前を向いて歩む

季節は常に一方向へ。
もちろん、寒の戻りもあるでしょう。
けれど、大局は常に一方向へと展開してゆきます。
期待を込めて迎えた前回の春。
十分に堪能した前回の夏。
味わい尽くした前回の秋を終え、このたびの冬の期間を通し過ごしてきました。
そして、
続く今年2026年の春本番へ期待を込めて。
振り返るな、とか、
後ろを見るな。だとか。
そんな旧式で陳腐なワードに「こだわって」意識を揺らすことは、もうないでしょう。
すでに、そんな揺らぎは過去のものとなったはずです。
故意にディベート(Debate)し、わざと論議に火をつけ、そこに躍り出てゆく。
そうして自己顕示欲を満たすのは、もはや旧いタイムラインの行為であったこと。
過ぎ去ってから、その意味を知ります。
流れ過ぎてから、その姿を客観視できます。
体験したのなら、学び終えたのなら、
手垢にまみれた教科書や破れるほどに使い込んだ辞書は、その経験を与えてくれたことそのものに感謝を捧げ手放します。
それが、どうでもよい理屈を掲げ論議する姿勢を卒業するということ。
それが、善悪・表裏をともに認め感謝とともに統合するということ。
それこそが「前を向いて歩む」本質ではないでしょうか。
静けさの中に答えがある

静かに、穏やかに。
しかし丁寧に。
静かに、穏やかに。
けれど着実に歩みを進め。
抗わず・抵抗せず。
でも、確実に前を向き。
望む答えは、騒がしいノイズにまみれているかぎり絶対に導かれることはありません。
エネルギーは、触れ・感じ・意識する限り、その周波数に完全に合致するからです。
アタマの中で、ただ見てるだけや、ただ眺めただけやないかい。自分には絶対ブレない自分軸があるんや。何も影響ないんや。ノイズであろうがゴシップ記事を読もうがな!無限スクロールで時間を使おうが人の勝手や!
などというのは、単にまやかしに過ぎません。
意識した時点で「その対象の周波数に合致」してしまいます。
白い色だ。と見てしまった時点で白い色が示す周波数に「自分で合致させ共振してしまっている」ことに氣づくことです。
感情が入ろうが無かろうが、それこそそんなものは関係なく、仮に無意識領域であっても「白」を見た段階で「白」に共振する。そのエネルギーを自分が生み出し拡大しているのだと。
それが仕組みだからです。
ここを本心から理解できたひとが増えているはずだと信じたい。
ここに至らなければ、エネルギーの循環やシンクロ・共振・共鳴の本質には到達できないのです。
よって、
いわゆる「集合無意識(むいしき)」が膨大に積み上げられ、進化と成長が遅れに遅れていることにさえ理解が及ばない、そんな恥ずかしい状態はとっとと卒業したいと切に願うばかり。
確実に進化は進んでいるでしょう。
間違いなく成長と成熟も進んでいるでしょう。
だがしかし、
宇宙のカレンダーで記されたスケジュールと、地球人の歩みの「進捗の差」は縮小できているのでしょうか。
今回もまた大海に沈む大掃除しか残されていないように感じてしまうのはわたしだけでしょうか。
いえ、そう思えばその通りの現実を創ってしまうので、絶対に避けたいところ。
そう思わなければよいだけのこと。ではあります。
静けさの中に答えがある。
一人ひとりの周波数で自分の現実を作れば、何が起きようが集合的無意識がどうなろうが、何ら問題ない。
その原則・その文言を、無限ループの中で繰り返すばかりです。
それ以上を

これまで・ここまで・そこまで。
これまで以上・それ以上。
どこを狙いどこを目指すのか。
いやいやまだまだです、わたしなんて...。と語る限り、自分自身は「まだまだな存在」として自分自身が創り上げてしまいます。
自らを完璧だと認める。
それは、はしたない意識と行動だ、と間違った教育洗脳を受けてきました。
そんな「美徳」そんな「たしなみ」のような意識は、これまでの世では表面上は美しかったかもしれません。
けれど、
その周波数に合わせている限り、自分自身でまだまだな現実を選択してしまうだけです。
そして、選択した周波数が顕現化してゆきます。
これまでの人。
これからの人。
その先の人。
ひとのことはどうでもいい。それは間違いないでしょう。
ただ、地球人の一員として、俯瞰し絶対値としての立ち位置を認識する必要はあるはずです。
それ以上を目指す。
けれど、それは流れに逆らい抵抗することではなくて。
その先を目指す。
けれど、それは合致しない周波数を選択しながら決して響き合わない現実を見て見ぬふりをすることでもなくて。
それ以上。
その先へ。
触れ・感じ・受け取る周波数

漂う風の香を感じ。
風にそよぐ葉音に耳を澄ませ。
響く小鳥の囀りを聴き。
風雪に耐え永年にわたり生き抜く実体に触れ。
葉の隙間から差す穏やかな陽の光を受け取る。
そこには、
生命の尊厳と在り方の模範が示されています。
触れ、感じ、受け取る周波数。
それは、
自らが生み出した周波数と合致するからこそ受け取ることが可能になる周波数。
自ら生み出す周波数が目の前の風景となる大法則を体現してゆきます。