の摂理に関わる部分まで意識を拡大するために必要なプロセスであることを知らなくてはなりません。
地球の反対側に行く必要があるのに、鉄路で行け(支配者により隠匿された地下の交通網があるという論説はここでは触れませんし論旨から外れますので除外します)、と場違いな発言をしてみたり、PCをゲーム機として使うのか、はたまた強力な営業拡大ツールとして使うのかは、使いこなす当人のスキル次第であることなど、この二つの例えを見ても、そもそも論点のフォーカス位置が完全にズレている可能性があります。

繰り返しになりますが、
危険・リスクが高い!のは承知の上で、それを「食べてみるかどうか」は本人の判断と意志なのであり、悪徳商法が蔓延っているフィールドだから触るな、離れろ、それを語るのは狂った奴だ。それに触れている人間はおかしい輩である!と決めつけ、一方向からしか見ないでいるその人自身がその枠に囚われ、それ以上に拡大できなくなっていることに氣がつけないままだという、まさに反対側のリスクを負い続けること。ここを乗り越えなくてはなりません。
まさに、
イイもの・ワルものという対立構造に囚われ、精神世界を語るのは悪者側の仕掛けたワナである、と理解しているように見えて実はそのワナにハマっているという二重構造に掛かっていること。
二極化二元化構造のゲームが味わい足りない。との意思表示だと俯瞰できるのです。

こうした諸々の体験を積み、そして学び成長を重ねてゆく。それが人生の目的であり、永遠に続く魂の目的であること。
この意識に到達するためには、絶対に避けて通れない道であることを理解したいものです。もちろん道は人それぞれですので、異なるルートもあって良いのです。
そして、
それらを思考の中で咀嚼し消化したならば、その次のステップに及んで初めて、それらを一切合切クリアにし捨てることで、さらに上の段階に上がれるようになるとされているわけです。
これが、それぞれ小学校から中学校へ、高校へ、大学へ。の例えと同じく、その区切り区切りごとに使用した教科書はすべて破棄し新しい教材を学ぶ。こういうことだと思うのです。

食べ物を口にせずに、消化したら手放ししてこそ仙人だ。
...的なお話しと同じであり、まず食べて味見する。ただし毒は食べない(あるいは針を通して体に入れるも同じ)ことを徹底した上で、食べてこそ消化が可能なプロセスに移行できるのであり、触るな・離れろ!そんなものを喰うのは狂った奴だ。の大合唱では何も進歩が叶いません。

こうした声が、ここに来てどんどん増えてきているので、いま非常に危険な(反対の意味での)状態だと危惧しています。
頭で考えすぎ、頭で論理をコネ回しすぎてしまうが故の現象かと感じます。
だからこそ、
そのどうでも良いことに拘らず、どうでも良いことから離れるのです。

どうでも良いことに、どうでもよい論理を重ねて論議している限り、現状は変化せず永遠にその状態が続きます。
それこそが量子論で明らかになってきているのですから。

どうでも良い感覚。
それは、どうでも良い不要な要素を削ぎ落としたからこそ語れる感覚だと感じます。
そして、
異なる部分は違いとして認め合い、お互いともに尊重し、同じ周波数を感じる部分でその心を束ねてゆきたいものです。
良いところを認め合い、伸ばしてゆけるからこそ仲間としてともに成長できるのではないのでしょうか。
これこそ、いま求められているスタンスであり、精神世界?何だそれ!危ないぜ、狂ってる奴には近寄るな!それは悪の手下が仕組んだワナだ!と、そういった確かに存在するであろう仕組みを知れよ、と叫ぶ自己承認欲に縛られ、その現実という名の手錠の奴隷と化していることに氣づきたいものです。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自分のやりたいことをやりなさい

2022年の梅を漬ける photo 宮本章光

「見えるものを観なさい」
に続き、
「自分のやりたいことをやりなさい」
これが明け方の脳内ダウンロードでした。

現時点でできていない方にとっては、それが直近の目標だと思われますし、すでに実現できている立場の者としては、さらに推し進めて行きなさい、との判断で良いのだと思います。

