「氣」とはそこに合わせるからこそ感じられる

目に見えないものを信じない。
そんな唯物主義を貫き通し、これまでの物質社会を継続体験したい方には無縁の感覚に違いありません。
氣とは、
目に見えない特定の波長を持った何らかの力。
そこに合わせて行けばこそ、その力に響き合います。
人の話し声など要りません。
周囲10メートル四方に響き渡るような大きな声で、取るに足りないくだらない世間話をする。
それも人それぞれ、自由ではあります。
けれども、
そのノイズが自動的に耳に入ってしまう者も周囲には居る場合があるわけで、もうこうした自己顕示欲の塊のような行動は慎みたいものだ、と感じます。
自分はこんなにすごいだぞ。
自分はこれほどまでに「よい子ちゃん」なんだぞ。
そんなアピールは終えたいもの。
もう沢山です。満腹を通り越して嘔吐してしまいます。
しかし、
そんな波長を自分が選択したから見えてしまう。そういう仕組みを再認識する瞬間でもあります。
自分の周波数が思いっきり低下しているからこそ、そこにシンクロする。
その場を去る以外、その波長から焦点を外す方法はないことを、身を持って感じます。
何のノイズに影響されることなく、一途にその美しさを披露する仲間たち。
美しい存在には、美しいと讃える。
素晴らしい出立ちには、素晴らしいと礼を伝える。
ここにチャネルを切り替えた瞬間に、ノイズから離れる望みが叶います。
氣とは、そこにある特定波長に合わせるからこそ、その力にシンクロし響きあうことをいま一度確認します。
逆に言うのなら、
自ら能動的に合わせない限りは、どんな氣・エネルギーにもシンクロすることがありません。
2024/04/07(Sun) 16:56:48 | New Age