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宮本章光/宮本陽の視点「開闢」And EM Official Blog

みやもとあきらのしてん AKIRA MIYAMOTO@And EM

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片側に集中するほど他方も激化する

日暮れを見送る photo 宮本章光

重すぎるテーマはもう満腹でしょう。
しかし、
わたしたちはみな、いつまでも重すぎる課題を自分から増やすばかりです。
そして「もう持てない!もうやめてくれ!」と叫び続ける。
自分から「"苦"というタグがついた」荷物を増やすばかりのベクトルを真逆にして楽になればよいだけのことなのですが。


平和を祈る。
そういったエネルギーを抱けば抱くほど、その対極の負の事象が増大し続けます。

幼稚園児の時代に、シーソーで遊んだことがありますでしょう。
片側が重いので、反対側に誰か一人が座ってみます。
すると今度は反対側が沈んでしまいます。
仕方ないので、またこちら側に一人座ります...。

シーソーの場合は、物理的に座ることができるスペースが限られているので、無限に人を追加することはできません。しかし稀に、体重の重い軽いの差が大きな児童によって「バランスが取れる瞬間」があったりします。
あるいは、
後に座る場所がないために、中心(支点)に近い場所に座ったりしますと、またまたバランスが取れたりするのです。
その微妙な動き・発生するバランスを楽しんだ幼稚園時代でした。

この「たまたま」の出来事に頼っている限り、そこから学ぶ進化・進歩の速度は極めて遅いだろうと思われます。
ここは、シーソーバランスの仕組みを論理的に教えてもらえる大人の存在があれば、一氣にバランスが取れるのかもしれません。
ところが、
その「原理原則たるタネ明かし的な教え」をいきなり受け取ると、シーソー遊びから学ぶプロセスが省略されてしまいます。


わたしたちは「自分で経験し自分で味わってはじめて」すべてを学ぶのだと言われます。
バランスを取ること。それは目的のように見えて、実は「教科書や教材の最後に綴じてある解答編」にしか過ぎなかったこと。
ここを知ることです。

だまって人目を盗んで、解答を書き写す。
結果は100点満点。そりゃそうでしょう。答えを丸写ししたのですから。
けれど、
ひねりを加えた別の問題に当たると、答えを導くプロセスが分かりません。今度は0点です。
いま、多くの人たちがこのワナにはまっているように見えます。
言葉づらだけでは、愛だ光だ、ワンネスだ無こそ悟りだ。と騒ぎ立て踊ります。けれど0点。

それなら、キミは理解して行動してるんかい!
と、立腹するなら、今度はマイナス1000点。そういう仕組み。
御霊(身霊)相応とはこういうことなのだと思い知ります。すべてはお見通し、取り繕いや化けの皮は瞬時に剥がれ落ちます。
先人は、これを「お天道様はいつも見ている」と言葉に込めたものです。


いま、この大転換機で大切なこと。
それは、
「正しいとされる答を丸写しする」ことではないはずです。
100点満点、えらいね。すごいね。とアタマ撫で撫でしてもらうことではないでしょう。
答えを導くための経験をすることだと思うのです。
それなのに「答はああだこうだ」と、うわべの事柄だけに一喜一憂し、教え導く言葉が備える本来の意味さえも取り違えて騒ぎ踊り続けます。

この地のエネルギーは必ず「対(つい)」でしか存在できないのですから、片側(それは、平和だけを祈り争いよ消えろ!と叫ぶ行為にみられるような。)に偏った思いを描く限り、その反対側も永遠に増大し続けるのです。
だからこそ、
「なぜそうしたエネルギーが生まれるのか」
「心に描くものが現実として生じてくる仕組み」
これらを知り、いつまでも旧い発想に浸って悦に入る、そんなぬるま湯から飛び出すことです。
これこそが「成長」であり「進歩」であり、無限に拡大する進化の道筋だと。
わたしは、これを「自分の心の手綱(たずな)をコントロールする」ことだと、繰り返し記してきました。

そのためには、
モノだけ至上の世から卒業し、心を満たす・精神性の世界を充実させる。
ここにポイントがあるように感じます。

そして、これほどまでに美しい大自然のエネルギーから受け取るものがあるはずです。
日々一枚の画像に「感じる力」を込めて。
今日もありがとうございます。



2024/02/04(Sun) 12:23:21 | New Age

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