ひとそれぞれの学びの道

ひとそれぞれ。
それぞれのシナリオ。
洗脳が深すぎる人は、その人が選んだカリキュラムに忠実なだけだ、と落ち着く時期を迎えました。
触らない。
それだけ。
いずれ氣がつくでしょう。
あるいは、
今生ではそれを望んでいないのでしょう。
もしくは、
古い過去生の因果解消の意味もあるのかもしれません。
違う脚本を見て騒ぐこと。その意識そのものが過去の旧い教科書でした。
脚本はひとつしかない。真実はひとつだけだ。
という論法自体に意味がなくなりました。
それはその人が生み出したタイムラインだから。
まして、チャネリング的なエネルギーを追いかけ右往左往するなど恥ずかしさの極み。
あるいは宗教に染まりきった頑固な思想、貨幣経済への執着など、もう必要のない過去のエネルギー。
自分の心が指し示す直感や勘が最高の指導者であることを学べばこそ。だから磨きに磨いて磨き上げ環境を整えてきたのです。
これを離れるべきノイズというのではないかと。
これこそが悟りではないのかと。
行き着くはずのゴール地点は永遠に遠いまま、未来永劫辿り着けません。
けれど、小学校から中学に、そして高校へというような節目節目の区切りがあるように、そのタイミングで成長度合いを認識できれば良いのだと。
ひとそれぞれの学び。
自分はどの道を歩むのか。
それだけは外さないよう。
2024/10/27(Sun) 10:29:19 | New Age