何をどう受け取りますか・初めの第一歩

力強さでしょうか。
暖かさでしょうか。
あるいは、
繊細さかもしれません。
鮮やかさ。
とは、
人の目が認識する「さまざまな色彩感」だけではなく、そこから発せられる「異なる力の種類」でもあることを知りたいものです。
それが、可聴帯域の振動・周波数になったとしたならば、それは「音色の違い・音階や響きの違い」となって伝わるでしょう。
わたしたちは、本来、そうしたエネルギーの波動・波長の「違い・差」を感じる心を備えていました。
それが証拠に、
モノクロ写真から大きなパワーを感じることができるはず。
水墨画に込められた繊細な響きを受け取ることができるでしょう。
何もかも。
すべて画一化・単一化させることで「感覚を麻痺させ」「思考を止めさせ」られてきました。
違うのです。
何もかも。
違いを感じること、すなわちエネルギーの違いを感じること。
違いを感じること、すなわち波長と周波数が異なるという感覚そのものを感じること。
すべては違って当たり前なのに、みんな同じで「お手てつないでみんな一等賞」などと悪平等に飼い慣らされてきた、悪しき教育の縛りから抜け出します。
教育機関従事者が偉いとでも思っているのでしょうか。この大きな時代の転換期に至っても、古い洗脳に冒された思考のまま、子供たちをダメにし尽くす愚かな年寄りが多いのには辟易します。
みんな違う波長なのですから、受け取り方も違っていて当然。
受け取る側もそれぞれ違うのですから、感じ方も違うのが当たり前。
だから、学ぶことができる。
それこそが、この地で体験すべきことでした。
ここにまで至って初めて、それぞれを尊重しその体験をさせていただけたことに感謝を述べ、ようやくそれらを超越してゆきます。
学び体験し成長する前から、世界は一つ・みんな一つ。とやっていては何も学べません。
まして、決まったこと・枠に入れて画一化するのが教育だなどと考える教育者など害悪以外の何ものでもありません。
(と、感じる自分の心さえ、自らの超えるべきハードルだよなと、天から啓示が降りてきます。)
いつまで「VR世界の中でごっご遊び」を続けますか。
違いを感じる。
違いを受け取る。
それが「はじめの第一歩」だと。
2024/04/27(Sat) 21:27:39 | New Age