ここで再認識すべきは、目の前の現実は自らの思考の投影だということ。
ある方からこのようなメッセージをいただきました。
----
自分を真に大切にすることが写る世界を一変させる真理ですね。
----

的確に言葉に落とし込まれたその見事な眼識に激しく頷いています。
そう、
永らく洗脳され支配されてきたわたしたちの潜在意識には、自分を犠牲にして他人に奉仕することが美徳だと教育段階から刷り込まれてきました。
これまた逆説的ながら、支配者は見事にこの宇宙の摂理を利用し隙を突いていたことに驚きます。
自分勝手にせよ。というのではありません。
まず自分を大切にすることでしか「この目の前のMatrix」が望ましく好ましい現実にならないのですから、滅私奉公...それが美徳、人のため...とやっている限り、自分自身が苦しく辛い感覚を抱き続け、その現実を永遠に作り続けるわけです。
まずは、
自分を大切にすることで望ましい現実を創り上げることが先で、そこまでの意識拡大が実現した上で、その暖かさを周囲へ伝播させてゆくというプロセス。順序を間違えないということ。

自分のやりたいことをやりなさい。
繰り返しますが、それはわがまま放題をやれ、ということではありません。
順序を誤ると意図せぬ未来、それは正反対の未来が創られ続けますよ。というこの仕組みを再認識し、みんな揃ってWinWinの関係を築き上げるために必要な順序であることを再認識するためのダウンロードだったに違いありません。

口にするものに意識を巡らせ、その生命に感謝し、ともに望ましい近未来を築いてまいりましょう。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

見えるものを観なさい

Iitate2019_img_0776P.jpg

「見える」と「観える」。
その差は、
前者は、意図せずとも視覚として認識するもの。単に視野の範囲に見えているもの。
後者は、自らが能動的に意識してそこに集中すること。
といったように思われます。(主観に過ぎないので、正式・正確にはお調べになってください。)

「見えるものを観なさい。」
明け方には、このようなアドバイスが入ってくることがよくあります。
明確な言葉としてではなく、感覚的な告知のような流入とでもいう感じでしょうか。

「見えるものを観なさい。」
それは、無理をして目に見えないエネルギーを探し求めるのではなく、意図せずとも視界に入ってくるこの物質社会の結晶化成果物を、よく観察してそこに何が示されているのかを理解しなさい。
という意味だと捉えました。

確かに、目に見えないもの・目に見えない力。そうしたものに「無理に意識を配る」ことによって背伸びをするのではなく、この物質次元では、結晶化物質化したものを体験し学ぶことが目的だったのですから、その「目の前に見えている」ものを堪能しなさい。と伝えられているのかもしれません。
あるいは、
もう、それらは卒業したんだから...と、何もかも捨てるのではなく、別れを惜しみながら最後に味わい尽くしなさいよ。とも取れるように思います。


誰も見向きもしない道端からも、会話しようとする信号が送られてきています。
それを受信するかどうか。
自分の受信機の周波数をそこに合わせるかどうかなのだと、頭では理解していても、他の考えや思考が存在していると、チューニングできないこと。この4年ほどで実体験を重ねているところです。

何も考えず、何も意識せず。
そうした状態のときにこそ、道端から発せられる信号を受信できることに氣がつきます。
確かに、見えているはずなのに見えていない、このエネルギー。
「見えている」だけの状態なのに、そこに意識の周波数がフォーカスした瞬間に「観える」ようになること。


「見えるものを観なさい。」
今日も貴重な言葉・言霊をお送りいただいたことに感謝申し上げます。
併せて、
この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自然の力を採り入れる

飯舘村真野川溪谷 photo 宮本章光

自然に接すること。
それは、単に心身ともにリフレッシュする。といった言葉以上の大きな意味があることに氣がついている方々がどれほどいらっしゃるでしょうか。

わたしたちは、エネルギーの補充には「食べ物を口にする」ことによって実現する、といった方法以外に意識が及んでいないケースが大半だと思われます。
もちろん、現時点では物理的にこの体を保持するためのパワーを取り入れるには、食物の摂取以外には方法がないため、それがすべてだと言っても間違いはないでしょう。
では、
自然に触れることによりリフレッシュする感覚、その爽快感と充足感はどこから来るのでしょう。
これこそが、自然のエネルギーを取り入れていることに他ならない、と氣がついた人たちが増えているはずです。


