影に仕事をさせる?

「影に仕事をさせる」とは、光と影の対比によって被写体の形状や濃淡、陰影を語ることを知っていただくため、カルチャー等で私がよく使う言葉。
この日は自分自身が影になった訳だが、確かに「影に仕事をしてもらった」一枚。
天候と時間が味方してくれた。
【tumblr.】
https://tmblr.co/Z1n2Et1KtzaiB
光を感じる眼

その場の雰囲気を残す。
と、こうした言葉をよく使う。
だが、どのようにすれば雰囲気を残すことができるのだろう?
クロスの質感だとか、パイ表面のテカリ具合、といったものは、その場で目前に被写体がある撮影者にとっては容易に感じ取れるものだろう。
しかしながら見る人に対してそれを語るには「その部分が伝わるように見せる」配慮が必要になる。
伝わるように。
ここがポイントで、そのためには光を感じる眼が必要だということがなかなか語られない。
しかし、撮影というアクションが生活の隅々にまで及び、ここまで身近になってくると、撮影の王道を知っておかないことには「奇妙な調味料で奇抜な味付けをした」料理ばかりが世に出回り、結局は麻痺した舌が受け付けなくなる。
これは音楽が身近になるプロセスで起きたような圧縮音源で麻痺した耳と同じ道を辿ることになる。
だから撮影に際しては光を見極める、という本道のスキルを磨きたいわけである。
セッティングされた被写体を、決められた設定で撮る、というトレース体験で「すごーい。たのしい!」を提供するクラスが注目されているが、シチュエーションや設定・条件が変わったときに自らその状況を理解し「伝え・語る」絵を得ることができるだろうか?
そこには、光を感じる自分自身の眼が必要であることを、多くの指導者は語りたがらない。
【Tumblr.】(より大きなサイズの写真を)
https://tmblr.co/Z1n2Et15nbsU0
レタッチだけでは出せない紅葉の色彩感

ちょうど紅葉のシーズン真っ盛り、といった時期ではないだろうか。webには、色鮮やかな風景写真が目に付くようになってきた。
しかしながら、派手すぎるニセモノ感溢れる色彩の写真も増えてきている。
これは、フォトレタッチ段階で「彩度を上げすぎ」ているためだと思われるが、それほどまでに彩度を上げなくてはならない原因はどこにあるか?を考えてみるべきだ。
第一に、もう耳にタコが出来るほど書き続けているように「感覚が麻痺」してしまった人の色彩感。濃い味に舌が麻痺した状態。濃すぎることに気がついていない。
第二に、紅葉と言えど「単なる枯葉」であるため、光の具合をよく考えて撮らなけれは印象的な色彩感を出せない、ということを知らずに「後処理に頼り過ぎ」ている。
今回は、この後者の原因について考えてみる。
「単なる枯葉にしか見えない立ち位置」で撮っているため、美しさを感じる要素が含まれていないオリジナルをレタッチすることになる。
そのため、記憶の中にある「美しい紅葉の色」になんとかしてみたいと、彩度を過剰に上げてしまう。だが、被写体はただの枯葉。派手すぎる色にしたところで、アピール度は高まらない。
ポイントは、光の具合。
現場で良く観察してみると答えが見つかるはずだ。