「知識もエネルギー」だと認識する

正しいか間違いか。
その論点。もうどうでもよいわけです。
誤解を恐れず文字にするならば、正しいとされるものは、ほぼすべて「正しくない」。
洗脳のために歴史を捏造し、真実とされる事象(ある観点では真理とされる法則さえも)は、ことごとく間違った内容に書き換えられてきたこと。ここで新たに記す必要はないでしょう。
この地点に到達できていない人たちは、この場での接点・ご縁は皆無でしょうから、こうした但し書きさえも不要かと思います。
ここで学ぶべきは。
知識もエネルギー存在だということ。そして、その感覚と感触を物理実体を持った体で体感すること。
夥しく膨大な量であるこの地この世に蓄積された知識は、わたしたち人間が、意識その集合体として創り上げたもの。
極論すれば、地球上では引力があるから「必ず物体は落下する」という法則さえも、100パーセントの人間が「信じ切っている」からそれが具現化していると語られます。
逆に、
100パーセントの人間が、落下するわけがない、と信じ切っていたら、物は落下しないのだとされます。
ここまで書いて、やはり但し書きが必要かと感じますので一応、以下を加えます。
そんなわけない。必ず物は落下するに決まっている。頭おかしいやろ!これはそんな精神論ではなく物理法則やろ!
そのように心に抱いたとします。そのように感じたとします。
この時点で、100パーセント信じ切っている現実をあなた自身が「さらに強固に顕現化します」。
言い換えますと、
物が落下しないわけがない=必ず落下する。という現実を、更にさらに強力に具現化する役目を果たした。ということになります。
そもそも、この世がヴァーチャルでは「ない」可能性は「100万分の1にさえならない」との語りも有名でしょう。
VRなのですから、物が落下しようがしまいが、もうどうでもいい。
但し書きに字数を充てる余裕はないので結論を急ぎます。
「知識。」
それは隷属化のため・支配のために故意に捏造されてきたこと。ここに至ればこそ「ウソを教えられてきた」「習ったことはみんなデタラメだった」との地点に理解が到達します。
しかし、そのエネルギーに「同期・合致・シンクロ」したならば、その波長を自分が増幅していることを知る必要があります。
間違い・誤りである。
そう思ったとしても、正しいか誤りかはここで必要な論点ではなく、その間違いや誤りとされるエネルギーと「同じ波長」を維持している時点で、自分自身が、その間違いと誤りを、いつまでも増幅し続けます。
だから、
メディアから離れましたでしょう?
だから、
SNSから距離をおいたのではありませんか?
この世は狂っている。あれは間違い、これは騙されている。こちらはウソだ。
そして、
知識こそが真理を導く手立てだと信じ切っている状態こそが、知識そのものの本体であるエネルギーを自分自身で拡大し続けます。
けれど、それとて、もはやどうでもよいわけです。
であるならば、
ウソの知識。騙された事象。これらに対して「懸命にフタをして見えないぞみないぞ合わせないぞ!」と緊張を維持し続け「負のエネルギー増幅装置に成り下がる」のではなく、楽しめば良いのだとの結論に至ります。
これが次のフェーズだったと氣がつきます。
ウソだった、デタラメだった。
そう、そこにあるのは映画ですから。と、語り尽くされてきましたでしょう。
映画を楽しんでみてはいかがですか。と。
ウソだから博物館なんで意味がない。
そうでしょうか。
知識に触れ、そのエネルギー実体そのものの大きさや深さ、よくもまあここまで完璧にウソを作り上げたよね。という感覚を感じてみる。膨大な力、膨大な量のエネルギー。それがわたしたちが過去から創り出した集合体だったのだ、と感じる体験をする。
大きな力を、体感として感じてみる。
すべての人間が、ひとつの方向に意識というエネルギーを束ねると、ここまで現実という名の強力な存在に顕現化できるのだと。
きっと楽しいに違いありません。いえ、わたしはすでにその肌感覚を楽しめるようになってきました。
正しくないから。ウソだったから。
だからもう触れる必要がない。いえ、触れてはなりませんよ。という第一段階で、懸命にその波動から逃げるばかりでした。
けれど、
完全にその階段から上に上がってしまいますと、今度はエンタメとして楽しめる領域で「そのエネルギーに触れる」ことが可能になったのだと感じています。
一人でも多くの方々とともに、この領域で楽しめる世界を創り上げたく思います。
2024/10/17(Thu) 15:13:23 | New Age