近くに存在しているだけで疲れる人、そんな感覚を経験されたこともあるでしょう。大きな組織に身を置くと感じることが多いと思います。エネルギーの周波数が合わないことに加え、エネルギーが吸い取られているかのような感覚かもしれません。
まさに水の流れと同じで、エネルギーも高いところから低いところへ流れる、といわれますので納得できる話でしょう。

反対に、そこに触れる・そこに身を置くだけで底知れぬ大きな力をチャージできる感覚。
これこそが自然のパワーだと思うのです。
これからは、食べ物以外の手段によってエネルギーを取り入れるといった部分にも意識を拡大する時代がやってきます。
いえ、今までもずっとそうだったのです。
ですが、そうした部分の感性を蔑ろにされ、支配者の都合の良いように洗脳されてきた歴史によって麻痺してしまっていたのだと判ります。

エネルギーとは、単に食物によるタンパク質代謝サイクルのことだけではなかったのです。
ますます興味深く・面白い世の中。いずれやってくるのではなく、過去から、そして今もう既に、ここに存在しているのです。
自然の力を取り入れる。
それこそが自然とコミュニケーションすること。と理解が進めば、より大きく奥深い世界にチューニング可能になるはずです。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

存在しているだけで発する力

飯舘の自然に触れる photo 宮本章光

存在しているだけで発する。
それは、
この地においては、存在そのものに意味があり価値があるということ。

そして、
それは、二面性と二極性の両面を備え、片方だけでは存在し得ないことを理解したはずです。
それなのに、
今日も今日とて、悪よ滅べ!悪よ消え去れ!と叫び続ける。
あるいは、
眠り続ける者を叩き起こそうとし、世の中を変えるには行動し続けなければならない、との意識から卒業しない。

この場で心の中から日々シンクロが起きている方にとっては、もう満腹で釈迦に説法だと思います。
ところが、世の中、同じ「段階・レイヤー」に存在する方ばかりではなく、むしろ別レイヤーの方々が圧倒的に多いこと。
色々な場所に顔を出すことでそれを感じます。

時には、
そうした場所の波動にヤラレテしまうこともあります。
しかし、回復はずいぶんと早くなっています。もう今は、自然の力を借りてニュートラルに戻す方法を体得したからでしょう。

そして、
いまここに存在しているだけで良い。という意味を体で感じます。
まさに、これこそが自己放下ではないのか。と。これこそ、もう新しい扉を開けている証ではないのか、と。

もう卒業した古い学校に戻る必要はありません。
少なくとも、ここで波長が同じ・向きが同じ皆さまは、この意味を深く理解し、存在しているだけで意味のあるエネルギーを発し続けていただきたいと願っています。
そう、
2層目で「眠る人を起こさねば!」「世の中を変えねば!」と、いつまでもやっている愚を繰り返してはならないと感じています。
自分で自分の足を引っ張るだけではなく、その思考と意識のエネルギーが周囲へ甚大な悪影響を撒き散らすような存在になってはなりません。
なぜなら、
わたしたちの存在そのものがエネルギー体であり、その存在が放つ潜在能力こそが最大級の影響力を発揮することを知っているから、そして、何も思考せずニュートラルな状態でいまここに存在しているだけで強大な影響力を及ぼしていることまで知っているからです。

繰り返します。
これこそ、もう新しい扉を開けている証ではないのか、と。
違和感は完全に払拭され、確信に変わりつつあります。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

意識を現地に持ってゆく

飯舘村の夏 photo 宮本章光

口を現地に持ってゆけ。
という言葉がありました。

その地でしか味わうことができないものに触れるには、口を現地に持ってゆく。
それが最短で最高の結果を手に入れるための方法だと。

では、その地の氣を感じるには、どうすれば良いでしょうか。
理想は体を現地に持ってゆく。これが正解なのだと思います。
ですがそこに至るまでに、
その地の氣を込めたイメージ・画像などに触れることでも想像が膨らむはずです。

