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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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HDR方向への流れは歓迎すべきだと思う

photo 宮本章光
「潰して・飛ばして・色を転ばせ」故意に階調データを破壊することで意表を突く、という手法が一気に終息に向かっている。
まさにパラダイムシフトとでもいうべき状態かと。

階調破壊系フィルターの代表選手だったInstagramにおいても、色カブリ/転び系は残るものの、ハイキー・ローキーに振っていながら階調を残したものが増加しているようにみえる。

こうした流れは、HDR系と呼んでみても良いのでは。と思う。
実際にはHDRではないものの、狭いダイナミックレンジの一枚の絵の中に階調を豊富に残している印象である。
何より、
肉眼で見たイメージのように「飛ばず・潰れず」の状態が再現されていることで、第一印象では情報量が多く押し出し感が強い。
「希望色」とは言うが「希望階調」の言葉も欲しい(2018/04/03記事) [ Link ]にも書いたが、
「仮に、人間の目がもっと狭いダイナミックレンジしか認識できなかったならば、明るいところを見れば眩しすぎて目がくらみ、暗いところを見えれば暗すぎて認識できず何も見えない。となり、通常の照度の中でも生命の危険にさらされる。」

このように、日常生活で目にする印象に近いものは、よりリアリティを持って伝えることができる。
映像の世界ではもう何年も前からこの方向で技術革新が重ねられ、今般の4k/8k商用放送開始に際しては、解像度が上がっただけではなく、こうした階調や再現色空間の拡大なども盛り込まれている。

階調に関し「逆噴射」して失われた10年となった写真の世界では、一気に挽回をして欲しいものである。
階調・階調...と叫び続けてはや10年。ようやくまともな流れに戻ってきた。

仮に、Originalの撮影「撮って出し」状態(以下画像)ならば、
左側の樹木の陰からカラスの糞が降ってきそうであったとしても、それを認識できないし、建物の低層階の窓際から、誰かが銃でこちらを狙っていてもそれを認識することもできない。
だから、肉眼ではHDR風に認識できる=生命の危険というリスクを遠ざける。
脳の認識能力の凄さを思い知る。
(上の写真:HDR風に処理したものと、下の写真:撮って出しに近い絵を比較してみて欲しい。)

photo 宮本章光

今度は階調重視の絵が自動的に手に入るように

HDR機能をOnにしたiPhone撮影 photo 宮本章光
先の記事、
【階調を意のままに仕上げる爽快感を】
【階調を意のままに仕上げる爽快感を:2】
で記載したような、肉眼で見た感覚に近いイメージに階調を残す「撮影時点と併せての一連の処理の楽しさ」を知る人がまだまだ少ないのではないだろうか。

何より、階調を故意に破壊し奇妙な色カブリに加工するフィルター遊びがSNSで氾濫したことにより、階調に対する意識が麻痺してしまっているケース(人たち)に遭遇する機会が多かった。

ところが、流れが変わってくると、今度はスマホカメラが「自動的に階調を残したHDR的な絵」を記録するようになってきた。
極端な例では、Google Pixel 3の夜景モード(Night Sight)に見られるような、極端に明暗差が激しい被写体を、より肉眼のイメージに近づける処理を行い、一枚の絵の中に共存させる。
(ちなみに同機は所有していない。webのサンプルを見る限り。)

こうなると、ベクトルは正反対ではあるものの、SNSの階調破壊系フィルターと同様に「自動的に」結果が手に入るので、またまた同じように今度は「階調が豊富な状態」に麻痺してしまうことが予想される。
なぜ、いつも振り子は両極端に振れるのだろう?
ま、だから振り子なんだろうけれども。

過去、カルチャースクールでお話しをさせていただいていた時代、「一眼レフよりiPhoneのほうが綺麗に撮れる!(当時はiPhone4s時代だったかと)」との声が出たことがある。
さまざまな、望ましい結果を得るための加工・調整まで行って保存されるから、スマホカメラの絵が綺麗に感じるのだ、ということを理解できない人たちが少なくなかった。
そして、
その度合いを自らの手で調整する部分に楽しみがあるのですよ。
立ち食い蕎麦でも、七味や薬味を自分の好みで入れられるようになっているでしょ? 自分らしさを加える部分に楽しみがあるのと同じように、道具を操作して結果を導くプロセスが楽しいのです。
という言葉にも不満そうな表情が溢れていたことを思い出す。

AIはこうした部分から既存の常識を破壊して行く。
だが、本来、楽しみというものは、(例えば今回の階調の例ならば)その再現性をどの程度行うのかを、自分の意思で決めるところに存在していたし、今、これからも残り続けるだろう。

たとえ完全無欠な栄養素と味覚を備えた食べ物が自動的に食卓に並んだとしても、自分の手で料理・調理をする楽しみは無くならないのと同じように...。

階調を意のままに仕上げる爽快感を:2

東北新幹線車窓より photo 宮本章光
先の記事「階調を意のままに仕上げる爽快感を」[ Link ]でも書いたが、潰れて見えないであろう部分に近いシャドウ部と、飛んで白抜けしているであろう部分に近いハイライト部を、一枚の絵の中に共存させることで、肉眼で見たイメージに近い階調を作り上げる。
こうした処理を自分の手で行うところに楽しみがある。

尤も、本当に飛んでしまった部分はデータが存在していないので復活はできないし、潰れてしまった部分も階調を復活させるために必要十分なデータが残っていなければ、階調を調整することは難しい。

これらを勘案し、撮影時にはハイライトを飛ばさぬよう意識しながら、同時にシャドウ部分が後から復活できるレベルかどうかにも目配せをする。
このように、後工程と撮影時の意識との両方をセットで考えながら一枚の結果を作り上げる。

当然、元々のダイナミックレンジ以上に拡大することはできないし、派手にバンディングやノイズが浮き出すなどの副作用が表出するケースが多い。
この例でも、仮に業務使用ならば絶対にNGレベルの劣化となっているのだが、肉眼で見たイメージに近い「空の部分が飛ばず、手前の建物の手前側も黒ツブレしない。」状態を、自分の手で再現できるから達成感と爽快感を手に入れることができる。

今、スマホカメラの絵作りがHDR志向へとターンし始めたので、今後、こうした階調に対する関心が高まるであろうことが予想される。

少し前、それは僅か一、二年前ながら「そんな面倒なことなんてやってられねぇ。撮ってフィルター秒速SNS...。」だった。
だが、階調破壊系フィルターが過去になった今、感度の高い人たちは、階調を語る美学を既に意識しはじめている。

階調を意のままに仕上げる爽快感を

日比谷の街角スナップ photo 宮本章光
街歩きの移動途上でも、興味深い被写体に巡り合うことは多い。
あっ、と思ったその時に、ほぅ、と感じたその場所で、シャッターが押せる環境があることに感謝。

そして、
データを故意に破壊する遊びが終焉を迎えた今、階調を意のままにコントロールする後工程の楽しみを、より多くの方々に知って欲しいと願う。
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