何を見て何を想う

思い抱き描くものが自分の現実となる。
キーワードはこれ一択しかありません。
世の中は自分の写し鏡、というのも同じでしょう。
自分が思い描くものがそのまま投影される。それがこの地、この世の中。
まさに、
一人ひとりの完全オーダーメイドのVR映像を体験していることに理解が到達したはずです。
ここに至らない方々、残念ながらそのレベルへ到達できなかったので「学び直し」と伝えられています。
体という名の「借り物の衣」をお返ししたあとで、その教室へ。と語られている通りでしょう。
さようなら。
さまざまな接点をいただき体験させていただけたことに感謝を伝えます。
しかしながら、
これから学びを重ね成長を続けたい、との意識が僅かでもあるのなら。
それは、ともに新たな世を創り上げる同士であり、暖かく明るい力を送りつづける人たちであると感じます。
この部分をごちゃまぜにして語る事例がまだまだ多いように見受けられます。
この地・この先は、何もかも混ぜこぜにして実験をする場ではなくなったとされます。
その実験は、もう終わったと伝えられている通り。個々人の肌感覚でも理解できるでしょう。
そして、その実験がこの地において、5回も6回も大失敗を繰り返してきたことを観ても判るでしょう。
この先のロードマップでは、
善悪・明暗・表裏を等しく存在させ、それがどのように進化するかを実験するのではなく(何度も大失敗するという結果を得て学べたはず=進化など決して起きず必ず破滅すると)、正の方向に向けた明るく心地よい千年紀の地盤を築き上げ、今度はそのベースの上でどれだけ成長が果たせるかを観るフェーズに入ると伝えられている通りです。
よって、悪平等の極みであった教育洗脳の一つ「お手てつないでみんな一等賞」的な発想が間違いであり、隷属化の道具に過ぎなかったことを知るなら、それをいつまでもキープし、抱き、意識の中に残さないことです。
味噌もクソも同じにしてはならない。と語られている通り。
同じエネルギー同士で棲み分けをし、その中でどれだけ登り続けられるのか。
同じ方向へのエネルギーを束ね、その中でどこまで成長ができるのか。
今度は、このフェーズに入るとされます。
よって、
何を心に抱き、何を描き、どういったエネルギーを目に見えないフィールド(幽界:四次元)に生み出すのか。
そこにしっかりと責任が持てる人だけが、この地でこの先も学習を続けることになりましょうか。
枯れたように葉を落とした街路樹。
寂しく見窄らしい、こんなもの撮ってどうする?と感じるのか。
はたまた、
もう少しで新芽が芽吹き暖かい日差しを浴びるようになる。厳しい冬を耐えたね。寒かったね。あと少しで暖かくなるよ、と期待で心を満たすのか。
見た目だけ・うわべだけ、キラキラ飾り立てSNSウケするような世界に心奪われているのなら、お先真っ暗かもしれません。
本心から感じ本心から響くもの。ここが重要ではないかなと思うのです。
「自分の心に責任を持てる人だけ」
その人たちだけで、この先のこの地を創り上げる。それが約束された千年紀であると。
不用意に、望ましくないエネルギーを作り出してしまっては汚れるだけですから。
映画Matrixの最後にアーキテクトが語ります。
この平和がいつまで続くのか...とのオラクルからの問いに。「わたしを誰だと思っている。人間か?」と。
(ここは相反するプログラムを競合させ補完し進化させるAIの仕組みを示唆しているように思われますが、その観点にはここでは触れずに置きます。)
宇宙の大法則・摂理は、いつでも完全で完璧であることを知ります。
だからこそ、人間レベルで余計なエネルギーを生み出し汚染しない。
それが、自分に責任を持ち行動する。ということだと感じます。
2024/03/20(Wed) 11:28:47 | New Age