連写と連射?撮ると取る?

最近メールをいただく機会が増えている。
皆さん面識の無い方ばかり...。
連続して写真を撮影することを「連写」という。
その意味で「連射」という文字を使っている方が大変に多い。
単なる誤変換だと思う。誤変換については自分も笑えないという記事を先日書いている[ Link ]。
だが、この2文字は違和感が大きい。
カメラの連写性能について、「撮れないことには意味がない」「その瞬間を撮る事に価値がある」といった、非常にたくましいコメントが書かれている、その同列に「連射」の文字が出てくると、途端に興ざめ...というか前言の価値が低下してしまうように感じる。
機械の性能は右肩上がりなので、更に連写性能は上がるに違いない。
しかし、機械のスペックを語っている限り「決定的瞬間」は撮れないと思う。
秒10コマなら撮れて、秒8コマなら撮れない? そうした論議は数学の先生に頼んで欲しい。
その動きを予想し、レリーズのタイムラグを体得し、狙って撮る...というテクニックを磨く方が先ではないか?
もちろん連写は否定しないが。
人間は写真を「撮る」のであって「取る」のではない。
なるほど、「連射」以外に「写真を取る」の文字も書いてある。
機械が数多くのコマを撮ってくれた中から、良いと思われるものを「取り出す」作業をするから「取る」なんだな。
彼らにとっては、いずれの文字も誤変換ではなかったのかもしれない。
今日の一枚は、6年前2003年5月の撮影。
EOS10D ボディと50mm f1.4レンズのコンビ。
ISO800 1/8 f2.8 当然手持ち撮影。それぞれのパラメータは意味があってその値になっている。
写真の表現方法は限りなく懐が広い。