先般のwebラジオでは、そうした意識を一切合切捨ててから階段を上ることができる。とアドバイスを受けていました。
遠く離れた地に意識を馳せる、といったことさえも無くしてしまい無になる。
ただ、
その段階に登るまでに、目の前の雑念に右往左往している状況から、わずか一段階だけでも上がるために、意識を捨てる前に自然の力を借りる体験も必要だと思っています。

それは違う、というお声も聞こえます。
ただ、自分で色々と試行錯誤することも学びのプロセスだと思われます。
1層から2層に上がっても、3層は見えません。逆に3層からは下がすべて見えるのです。
これを知るには、自分で3層によじ登らなければわからず見えないこと、もう承知しています。

何より、手探り状態で朧げながら、何かが掴めそうな感覚があります。
自然のエネルギーに触れることによって、その障壁になっている雑念という最も大きな壁を越える力を手に入れることができる。
一氣に無に至るまでに、練習することも無駄ではないと感じています。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

役目を知っている人のエネルギー

飯舘村の夏 photo 宮本章光

非常にストレートです。
自分の役目を知っている人が、その役目を果たそうとしているところには、大きなエメルギーが渦巻いています。


先日来いただいているメッセージの中で、
「人に伝えることで人々にキッカケや体験を与える資質をお持ちだと感じておりました。」
とのお言葉がありました。

わたし自身にどこまでその資質があるのかは不明です。
しかしながら、
--何かをもって何かを伝える。
--何かを使って何かを伝える。
これが自分の役目であることは、先般のwebラジオ番組の中でも語っている通りで、それは病床での一週間の期間に天から降りてきたものでした。

この一枚。何氣ない、ただの夏の風景。
ですが、そこにはさまざまな要素が散りばめられており、無意識の中でこの構図が決定され、そこに存在する植物たちのエネルギーに引き込まれたことは事実であり、だからこそこの画像データが残されたものです。
こうした「目に見えない力」を受け取って、それを何らかの形にして伝える。
その意味では、ここに役目があることを体感しています。
もちろん、
その周波数と向きは、その時々の心の状況・状態によって異なるために、伝わるエネルギーの大きさは千差万別です。
いわゆる、90パーセントの方々に瞬時に伝わる直球的な力か、そうではなく10パーセントの方々で且つ同じ周波数状態でなければ響かないレベルの「難しい」力もあるでしょう。
この絵の場合は後者だと感じています。ですが、そこにシンクロしたならば、途端にこの風景の秘められた力が強烈に伝わってきます。まるでその場の気温や小鳥のさえずり、草木の香りまでも。


このようなフォーカスポイントで世に溢れる情報を見てみます。
すると、
「役目を知っている人がその役目に沿って伝えている」情報や作品は、極めて強い力を持っていることが判ります。
反対に、
「役目を知らず、あるいはその役目に沿っていない状態で」伝えている情報や作品は、まったく響かないことも判ります。

それは、受け取るこちら側と周波数も向きも異なるために響かないだけだと思っていました。
しかし、
発信者側で「自分の役目を知りそしてそれに沿っている」かどうか。
この部分のウェイトは極めて大きくストレートに伝わるものだと分かってきました。


webの記事を集めただけ。
webの情報を形を変えて並べただけ。
そうした「パワーの含まれていない情報」は、瞬時に見事にバレる。そんな時代になりました。
そこに、発信者たる存在のエネルギーが込められているのかどうか。
役目を知っている人が放つエネルギーは極めて大きくストレートに伝わってきます。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

幅のある方々の心に触れる

飯舘村で出会うトンボたち photo 宮本章光

先日よりwebラジオのご紹介が続きました。
多くのご意見をいただいています。貴重なメッセージをありがとうございました。

今日も?また?
3番組めのご紹介をさせていただきます。
「人生、あるがまま」第24回[Link]

これは、SpaceというTwitter上でのフリートークの場で行われた会話を記録し公開する、というトライアルでした。
リスナーとしての立場で参加するケースが多いのですが、主催者からスピーカー権限を渡してもらえると自分も発言ができるようになる仕組みです。
主催者は、今般のラジオのディレクターSattomo氏と120°禅の遠藤氏。
そんな繋がりがあって、わたしにも発言の機会を作っていただき発言しています。

