コミュニケーションの本質とは

おかしいやろ!
狂ってるやろ!
と、叫んでいても何も良いことは起きません。
元からすべてが捏造された世を体験するため、洗脳された感覚を体験するために、この地の学校で学んでいるのですから。
しかも自分から希望したのです。誰一人として例外なく。
叫び踊り続けるのは、単に「おかしい・狂った世をこれほどまでに知ってるぜ!スゲーやろ!それ見たか!」な自己アピール、自己顕示欲と承認欲求の醜い塊にしかならない、と学んだのなら、もうやめることです。
百害あって一利なし。
コミュニケーションとは、旧いタイムライン上の、文字や言葉で表現する形だけではないこと。
いえ、むしろそれはイレギュラーなスタイルなのであって、心と心の波長を同期させることで相互理解に至る方法こそが標準仕様であったことに理解が届きます。
繰り返し何度も何度もこの場で綴ってきました。
言葉や文字という「物質次元的な感覚の延長線上」では、この先の世においては決してコミュニケーションは叶いません。
感じること。これ一択です。
そのためには、感じるためのセンサーを磨くこと。
磨くためには、口にするもの二つ(言霊と食べ物)を徹底的に入れ替えること。でした。
そして「感じる」ためには、これまた洗脳教育の強固なアカを取り除く必要があります。
冷たい水に触れたら、指先が「冷たい」と無意識に感じるのが「感じる感覚だ」と錯覚していることです。
空腹になれば、腹時計が鳴り「腹減った」と自動的に感じるものだ。と思い込んでいることです。
大切なこと・重要なことは、大きな声で先生が教えてくれる。だとか、メディアが大々的に取り上げるから重要度が高いんだ、と判断するような定規・規範となる考え方を徹底的に捨て去ることが必要です。
コミュニケーションとは、
「感じよう」と意識し、感じたいその先の周波数に合わせる「能動的なアクション」が必須だということ。
そうでなければ、自動的に「冷たい」とも「腹減ったグーグー」などとも絶対に与えられないものなのです。
そうでなければ、欲しい波長も欲しくないノイズも、何もかもごちゃ混ぜで「激しくやかましく耐え難い」エネルギーのるつぼに入ったような感覚になってしまうからです。
(はい、既にちょっと道を選び間違えるとその状態に陥ってしまいます。激しくやかましい、耐えがたくうるさいのです。
それは物理的な「音・音量」が大きいのではなく、エネルギー存在の波動が耐え難くやかましく邪魔なのです。)
もうすぐテレパシーが開眼するぞ!と、語る人が増えました。
良いことには違いありません。
しかし、
その使いこなしは、誰かが大きな声で教えてくれるものではありません。
その語りこそ、浮ついて聞こえます。
あぁその道のビジネスだな、と直感的に伝わるようになりましたでしょう?わかるようになってきましたでしょう?
自分から望む周波数にチューニングするのです。
だからこそ、その波長に合焦するのです。
そうでなければ、テレパシー能力を取り戻したなら、"サトラレ"のごとく、何もかもが筒抜けになってしまいますでしょう。
コミュニケーションの本質とは、
望む周波数同士がシンクロすることにより、その同期テーブルの上でエネルギーの交換が発生している現象であること。
この大いなる物理法則を学ぶ時期を迎えています。
これまでに教えられたウソの教科書など捨ててしまいな。もう不要だから。
いつまで叫びますか。いつまで踊り続けますか。
2024/07/08(Mon) 20:03:16 | New Age