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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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視覚的・エネルギー的に視る

エネルギーを視る photo 宮本章光

どうやら「感じる」という感覚は、この国の人たちにとっては苦手なようにみえます。

いかにも物質社会・唯物主義に染まった感覚かと。
見事に、モノだけを崇める社会に麻痺した姿でしょう。
そして、
極め付けは、物質的感覚以外のものを「感じることができない」。
物理的な触覚以外の部分で「感じる」能力を根こそぎ奪われてしまった教育洗脳の完成品とでもいうべき群れ。

あまりに放つと無用のリターンが返るので、ここで終えます。


感じるとは、触覚(しょっかく)ではないように思われます。
感じるとは、むしろ視覚に近い感覚ではないでしょうか(個人的見解:一応但し書きを添えます)。

目で見た感覚は、物理的な感触がありませんでしょう?
目で見た感覚は、美しい・明るい...など、言葉に置き換えることはできても、触覚はありません。
わたしは、この感覚が「感じる」感覚と似ているのでは、と思っています。

完全に腐り切って麻痺した心のセンサーを取り戻すには、
いきなり因数分解のような高度な工程に取り組んでも無理なのだと判ってきました。
特に、あらゆる手段により故意にその能力を根絶するよう導かれているこの国では。
まずは、
足し算とはこんな理屈ですからね。とスタートしなければ、いつまでも腐ったままのセンサーは復活しないのだと。
口にするもの二つ(食べ物と言霊)を劇的に変更しても、まだ取り戻せないのは、それは「取り戻す意志」がない点もあるように見えます。
いきなり因数分解なんてやるつもりないからね〜、と門前払いしているからでしょう。


目で見ると「感じ」ますでしょう?
同じように、
心で「感じて」みる。

視覚と、どのように違うのか?は、目を閉じてその対象を感じてみるだけでいい。
すると、
突然、暖かい不思議な言葉にできない力や、涼しい風が吹き抜けるような感覚を受け取ることがあるはずです。

これが「氣」の正体。
物理学的には、磁場の変化と言えばよいのかもしれませんし、量子場の変位というのが正しいのかもしれません。
とにかく、
フワってる・スピってる、だとかの言葉に絡め、隷属化洗脳に凝り固まったよい子ちゃん意識で、その目に見えないものを否定する姿勢を改めることがまず必要ではないでしょうか。

黙って待ち続けていても何も起きません。
それに、自ら「磨き上げる」努力をしなければ成長は一切叶いません。
ここを、苦しむ必要などもうないんだから努力なんていらねぇ〜!と、その道のビジネス戦略にハマることのありませんように。
あくまでも、まだ物理次元で体をお借りしている立場であることを忘れずに。


数年前、左手と右手で、受け取るエネルギーの向きが反対になっていますよね。という話をしたことがあります。
みかんを食べる(口に運ぶ)手(指)を、左手から食べるのか右手から食べるのか。
この違いによって味が微妙に違いますよね。エネルギーフィールドと循環の方向が異なるからでしょうか。と。

すると、10人中10人が小馬鹿にし「へぇそうかぁ、こんど試してみるわ。」と。
それっきり音沙汰なし。
あぁ、難しすぎる「因数分館レベル」だったのでしょう。
次からは「足し算レベル」から話してみることにしたのでした。

わたしの場合は、
左手が受け取り。と感じることが多いようです。
孫のうちの一人は、右手のようにも見えるので、人それぞれでしょうか。


「氣」は、視覚的・エネルギー的に視ることで、感じられるようになるのではと、今日もここに降りてきた感覚を文字として記します。





2024/07/28(Sun) 11:11:31 | New Age

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