わたしは、完全にフリーの個人の状態に頭が切り替わって発言しています。
トークが"WEST native"な関西の話し言葉なので、業務上、といいますかオフィシャルの状況とはまた違った印象を感じていただけるかもしれません。


個々が自由に話している状況を番組に編集なさっているので、さほど大きなパワーは含まれていないだろうな、と考えていたのですが、公開になり実際に聴いてみますと、いえいえ全然そんなことはなく、その笑いを含む会話の中には、とても心地よいエネルギーが存在していることがわかります。
そして、
ご参加の皆さまは、大変「幅の広い」感性をお持ちであること。音声のみでも強くそれが伝わってきます。
よく、人の器(うつわ)が大きい・小さい。といった言い方をします。
それは、包容力という観点での器という言い方なのだと思いますが、「幅」とは「器」という外枠の大きさではなく、縦にも横にも、上下にも拡大してゆく、それぞれの方がお持ちのエネルギー。
まさに無限に拡大してゆく...とでもいうような力が伝わってきます。

こういうことなのですね。
人と人との接点、そしてその会話の中には、人間本来の心に触れるものがある、と。
素晴らしいご縁、素敵な体験、嬉しい氣持ち。
目の前は数多くのエネルギーに溢れています。

【人生、あるがまま第24回】音声配信[Link]
【人生、あるがまま第24回】テキスト版[Link]

この場でお聴きいただくには以下のプレーヤーにて再生可能です

【人生、あるがまま第23回 】音声配信番組でのお話し

staand.fmサイトの音声再生は、この記事の下部に埋め込まれたプレーヤーにて再生可能です。

音声配信番組「人生、あるがまま」第23回

音声配信番組「人生、あるがまま」第23回の配信、前回に続き今回は後半のお話しです。

嬉しかったこと、大切なこと。
多くの体験を通して学び続ける大切さをあらためて感じています。

後半は少々生々しく、戦後の「紙」に関する裏側を知っていただであろう父のことや、最後の最後に、妹と医療に関することに少し触れています。
話そうか話すまいか当日の直前まで相当悩みました。ですが、この裏側を知る人が増えることを願って短くお伝えしました。

そして、それらを知った後は、禅的な思考へ融合してゆきます。

自己放下と一切空への道。道はこれからもずっと続きます。
このような人生の学びを感じていただければ嬉しく思います。

音声版では、後半は早口で捲し立ててしまい感情が先走っている感がありますが、この場でご縁のあります皆さまは、そのエメルギーを感じていただける方々だと思っています。




stand.fm 公開サイト
【stand.fm】(音声webラジオ)第23回[Link]

noteでは文字でお伝えしています。ご高覧ください。
【note.com】(テキスト版)[Link]

120°禅 遠藤翠さま
元ラジオディレクターSattomoさま
貴重なご縁を繋いでいただきましたお二人には、あらためまして感謝申し上げます。
ありがとうございます。


前回の配信「第22回」前半のお話しは以下のプレーヤーでお聴きいただけます。

「切り替え」出来た人たちが増加しているが

大自然のパワーを受け取る photo 宮本章光

3層構造の人類の現況です。

1層目=今世では眠り続ける脚本を持っている方々。肉体の消滅とともに再度の学び直しができる他星系へと転送。
2層目=覚醒したとされていますが、世の中を変えるには、眠る人たちを叩き起こし覚醒者を増やすことだと考え、叫び続けている方々。
3層目=叫び・踊ることをやめ、自らの意識というエネルギーの使いこなしによって世界を変えることができると気がついた方々。

この場でご縁のある方々、この場でエネルギーのシンクロが起きる方は、3層目、あるいはその近辺の方々であると思っています。
わたし自身が2層目で長く止まり、早く目を覚ませよ!と、叫び続けていました。
ですが、
それは「自分がそこにまだまだずっと留まり続けたい」と意思表示していることになると理解してからは、3層目(あるいはその直前)に卒業できたはずだと思っています。
いえ、ここは「まだまだです」などと謙遜するところではなく、その意識とエネルギーの使いこなしにまで心を拡大できたのなら、一刻も早くその潜在能力を発揮する必要があります。


