何でも祭りにせず静かに過ごす

お祭りは活気があってよいと思います。
それは、長い歴史が刻まれてきた意義ある催事であったり、地元に密着した謂れのあるものであればこそ。
故意に騒ぎ立てる。
その裏には目的がある。
そんなエネルギーを感じると、一氣に祭りは台無しになります。
元来、昼の長さが最も長い。というその事象について、自然とともに暮らせる有り難さや、森羅万象すべての存在に対する感謝を伝える。
その日、夏至。今年2024年は今日6月21日。
精神世界の重要性とこれからの必要性を語る、とても大切な役目を果たす「はずだった」人たち。
けれど、
そこにはその道のビジネス要素がてんこ盛りで、いつしかこの日が祭りになっているように感じます。冬至もしかり。
大切なことは、
日々、この体をお借りして生かせていただけることへの感謝を忘れないこと。
それは、一年を通しての、さまざまな区切りごとにに認識を新たにする機会でもあること。
この日には〇〇をしなければならない。
だとか、
この日には〇〇を食べなければならない。
といったように、メディアが派手に騒ぎ立てる、だからその波動に乗せられて踊りまくる。
はい、チョコレート、はい、巻き寿司丸かぶり、で、タコに餅に、次は何でしょう。
大正生まれ96歳で他界したわたしの祖母。五十数年以上前の昔の話。
夏至には、きなこ餅を買ってくれた記憶があります。
それは、別にこの日でなくても良いのですが、幼稚園児のわたしに対して食べ物を口にする行動を通して、区切りの日を認識することの大切さを伝えてくれていました。
事あるごとに、何かを伝える。
毎日のように家にやってきては、必ず冷やご飯を温めて、布巾についた米粒一粒一粒に命があることを教えてくれたこと。
そして、冷やご飯を食べずに、手間をかけても必ず温めるその目的は、
最高の状態で食すことができるようにしてからいただくのが、お米に対して・そしてそれを作り上げてくれた農家の人たちに対しての礼儀である、といったようなことまで。
過剰意識かもしれません。
けれど、そこにはすべての存在に対して頭を深く下げる意識を忘れずに。との教えがあったこと。
この日、何を食べるか。
この日、何をしなければならないか。
そんな、メディアやインフルエンサーとされる人たちが騒ぎ立てる「どうでもよいこと」に心を奪われず、この先に望むものを創り出します。
ここにこそ大切な意識があること。
ここにこそ感謝を捧げること。
踊るのは自由。
踊らされるのも自由。
けれど、その先には望ましい未来は作り出せないでしょう。
なぜなら、
踊るように仕向ける支配者層は、隷属化すること以外に目的はないのですから。
ここに激しく違和感を感じる。それが正直な感覚ではないかと。
なんでもかんでも祭りに仕立て上げて騒がず、静かに過ごします。
素晴らしいエネルギーを醸し出す、美しい仲間たちの、そのパワーを受け取ります。
左手をかざしてみてください。
webを・この写真を通して、彼らの極めて強い力・美しい力が伝わるはずです。
2024/06/21(Fri) 11:58:53 | photo blog