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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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その感覚を刻み込む

飯舘で出会う白樺 photo 宮本章光

忘れることはないでしょう。
その冷ややかな空氣感。
その穏やかな日差しの暖かさを。

しっかりと記憶に刻み込まれています。
しっかりとその感覚を覚えています。

すべてが対で、すべてがペア。
何もかもが対で、何もかもが両輪の仕組み。

それを心に刻み込み。






やっぱアホやねん!と言うてみ

為すがまま photo 宮本章光

言葉がよくないタイトルで釣ったような感覚ですがご容赦のほどを。
失礼申します。

ストレートに。
やっぱアホやねん!と。
企業に就職した段階で、これを求められたわたし自身。
アホ・ボケ・カスと怒鳴られ、歯車のひとつになることが会社員のバイブル、自分らしさなんて一切不要。
趣味?特技?そんなもん要らん!と、叩き込まれました。
昭和から平成、そういう世の中でした。

先輩や上司のやる通り・話す通りに完璧にトレースすること。
先輩社員が「オーサカです」と電話するので、同じように「オーサカです」と出張所にコールすると、「君は誰やねん!新人のオーサカ君か?アンタの名前はオーサカかい?」と、該当所長から返される。
そんな笑い話も懐かしい。(過去ログにあると思われます:どこかで綴った記憶があります)

休みの日は野球せよ。連日、夜は麻雀か酒かで溢れるようにカネを注ぎ込みその世界で溺れよ。
自分の時間など持ってはならん。そもそも必要がない。
そんな人生。

二度の転職後も、業界が異なればこそ、白紙状態の素人からスタートするわけで、ここでもアホボケカス...から取り組みます。
コンサルの先生から、酒席で「どつかれる(ド突かれる)」など当たり前。
世の中すべてがガチガチの時代でした。
いま風に言うのなら、山羊座の時代真っ只中だったということです。

しかしながら、耳タコの「体験したからこそ成長が期待できる」という事実も確かにあります。
これを徹底的にやって、真っ白な冷たいシーツの上に横たわることで、いまが在るとも言えるわけで。


どうしようもなく道が塞がった時。
やっぱアホやねん。だからなるようになるわ。と思える。
体も弱いねん。だから無理したらアカンで。と思える。
42歳時点で、当時のその道を突き進んでいれば、おそらく現在この地に体を持って存在していないだろうことは容易に想像できます。

いま時代は大きく変わろうとしています。
いえ、すでにもう変化しています。
それなのに、旧い教科書たる宗教や貨幣経済など、強烈に両手で握りしめたまま。
ワルものを仕立て上げて、悪よ滅べ。と叫ぶ。
世の裏側にある現実を、まるで鬼の首を取ったように自分の手柄にして、眠り続けるひとに対し早く目を覚ませ!と踊り続ける。

その教科書、もう卒業済みでしょう?
あるいは、宗教洗脳は最後まで解消できないだろうと感じること多々。
ここ、この最後の一線を突破しなければ、体をお返ししたあとは「幽霊=幽界から霊界に昇華できず自ら幽霊に成り下がる成仏できない存在」になり、永遠に現界のひとたちに迷惑をかけるであろうことも。

最後の一線は、よい子ちゃんでは絶対に超えられないのです。
やっぱアホやねん!
そう口にして乗り越える。そんな手法も一生に一度や二度はあるもの。

あぁ、よい子ちゃんとしての小学生時代の生き方も無駄ではありませんでした。
いまになって役に立つのですから。
現在もよい子ちゃんで居続けたいひとたち。さようなら。
カネカネカネで、幸せはカネの追求だと宣うひとたち。さようなら。
そして、これまでの学びをありがとう。

やっぱアホやねん!と言うてみな。
瞬間に世界が開けることもあるはず。






騙されない騙されないと逆にフォーカスしてしまう

大田アプリコで臨む photo 宮本章光

騙されるな。
騙されない、騙されない、騙されない...。
騙されることを「悪」として禁忌しようとする。
騙されるのはよくないこととして避けようとする。

その時点で、意に反し、騙されてしかるべきエネルギーにシンクロし自ら引き寄せてしまいます。
ただし、
そこで蓋をしてしまうのは、見て見ぬ振りすることかもしれません。ここを踏み違えないよう。


どちらもセットで受け取り・受け入れる。
その本質が理解できるようになるまでは、騙され続けます。
いえ、そのあともずっとずっと騙され続けます。
そして、
騙され続けることで成長が叶う、と、むしろ喜ばしく受け取ることができるようになってゆきます。
これが成長であり学びであり精神性の拡大だと。