しかし、ここで再びもう一段の階段に足を取られてしまいます。
2.5層目、とでも言えば良いのでしょうか。
ここに大きな分岐点があります。
意識の力を使うためには、ポジティブでなければならない。そういった呪縛にはまってしまうのです。
わたしは、これをずっと「ポジティブごっこ遊び」のワナに陥っている、と例えてきました。

ポジもネガも両方ともに存在しています。それがこの学びの地である地球ですから。
それなのに、片方だけに「フタをして見て見ぬふり」をしている限り、2.5層目でストップしてしまうのです。
そして、
その「自分にウソをついて」「自分の感覚を無理に上書きして」いる行動を続けていると何が起きるでしょうか。

1層目のゾーンを、センサーが腐っている、センサーが鈍っている、という例えに「そうだ!そうだ!」と理解していたはずだった2.5層目の方々。
2.5層目まで到達しておきながら、いずれ1層ゾーンの低感度に逆戻りしてしまうのかもしれません。
これ、数多くその事例を見つけることができます。

この2年半の混乱は故意に作られていたことに目が覚めた、これは踏み絵だぞ、と語っていたご本人が、2.5層ゾーンでの踏み絵を超えられなくなっています。
このゾーンでの踏み絵は、全と悪、ポジとネガの両方を等しく尊重し均等に受け止め受け入れることだと思われます。
それなのに、
いつまでも「◯◯はどちら側だ」「XXは救世主かどうか」の思考を続けているのではありませんか。
また、
2.5層から3層までの間は人口密集地帯のようで、2.6や2.7、2.8や2.81、2.82、2.83...と、無限に分岐が存在しているように見えます。


この密集地体の最重要分岐点は、2.99層だと思っています。

先般の音声配信番組「人生、あるがまま第22回」(前半)
【人生、あるがまま第22回 】音声配信番組でのお話し[Link]

での対談の中で語られていたような「自己放下」がここに待ち受けているのだと思うのです。
---こうでなければならない...。
---こうあるべきだ...。
---違う道に乗り換えなければならない。

この思考こそが、2.99層で強制的にブレーキを踏まれる部分です。
この0.01段分のとても大きな壁、これを乗り越えてから初めて3.0層に到達できると。
先の番組の対談では、ここに「悟り」の世界への入り口がある、と伝えられたように受け取りました。

わたしの体を壊した単なる失敗談が、見事にこの2.99段から3.00段へ突き抜けるためのプロセスだったことに理解が及びます。
そして、
それこそが「天の配剤」としてもたらされたこと、この0.01段階分は極めて重要だというのは、そういうことだったと理解が進みます。

しかし、
3層目から上は、これらを「更に超えてすべてを捨て去る」後に見えてくるのだ、と朧げながらイメージが浮かびつつあります。
いわば、
3.00層から3.01層への階段なのでしょう。ここにも大きな層(壁)が待ち受けているようです。

でも、もう学びました。
頭で考えない、心で感じる。そしてそれさえも捨て去り超えてから初めて到達できる。この本当の意味を。


「切り替え」出来た人たちが増加しているようで大変喜ばしいことだと思います。
しかし、もっともっと深い部分にまで潜って、それから一氣に突き抜けないと、次のフィールドは見えてこないようです。
ご一緒しましょう。意識の「使いこなし」を。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

既存の枠組みの中に居る限り

夏を迎える飯舘村 photo 宮本章光

昨日のweb音声配信番組(ラジオ番組)
【人生、あるがまま第22回 】音声配信番組でのお話し[Link]
に関して、多くの皆さまからメッセージをいただきました。
ご視聴、そしてご意見ご感想、応援メッセージなど、貴重なレスポンスをいただきましたこと、あらためまして御礼申し上げます。
(後編は今週木曜日の予定です)

