この顔をよく覚えておくがいい

何が行われている(いた)のか。
どのような目的で利用されていたのか。
電力を遠方へ送り届ける...などと、寝言をいう人はここでのご縁は無いと思っていますが。
すでによく理解できている方々ばかりだと思われます。
そして、
その昔、この近くで響いていたハム音(ブーンだとかジイーといったような音)は、現在では、まったく聞こえないことまで。
過去、商社勤務時代に大変お世話になったお得意先社長の事例。
同社社屋の真上に、極めて低く送電線が走っていました。
自分の感覚・感性は完全に麻痺していた時期・昭和最後から平成初期の頃です。
それでも、このお得意先に行くと頭痛が激しくなることが多かったこと。あるいは激しく眠くなること。
同社長とアポを取ると、必ずその時間には近場に移動してお茶を交えることが多かったことを思い出します。
この空間から離れることが必要だ、と無意識に感じてらしたからでしょう。
ある程度の収量の内倉(=倉庫)まで備えた自前の社屋を建てるには好条件だったと聞いた覚えがあります。
新社屋完成のお祝いの日、その時にはここに送電線は走っていなかったように記憶しています。これだけ巨大なものが頭上に垂れているわけですから、氣がつかないはずがないのです。
ところが、ある日突然に激しく巨大な鉄塔に挟まれ、送電線が走る風景に変わってしまいました。社員の方の話しによると、ほんの一日二日だったといいます。
確かに鉄塔を建てるには時間がかかるでしょう。この段階では氣がつかないのです。工事を注視して連日観察しているわけではないので。
けれど頭の上に線を渡すのは一晩で十分だと理解できます。
そして、数年後。
脳梗塞。
何度か見舞いに訪れた時の同社長の姿は、身動きひとつできず、白いシーツの上に横たわるだけの人となっていました。
手を握って話しかけると、その手を握り返すことで会話が成り立ちましたが、それも僅か数ヶ月。
経理ご担当の方から届いた訃報とともにこの地を去って行かれました。
息子さんとなる二代目社長から聞いた意味深い言葉。
「医師は何かを知っていたようだ。それも明確に目的があったことまで。」
「あの場所(土地)は実験のために売られていたことさえ聞き及んだ。」等々...。数多くの物的証拠まで。
[ 追記 ]
その後、お得意先担当の変更となりました。
数ヶ月経過後に訪れたその場には、何ごともなかったように送電線は撤去、遠くに鉄塔が残るのみだったことを追記しておきます。
あれから24,25年ほど。
いまにして思えば、なるほど実験だったのだと。
そして、
その人体実験に、ど真ん中で接することができたことに意識が及びます。
何ごとも断定はできません。
ただ、そうした隠された事項を、何でもかんでも無条件に陰謀論だとか否定するクセは、もうやめることです。
その裏には、
自分が信じてきたこと・自分が学んできたことが「根こそぎ崩壊」するのが耐えられず、自分を守りたいだけのエゴであることに氣がついたのなら、いい加減に大人になることです。
それが御靈・身魂相応ということでしょう。
この先に求められるのは、
これだけ悪事が蔓延っていたんだ、この地は!と叫ぶことではなく、望ましい世を望む道を、自らの心から生み出すことであるはずです。
もちろん「この面(つら):顔」をよく覚えておくことは必要でしょう。
その上で、望むものを創り上げるところへ意識をシフトしてゆきます。
それが精神性の向上と拡大。
それが成長。永遠の学びの道。
2024/06/09(Sun) 10:57:38 | photo blog