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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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氣とはエネルギーの波動そのもの・その本質

暖かい日差しの中に photo 宮本章光

穏やかな光、暖かい日差し。
その場、その空間の雰囲気を。


「氣」とは、エネルギーそのもの。
感じられないのは、センサーが機能していない証。

生命・存在ごとに固有の周波数を持ち、その瞬間ごとに変化してゆきます。
人の心も同じ。
但し、同じ周波数でなければ共振できません。よって共鳴もしません。そのシンクロ体験としての悦びもありません。

意図的に「望む周波数へと」チューニングしなければ、希望するラジオ局は聞けないのと同じです。
希望するwebsiteへ行くには、URLを正確に入力しなければ絶対に展開しません。空白ひとつ、アンダーバーひとつ抜けても余計に入っても決して閲覧できません。


望む周波数は、教科書やガイドブックの中から選ぶのではありません。
そのように「口を開けて待っていれば与えられる」感覚から脱することが最初に必要でしょう。

自分で探すのです。自分で、望む周波数を探ります。
その昔、海外短波放送を専用のラジオで探した経験がありませんか。
確かに、ガイドブック的な「この国のこの局は12.115MHz」ですよ、といったような情報はありました。各局が公開していたからです。
けれども、サーチするうちに、とんでもなくローカルな局を見つけることがありました。
わたしは専用の巨大なアンテナを屋根上に上げることはできませんでしたから、あくまでも室内に色々と工夫をする程度でしたが、屋外に20m〜30m規模の傘の骨のような出立ちのアンテナを掲げているお宅では、きっとそうした超ローカルな放送もキャッチなさっていたのだろうと感じていました。

こうした電波。その特定周波数の電波を捉えるには、その周波数にチューニングしなければ絶対に聞くことができません。
何を当たり前なことを...。と感じられたのなら、すでにさまざまな周波数の「氣:エネルギー」を感じ・受け取ることができる方々だと思われます。
他方、
へぇそうかい。そんな目に見えないもの...どうでもええわ。と感じられる人たちは、物質次元・唯物主義のレイヤーから脱する意図をお持ちではないのだなと判ります。


ここに答えがあります。
最初に「頭で考える」。それがクセとして強烈に染み込んでいるのでしょう。
目に見えないもの・コトを最大級のプライオリティを持って感じてみようとする行動が取れるかどうか。

どうでもいい、大したことじゃない...。
そうやって「目に見えないもの・コト」の優先順位を下げるクセを続ける限り、唯物主義を貫き続け、それと異なるタイムラインを選択する意志はありません。と自ら宣言しています。
そりゃ感じられるわけがありません。当然でしょう。

似たような図式が目の前にあります。
この先、眠り続けることを選択した人たち。
それが彼らの選択なのですから覚醒などあり得ない。それが彼らの真実。再教育プログラムを自分で選んでいるのですから彼らの自由。50億年の石ころ人生をどうぞ。です。

この図式と同じでしょうか。いえ、この構造そのものかと。


目に見えないのです。エネルギーの波長は。
でも感じることはできます。
なんとなく...という感覚を感じない人は皆無でしょう。
ですから、その感覚がわずかでも感じられる限り、センサーは死んでいない。

でも、それを活かそうとなさらないわけですから、それもその人の自由。


昔の短波放送の例に置き換えるなら、
ガイドブックを探し回って、どれだけ多くの放送局のリストを手に入れるか。という道を追求する人。
他方、
可能な限り高感度の受信環境を作り、とんでもなく僅少な隙間から知られざるローカル局を自分で時間をかけて探す人。

どちらが正解とは言えません。
ただ、得られる満足感やその達成感には雲泥の差があることは否定できません。


DIYで室内にアンテナもどきを張り巡らせて、地球の裏側の個人局を見つけた喜びを知る人は「強い」はずです。
その巨大なエネルギーとしての悦び・恍惚感のようなものをすくなくとも一度は体験しているから。
芸術に触れることでも、その大きなエネルギーを体験できます。
その感動とその悦びを知ることで、周波数の高揚した状態を知っているからです。


小手先のその道のビジネスや、ニセモノに憑依された人が語るチャネリング情報が正しい(こともあるでしょうが)とは限りません。むしろ大きな誤りかもしれません。
いま風に言うのなら、 SNSインフルエンサーが正しいとは限らない。むしろ仕込みでしょう。言わずもがな。オールドメディア然り。
しかし、
自分の心を、自分から望む波長へと合わせてゆくその先に感じられるエネルギー。
それは絶対に間違いがありません。
なぜなら、
そのエネルギーに、自分から合わせにゆき、そこに合致したというシンクロ体験そのものだから。
そこに単なる共振から共鳴へと変化し、高揚感とともに得られる膨大なエネルギーのシナジー効果が生み出されているからです。


氣とはエネルギーの波動そのもの。
そして、それは特殊な能力などなくても必ず受信できるはずです。そのように能動的に動く限りは。

触覚である手から、触覚では「ない」氣を。
嗅覚である匂いから、嗅覚では「ない」氣を。
聴覚である音から、聴覚では「ない」氣を受け取るのです。
それは、
触れることはできませんが、感じられます。
匂いではありませんが、感じられます。
音ではありませんが、感じられます。

過去、それら感覚は第六感や七感と呼ばれていながら、隷属化の世が激化するうちに特殊能力とされて封印されてしまったのでしょう。
わたしは、
すでに備わっている「五感」の延長線上に、そのセンサーが「目に見えない形で」オプション機能としてアドオンされていると感じています。
感じたくない人は、感じなくていい。自由です。
ですが、この先には必要な能力となることは明らかでしょう。





2025/05/03(Sat) 11:45:08 | photo blog

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