いただいたメッセージによって受け取るエネルギーは、大変力強く、大きな振幅をもつ波動であることを感じています。
他方、
いわゆる、既存の枠組みの中にある思考は、その枠の外へ出るだけのエネルギーを持っていないことが良くわかるようになってきました。

これを言い換えてみますと、
枠(柵)の中に居続ける限り、その枠の外側は見えませんし、
枠(柵)の中に居続ける限り、その枠以上に拡大することができない。
となりますでしょうか。

騙される人は、いつまでも騙される。
その理由は、騙される範囲から外へ突き出るだけの思考のパワーを持っていない(本来持っている力を使おうとしていない)からではないのでしょうか。
そしてまた、絶対値としての「枠の大きさ」を俯瞰することもしないために、枠の外側という意識自体が存在していないのでしょう。
例えてみますと、
六畳の部屋という枠の大きさを客観的に・絶対値として、その大きさを認識しているからこそ、その部屋を出るには、数歩、自分の足で歩けば出て行ける...と体が知っています。
ですが、
自分の現在地の枠の大きさを客観視できていない限り、六畳の部屋に居ることも認識できませんし、出るために何歩あるけば良いのかさえも分からない。そんな感覚なのだと想像します。


既存の思考という枠組みの中に居る限り、そして、既存の思考という枠組みを俯瞰する感覚を持たない限り、
絶対に、その枠の外側に出ることができない。
こうした「肩幅の感覚」を知る必要があるように思われます。

既存の枠組みの中に居続ける限り、その枠の外へ出ようとする意欲も湧き出ようがありませんし、永遠に脱出できない理由はここにあるのかもしれません。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

【人生、あるがまま第22回 】音声配信番組でのお話し

staand.fmサイトの音声再生は、この記事の下部に埋め込まれたプレーヤーにて再生可能です。

音声配信番組「人生、あるがまま」第22回

音声配信番組「人生、あるがまま」第22回にお招きいただきました。
貴重なご縁をいただきましてありがとうございます。

今回第一回の配信では、
体を壊す、という失敗を学びとして取り入れることができず、3度目の正直でようやく目が覚めた自分自身の過去。
それは、わたしにとって必要だったから経験したこと。と、いまだからこそ言えるとともに、そうして体験を積むことが学びであり成長である。
そんな、人生の学びを感じていただければ嬉しく思います。

口にするもの・食べ物と自らの体が一体となっていることを再認識し、ジャンクフードから離れ、エネルギーとして授かる食べ物に今一度感謝の氣持ちを捧げる必要があるでしょう。
わたしのように病床で強制終了することなく、望ましいタイムラインを選択なさる方が一人でも増えますよう祈念いたします。
また、
この国が「おかしい」と感じる決定的な出来事・事件、それはわたしにとっては22歳の夏のあの報道でした。
そして、
激しく人生観を変えるほどのインパクトを受けた本として、小学生ながら読み耽ったある書籍についてお話ししています。
授業の休み時間に、二宮金次郎の石像の裏やうさぎ小屋の裏手で、その本に熱中した不思議な小学生時代にも触れています。


トークのお仕事がここしばらく無かったこともあり、下腹部に力が入らず痩せてしまった声でお聞き苦しいかと思われますがご容赦ください。
不要なカスを削ぎ落としスリムになった体は、同時に体力的にもかなり落ちてしまったことが反省点かと感じています。




stand.fm 公開サイト
【stand.fm】(音声webラジオ)[Link]

noteでは文字でお伝えしています。ご高覧ください。
【note.com】(テキスト版)[Link]


120°禅 遠藤翠さま
元ラジオディレクターSattomoさま
貴重なご縁を繋いでいただきましたお二人には、あらためまして感謝申し上げます。
ありがとうございます。

暑いね〜と言うから熱くなる

生命体のエネルギーを放つ真夏の印象 photo 宮本章光

太陽の位置を意識して見ていれば、地球の地軸が過去に見たこともないレベルで傾き、いよいよその時が近いことが判るはずです。
正午前後には、ほぼ頭上真上(天頂)近くに太陽があるのですから、そりゃ暑いわけです。
まるで、ここは赤道直下かと見紛うほどの高さにある太陽を過去に見たことがありますか?この日本において。
夜空の月も、星も、何もかも、過去の経験が役に立たないこと。
空を眺めるだけで理解できるはずです。これがいま起きていることです。空を見るだけで判るのですから。

