氣づけよ!と叫び続ける人の本心と氣づかない愚

氣づけよ!知れよ!この隠された悪事を。
などと、叫ぶ人が一向に減らないように感じています。
ええ、わたし自身も通ってきました。やってきました。
でも、それをやっている限り自分がそのエネルギーを増幅し続けることを知りました。
目覚めよ日本人!と叫ぶ。
その実、実際はどうなのでしょうか?
その人が叫ぶほどこの国の人は眠り続けていないように思われます。もう肌で感じます。すでに多くの人が目を覚ましているはず。
それが証拠に、この国においては甚大な災害は発生しない段階へ移行したことを感じます。
ネガな話題を追いかける人ばかりではないことも、webの「チャネル」を変更すれば、もっともっとポジティブでこころ温まる波動を維持している人たちが数多く存在していることが理解できます。
結局のところ、
そうやって「日本人よ目覚めよ」と叫ぶ人自身が、眠り続ける日本人を創り上げているんだと判ります。
なるほど、善の仮面を被った悪、とは、その当人が氣がつかない状態で負の波動を強烈に作り続ける「悪」に落ちぶれていることを。
--自分はいいことをやっている。
--自分がやらねば誰もやらない。
--自分がやるからこの国はよくなる。
詰まるところ、
そういった大義名分を掲げて「自己顕示欲」を満たし「自己承認欲求」を放ち続けている存在に成り下がっていると。
なるほど、難しい試験がいつまでも続きます。
さすがに、氣がつかない人が多いのも理解できます。
このところ再び「仕込み」が強くさらに巧妙になってきたように見えます。
「もうこんな世はいらない。もういい、たくさんだ!」
と、考えるのはまだまだ幼い証ですよ。そんなことではこの次元は超えられませんよ。と教える。そんな界隈のビジネスが変わらず盛んな様子です。
わたしはそうは思いません。
もういい、もうたくさんだ。と思うのは自由意思そのものであり、それを偽って「いえ、まだまだです。もっともっと苦しんで成長します。そうしなければなりません。教祖さまありがとう。」
ってな、これ完全に宗教です。
もういいんです。旧い体験は学び終えました。
だから、次に行きます。
ここが大切、ここが抜け落ちているのです。いつもいつも同じです。次がありません。
だから、いつまでも奇妙な宗教のような洗脳エネルギーに引っかかるのではないでしょうか。
薬害も、もういい。
大変申し訳ないのですが、精神性が未熟だったことと当人に必要な学びだったからその過ちをしてしまったのです。だから極めて大切な借り物の体さえも失ってしまったのでしょう。それが学びだったのでしょう。そして次の段階で賢くなるためだったのです。
当然、この地この世においての法を蔑ろにするのではなく、然るべき裁きを受ける必要はあります。ここを否定しているのではありません。
しかし、そのための「悪」の役目は、この学びのために必要な役割を表現してくれたことに感謝こそすれ、滅べ!このヤロー!と吊し上げる対象ではないことを知るフェーズに入っています。
いつまでも奇妙な宗教に浸っている場合ではありません。
苦しむのはもういいんです。
だから、
次には何を思い描きますか。です。
心地よく、穏やかで暖かく触れ合う波動を維持すれば、そうした世が顕現化します。
こころに描くものが、時差を経てこの世に具現化する仕組みを、実際に体現してください。実際に実現してください。
それが、この段階まで生きながらえさせていただいた者が果たす責任ではないでしょうか。
望まないエネルギーを焚き続ける愚を繰り返しませんように。