質感というエネルギー

画像はそこに捉えられた力をストレートに伝えることができます。
もちろん、さらに強力に映像しかり。
質感。
その単なる言葉・単語の感覚を大きく超えて、その場の空気感まで伝わります。
ここで伝わっているものの正体はエネルギー。
しかも、掲出する側・鑑賞する側、ともに共通認識としてのデータベースを持っていれば、そこに照らし合わせて共通の感覚を共有できます。
ここで学ぶべきことは、
同じ周波数が響き合うという大原則・大法則とともに、自らその周波数のエネルギーを生み出しているという点。
同じ感覚を感じた時点で、その同じ波長の目に見えない力を、目に見えないフィールドに生み出す役目を果たしていることです。
梅干しを見ればすっぱいと感じる。というあの仕組みも同じでしょうか。
共通認識のDBがあるから、その同じ周波数のエネルギーを感じるという思考の段階で、すっぱい味覚を感じているエネルギーが生み出される、となります。
しかしながら、
梅干しの味を知らない乳幼児(乳児が食すことができるかどうかの観点は横に置いておきます)が口にした場合にも、そのすっぱい感覚を極めて強力に感じているはずです。
この事例での共通のDBとは何でしょう?
それは味覚として感じるエネルギーの種類ではないかと思うのです。
すっぱい感覚。それをまだ知らない世代であっても、刺激そのものは感じられるからこそ体験できたのだと。
こうして、新規にDBにアーカイブされることになるのでしょう。
必要な観点は、
DBにあるかどうか。DBに新規登録されたかどうかの視点ではなく、何らかの刺激を受け取りそれを感じることで、自らがエネルギーを生成している点かと思われます。
だからこそ、望まない負のスパイラルに故意に引き込もうとする情報から離れる努力をしてきたはずです。
巻き込まれるな!と語る声。相当大きくなってきました。
巻き込まれない。
ここまで体現できたなら、その次は、望ましい波長を生み出す役目を果たすことかと思われます。
質感という名の触媒を通して、共有できるエネルギーを伝え続けてゆきます。
2024/10/19(Sat) 11:15:52 | New Age