そして最も大切なこと。
それは、
「暑いね〜」ばかり口にするから暑くなる。この極めて重要なロジックを知り、それを使いこなすこと。

この地は、VRゴーグルを装着してその世界に没頭していることを忘れ去ったゲームセンター。
この体は、そうした体験を通して学ぶための借り物の「衣」。
ここまで理解が進んでいる方々が、この場でシンクロしていると感じています。

暑いね〜、熱いね〜。
その言葉が、言霊が、意識が、その状況を現実として具現化してゆきます。
地球地軸の傾きが大きく変化しただけにとどまらず、わたしたちの集合意識が「さらに暑くしている」ことを知りましょう。

台風しかり。
もう上陸して甚大な被害を及ぼす台風。この2年間では記憶にないはずです。
そう、こうして「意識」が現実を創り出します。
今回も、直近の台風の情報がある様子ですが、わたしは、そもそもその情報に到達することがありません(一切見ません)。
わたしのタイムラインには、今回も「大きな被害をもたらすであろう」台風は存在していません。

こうして、多くの方々の力を統合して意識が備える本来のポテンシャルで現実を創るのです。
もう釈迦に説法かと思われますが、重ねて失礼申します。
踊らず・叫ばず、心の中から望む風景、望む世界をイメージし、それを強力に描き続けます。


いま、何にフォーカスしていますか?
世の中の混乱をもっともっと多くの人に伝えることが世の中を変えることだと思っていますか。
一人でも多くの人に伝えるために、叫び続けることがご自身の役目だと考えていますか。
個々人、それぞれの方の選択ゆえ、何らジャッジしませんし触れることもありません。ですが、それはわたしの役目ではないと判断し2年前に道を選び直しました。

わたしは、意識が現実を創り出す量子論の世界を人体実験する番だと考えています。
口にするものと体が密接に関係していたことを意識していなかったために病床に臥して初めて氣がついた、という自分の人体実験。
そして、
今度は、意識が具現化しこのマトリックスを創り出すことを確認する、という自分の人体実験。

言葉が少々物騒ですが、それくらい強烈にエネルギーを込めて行きます。
しかし、心の中は正反対に全然重くはなく、軽くもなく、そこには何もない状態;ニュートラルポジションを維持します。
智りの玄関ドアはここから開くと考えています。

この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。

自然と共生するとは

川の流れを感じてみる photo 宮本章光

いま現在でも、すでに自然と共生しているではないか。
だとか、
自然を意識しているからこそ太陽光発電パネルが新築住居で義務化されたんじゃないか。
といったような発言は、もうこの場では不要だと思っています。

この例のような会話は、もはや完全にレイヤーが異なっているので、相互に理解不能なところにまで来てしまいました。
そして、相互に理解する必要さえもありません。
いや正確には、お互いを尊重するからこそ、持論を押し付けませんしそこに意識をシンクロさせません。
これを現実逃避だ、として否定する意見に触れることさえもしませんし、そうした入門編はもう卒業済みです。
いつまでも洗脳されたまま、そしてその現実に氣がつかないまま生き続けるレイヤーからは抜け出したと感じています。

自然と共生する。とは、
そこに存在している生命やエネルギーとコミュニケートできる能力を取り戻すこと。
そして、自分から能動的にそのエネルギーに合わせてゆくことができるようになること。

すべて意識・心の中の世界です。
なぜなら、そもそも、わたしたち自身の存在はエネルギー体なのですから。
借り物のこの体は、地上世界で学ぶための衣服。
数多く語り尽くされた部分です。

感じようとしなければ、感じることはできません。
感じようとしなければ、その存在に触れることはできません。
この意識にシンクロできる方とともに、新しい世界を築き上げたいと思っています。


この場でご縁のあります多くの皆さまとともに、常に強力な導きのエネルギーを送り続けていただく諸先輩方・高次存在への感謝の言葉を忘れぬように。
ありがとうございます。感謝しています。

弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
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