人が作った価値観に流されるな

潜在意識に刻み込まれてきました。
無意識の中に「勝手に規範を設定」されてきました。
こうでなければならない。
そのようにしなければならない。と。
まさに教育洗脳のもの。
そうやって全体主義へ導くための隷属化の仕組みがまだ続いています。
それをやっている教師・教諭レベルが理解できず学習指導要綱の印籠(いんろう)に盲従するのですから、学ぶ側のこどもたちは「誤った感覚が刷り込まれてしまう」のも無理はありません。
そして、家族単位の最後の砦ででさえ、それが正しいことだと何の疑いものなく「教育という絶対的な看板」のもと盲目的に強制させられる歴史が続いてきたのでした。
正しいのか・正しくないのか。
それは、
この地を支配したい立場からみれば「正しい」。
そうやって一元管理し、言われたことにひたすら従順な金太郎アメのようなヒツジを大量生産できることで、自分たちの目的が果たせるから。
そして、それを指導する立場の人間に至っては「自分は100パーセント絶対正しい」と思い込まされ、そこに何の疑問も抱かない仕組みが構築されてしまっているのですから。
何より、言われた通りに指導するのが「正しい・正義だ」と考える思考回路しか持ち得ていない時点で、これこそが「所謂、善の仮面を被った悪。」に成り下がっていることに氣がつくことは無理でしょう。
やってみて初めて理解できることがあります。
わたしは、この金太郎アメ大量生産のラインに自分から乗っかりました。
小学校時代、テストはほぼ100点以外に縁がない。言われたことには極めて従順に従う。
学級委員、代表委員。放課後は、少々理解がゆっくりめな他の生徒への指導までも。
ご近所や地元の有力者からも、頭なでなで。偉いね!凄いね!しか声をかけられないから、それが正しい「世の中の生き方だ」と誤った道を歩んだのでした。
当然、激しく違和感を感じる瞬間が出てきます。
「二百字練習帳」というものをご存知でしょうか。
漢字(や文字)をひたすら200回書き続けるように、一ページにマス目が200個あるノート。
そうやって繰り返し練習しましょう。という、これまた激しい教育洗脳。
わたしは、
「自分は200回も同じ字を書かなくても覚えられる!」「時間がもったいない!」
と、教職員室の担任の先生へ直訴^^しに行ったのでした。
ところが、「それなら、あなたは特例で100回で2文字や66回で3文字やったらどう?」と指導され、フニャフニャとその言葉に折れてしまった小学校6年生でした。(まだ所詮こどもだったのだなと...。でも生意気な。)
しかし、です。
私立中学校・高校一貫教育6年間の環境へ進学し、そこに広がる無限空間のような自由世界に触れた瞬間に、それまでの6年間が「大いなる過ち」であったことに氣がついたのでした。
やってみないと理解できないことがある。
失敗してみないと分からないことがある。
まさに、その言葉通りでした。
だから、今・この世で失敗をし、大切な借り物の体さえ失って学びを得ている人たちが多数。
体を無くすまでして得られる学びは激しく大きいことでしょう。
無くさないまでも、毒を自分の体に入れて苦しむのは、自分が行った因果です。
この状況を俯瞰して、この状態を客観視できるわたしたちができること、いえ、しなければならないこと、と言い換えても良いかもしれません。
それは、
これほどまでに悪事が蔓延していたんだ!もっともっと多くの人にそれを知らせるんだ!
と、そこに負の燃料を注ぎ続け・その力をいつまでも蔓延させることではないのです。
絶対にやってはならない筆頭項目でしょう。
それが「その負の力を得たい支配者層」の目的であり、思うツボだから。
そしてもう一段、ここで学ぶべきは、
人が作った価値観に踊らされないこと。
そのためには、自らの直感を磨く。
そのためには、口にするもの二つ(食べ物と言葉と)を徹底的に変えること。
もう語り尽くされてきました。
しかし、これからも学びは永遠に続きます。
心の中から、底知れぬ強大な力を用いて望ましい世界を具現化させること。
これが、いまも生きながらえさせていただける、貴重な体を使わせていただける、わたしたちの役目だと感じます。
2024/05/16(Thu) 11:36:37 | New Age