騙されるには騙されるだけの「未成熟」な自らの存在があること。
未成熟・未熟はよくないものだと刷り込まれた過去の影響も多大でしょう。

---聖書こそ唯一無二の預言の書。間違いない歴史が証明してきていることを知らないのは君の勉強不足だ。
---御書こそ他に存在し得ない真実の書。邪宗に惑わされているようではまだまだ功徳の積み重ねが足りない。
などと、いつまでも洗脳され放題。
その段階でご自身こそが未成熟であることに氣がつきません。
自分はよく学んだから偉い、と思っている時点で大いなる未熟な精神状態。
しかし、未成熟だからこそ体験・経験を通して成長の道を歩みます。


心の中から腐りきってしまった感覚を大掃除するための最後の5年間でした。
もう目に見える荒ゴミはとっくに処分できたことでしょう。
けれど、そこに存在しているだけで勝手にほこりが湧き出します。衣類からも発生しますし外氣からも取り込むでしょう。

物理実体の体も同じく。
そこで息をしているだけで毒を吸い込みます。
ここで生きているだけで毒を取り込みます。
だから、
それを上回る速さで毒を排出してゆけばよいのだと。

毒を体に取り込むなど、けしからん!
ええ、その通りです。
けれど、避けられないのなら、入り込む以上に排出する。それだけ。


だまされるな!未熟な野郎。
と負の力を自ら生み出すのではなく、それ以上に成長してゆけばよいのだと。
それだけ。
こうして、心のつかいこなしを学んでゆきます。
それがこの地での体験、この世での学習教材ですから。






もっとも困難を克服した者だけが最大最高の成長を果たします

翡翠とともに photo 宮本章光

もっとも辛い思いをした者が、
もっとも困難を克服した者だけが、
最高の成長を果たします。


わくわくして救世主を待ちましょう、といつまでも洗脳に捕らわれたまま。
しかし、その姿には、どこにも成長が見られません。
覚醒した!とされる人たちほど、深く深く洗脳されたままであることに氣づいていません。

わたしは、幼稚園児時代に2年間のカトリック環境に身を置いた経験があること、以前にも綴りました。
すでに同教義が、この地における諸悪の根源・悪の枢軸であったことが知られ、自分自身もその2年を終えてからは、なんら接点もどのような信仰心も持ち得ていないことをお断りした上で続けます。

宗教そのものが、臣民をコントロールするための洗脳装置であり、そもそもの聖書として記載された時点での、この地に残された高次元存在から伝えられた数々の事項が、年月とともに宗教という洗脳媒体に利用され改竄され、一部は削除されていることを考慮せずして、聖書を学ぶ姿勢が足りないだとか、読み方が足りないだとか。
その段階で、偽物を掴まされているイタイひとに成り下がっていることを知りましょう。

幸か不幸か、
全地球の3割超え、米国においては7割超えのひとたちがそれを100パーセント信用し切っている限り、わたしたちのその集合意識が「その偽物の書物の通り」に顕現化させてゆきます。
この観点からは、大患難時代は7年間続きキリストの再臨により終末を迎える。と、地球人自体がそれを顕現化させます。
諸説をトレースし俯瞰してみますと、そのタイミングが7年間より前なのか後なのか。など、まさに「言葉あそび」のレベルで、読解力が足りないだとか、果ては信仰心が足りないだとか。
当事者は真顔で論議していますが、傍観者からすれば、同じくイタイひとたちに過ぎない。

(彼らが、まるで水戸黄門の印籠のように差し出す決まり文句。
これまでの歴史上、100パーセント預言の通りになってきた。だからこれこそが間違いのない教えである。と。
それは、
上記のように100パーセント信用し切っているわたしたちの集合意識が、その通りに顕現化させているという仕組みそのものを理解できていない時点で、恥の上塗りを繰り返します。
順序が完全に逆なのです。わたしたち自身が「その通りに現実というこの世に創り上げている」ことを知る必要がありましょう。)


そしていま。
終末とされる機会においても、いつまでも偽物を掴まされ続ける。
それは書物が本物か偽物か、といったそんな生やさしいレベルではなくて。
いくらかでもその書物に触れた方々は容易に理解できるでしょう。反キリストの存在が終末期には大変重要な役回りをすることを知ります。
それは、良い意味ではなく。

いまの世で、反キリストとなる存在は誰が該当するでしょうか。
よく考えることが必要だと感じます。

ええ、僅か4,5年前までは、わたし自身も救世主を心待ちにしたものです。お恥ずかしい限りです。
そこまでの精神性、そこまでの霊性の成長しか成し得ていなかった証明でもあります。
この地で、お借りしている体をお返しするまで、ずっとずっと「騙され続け」そして、そこから学びを得てゆきます。
現状のままでは、大半のひとたちが反キリストを救世主として崇め、誤った道を歩む可能性を感じます。
この国においては、聖書とは関係なく別の視点から「善の仮面を被った悪」という、極めてわかりやすい言葉でも説明されているわけですが。


もっとも辛い思いをした者が、
もっとも困難を克服した者だけが、
最大最高の成長を果たします。
それが仕組み。
だから、いつまでも学び続ける姿勢を忘れないことです。






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