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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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手を洗え・額を磨け

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狂った洗脳装置の片棒を持つものではありません。初めに但し書きを添えます。

手を洗う。
額を磨く。
それは、
そこから「氣」を受け取るからです。
手のひら、あるいは指先。
そして、額、あるいは頭頂。

氣とは何なのか。
目には見えません。しかしその力を感じることができる人たちが急増しているはずです。
すべての存在は、目に見えようが見えまいが、固有の周波数を持ったエネルギーであること。もう重ねて記す必要はなくなったと思っています。
もちろん、これからそのフェーズに足を踏み入れようとする方々もあるとは思われます。


わずか一、二年前まででも狂った奇妙な風潮がありました。
負の力が拡散するので、これ以上は文字に残すことは控えますが。
そして、
その狂った風潮に対して、こう反論してきたのでした。
「手には常在菌が住んでいる。だから手荒いなど必要ないんだ。」と。

はい、よく理解できています。しっかり認識できています。
けれども、もうそんなビギナーすぎる論説は、とっくの昔に卒業済みです。

わたしが言うのは、ここ。
【常在菌の重要性よりも、手が汚れや穢れに覆われることにより、氣を受け取ることができない。こちらのほうが自分にはリスキーである。】という部分です。

言葉を置き換えます。
【常在菌の役目 <<<( --> もっと重要度が高い-->)<<< 氣を感じ氣を受け取る重要部位が汚れて働かないことの重要性】
そうした微生物の役目は非常に大切なことは知っています。
しかし、
もっともっと重要度が高いと(個人的には)感じる、その瞬間・その場所、にある「目に見えない空気感」とでもいうもの。それが氣だと思われるのですが、汚れや触れた穢れによって覆われることで、その氣をまったく感じられなくなるからです。

別の例えを示します。
下水管が詰まり汚物が湧き出し悪臭を放っている状態。
ゴミ箱のフタに生ゴミの臭気がこびりついて、その臭気のために周囲の空気が汚れている状態。

あえてよろしくない例えを記しました。もうこれ以上は止めます。
そのように、
手が汚れていると極めて重要なセンサーが麻痺して、悪臭に取り憑かれたかのような状態になっている。
という感覚に圧倒されてしまうのです。


その昔には、これを潔癖症だとか過敏症だとかの言葉で呼び、メインストリームではないんだと変人扱いしてきました。
それも、病気として扱い病名を付け、結局は医療と医薬の利権のためだった、という裏事情に通じていることまで理解が及んだはずです。特にこのような感覚的なものは、行き着くところ「精神科」系統に持ってゆき、永遠のネガティヴスパイラルに放り込む。
殺さず生かし続け儲け続ける。カネを生み出す装置に成り下がる。その仕組みは、もはや語る必要はありません。
わたしの父も妹も、その世界の犠牲者となり世を去ったので、自分には許せません。けれども、もういい。手放します。


しっかりと汚れと穢れを流してみると間違いなく「その差」が判ります。
上記のような負の力(臭気が漂ったようなネガな空氣)が、綺麗に取り除かれていることを。
同じように、
額の部分も似たような感覚を感じる、非常に重要部位だと感じます。
いまでこそ、「松果体」がその裏にあるから。と、理解できた人が増えてきましたが、ほんの数年前でも「しょうかたい?何それ。教会で歌う人でしょ?(それ聖歌隊ですが)」などと、真顔で返す人が多かったのです。

今日は触れませんが、肛門についても同様かと感じます。
シャワー洗浄が増えたから大腸癌が増えた。という論法が幅を利かせているようです。
ペーパーだけで済ませると、絵の具をこぼしてしまった机を拭き取ってみてもその色が残り続ける。その現象と同じだと氣がつきます。
会陰部は、この地で使わせていただく体として基本中の基本、ベースチャクラの位置でもあることを知れば、同じようにそこに負の力がこびりつきまとわり付くことで何がどう影響するかは説明の必要もありません。


あくまでも個人的主観にすぎない。と、ここまで書いておいて何ですが、クロージング部分にも但し書きを添えておきます。
ああ、きみはやっぱり変だ。と思うならそれで構いません。人がどう感じようがもはや関係ありません。どうでもいい。
諸説あることは理解していますし、それを否定するものではありません。

わたしは、この2箇所(あるいは3箇所)の部位から、知らず知らずのうちに「氣を受け取っている」ことを、この数年の大混乱によって氣づき理解できたこと。一つの事例としてここに残します。

で、この桜と何が関係あるの?ですが。
夕刻の日差しのエネルギーとそこに揺蕩う姿が醸し出すエネルギーを受け取ります。
受け取るのは、自分のセンサーで。
もちろん、それは心なのです。
が、その前に、物理部位のセンサーは触覚的なストレートな感覚があるので大変判りやすいわけです。まずそこにピピっと信号が響く。それはとても暖かく、多くの場合大変心地よい感覚。
だから、洗い・磨きます。
だから、清め温めます。




2024/04/10(Wed) 14:14:50 | New Age

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