体があるからこそ成し遂げられること

【体があるからこそ成し遂げられること】
しっかりと考えておきたいと思うのです。
人間は、何ごとにおいても「失ってからその価値を知る」悪いクセがあるように見えます。
まさに「たら・れば」の世界。
--あの時にこうしてたら...。
--その時にこうなっていれば...。
後悔先に立たず。
誰でも知る名言ではあります。しかし、その本当の部分をまったく理解していない。と感じます。
この地においては、いずれ使用期限が到来する、この借り物の体。
死んだら終わりや。あと少しやから、もうどうでもええねん。
そんな意識の年配者が多いようにも見えるこの世の中。
ええ、確かにどうでもええわ、人のことやし。ということではあります。
しかし、
はっきりしていること。極めて大切なふたつのこと。
それは、
「死んだら終わり」ではないということ。
そして、
「そのようにいい加減に生きた因果は次の世で償う必要」があること。
この体があるからこそ「こうした文字を綴る」ことができます。
この体をお借りしているからこそ「こうした画像に感じた心を乗せて伝える」ことが可能になります。
当然、体を持たずともエネルギーによるコミュニケーションは可能でしょう。
けれども、そのエネルギーの波長を「受け取れる」だけの精神的成長を果たした人のみへ、「同じ波長のみ」しか伝えることはできません。
こうした種々制限を考えるに、
この体があるうち(お借りできる期限=寿命)に、やっておくことは山のように数多く存在していることに氣がつきます。
メディア(テレビ・新聞)の洗脳から卒業できた人は多いでしょう。
ところが、webやSNSの中毒性にどっぷりとハマり足元を捉えられその自覚さえない人が多数。
さらには、
医療の闇を一切否定し、まるで神のごとく信奉する姿は(他人のこととは言え)痛々しすぎます。
わたしは、父を、そしてあろうことか妹までも、この医療の闇で亡くしているので心底腹立たしい。
食から生活環境から、その仕組まれた枠組みがあまりにも巧妙すぎて、彼ら二人ともその洗脳スパイラルから抜け出せなかったのです。(いま残る身内までも...)
そして自分自身さえ、間一髪のところで体を失ってしまうかもしれない瀬戸際へ追い込んだことも。
自分自身に、いつまでも浄化できない頑固なアカが、この部分に残っていることを常に感じています。
この文字で手放し離れます。
極め付けは、
ある程度の精神世界を学び成長したはずの人たちが、感謝を10個数えれば幸せになる...式の、これまた再びその道の洗脳にハマる。
トドメは、
お金に感謝、幸せを実現するために貨幣資産の増大をするんだ!そのためにお金に感謝を捧げて。
などとやってしまうのです。
支配者層により作られた隷属化のツールにすぎないものを最重要アイテムに祀りあげる巧妙な仕組みに足を掬われてしまう。
何をやろうと人の自由ではあります。
しかし、
この体を貸与されている「期限のある時間内」に、もっと他にやることがありますでしょう?
みんなで幸せになりたいと思いますでしょう。
それならば、もっともっと大切なこと。
心に触れ心で感じる体験を重ねてゆくこと、そしてその積み重ねが望ましい現実として顕現化すること。
体をお返ししたあとには「決してできないこと」を、いまこの瞬間にどうしてやらないのでしょう。
体があるからこそ成し遂げられることに、もっと真剣に取り組みたいものです。
その答えは、個々人の心の中にしか存在していないのです。
戦争反対!と叫び、自分からその負のエネルギーを強力に焚き続け、
世の中狂ってるやろ!おかしいやろ!氣づけや!と踊りまくってさらに負のエネルギーを自分で増大する。
お金に感謝して、と善行のつもりが、故意に仕組まれた隷属化の枠組からいつまでも卒業できないエネルギーを、これまた自分が増幅してしまいます。
「心を起点」にして、物質界に具現化させてゆく仕組みを実地で行い、この地を作り上げてゆくのが、この地に生かせていただいている者の役目ではないでしょうか。
2024/07/18(Thu) 10:53:16 | New Age