その先に道がないのなら

廃線跡を訪ねてみますと。
そこで「行き止まり」になります。
ここを貨物が走る姿を実際にこの目で見ていた時期があります。
けれど、なくなってみますと、意識の中から消滅してゆきます。
人は、その存在が無くなってから懐かしみます。
それだけにとどまらず、
人は、その場所が意識から消えてから残念がり、そして消えたことに固執し執着し続けます。
そこで稼働する瞬間を、この目に焼き付けておこう。
そうすれば、知らぬ間に消えていた!と、あとから騒ぐこともないでしょうし、巷を騒がせるマナー問題も発生しない(あるいは大きくならない)であろうと感じます。
「いま」を精一杯生きる。
この瞬間を大切にする。
そういった意識を取り戻す機会ではないかと感じます。
そして、
これから先に創り上げる世は。
その先に道がないのであれば、創り出せばいい。
ただし、
それは、鶴嘴(ツルハシ・つるはし)を振り上げて大地を掘り起こすのではなく。
それは、心に抱き描く無限ともされる膨大な力によって具現化してゆきます。
もう、精神性という車の両輪の片方だけを、物理次元と「切り離して語る」ことはできないフェーズに突入しています。
心が創り出すなとどいうのは「妄想」にしか過ぎない。
そのように故意に刷り込まれていたこと自体が「妄想」でした。
心に描く力が生み出した目に見えない波動は、それと響き合う同じ周波数と出会った瞬間にシンクロし、合一された強力なエネルギーとして具現化してゆくのです。
同じ周波数は響き合う。
それは、この物質次元においては「単なる物理法則」に過ぎないかもしれません。しかし、それはレイヤーを跨いだ普遍的な「偉大なる摂理」であることを知る機会を迎えています。
わたしたちは、その無限の力をつかいこなす必要がある、と理解する時間になったのです。
何を浮ついた話しを。何をフワっているんだ...。
と、蔑む人とは、もう決してシンクロしなくなりました。彼らは、この先、この地で生きながらえることさえ叶いません。
いまだにそう仰るのならば、
この年の台風発生数と上陸数がどうだったか、物質次元における客観数値としての統計を見るがいい。
わたしたちの心が作り出す途方もなく巨大な力は、ある閾値(しきいち)を超えた瞬間に、必ずこの物理次元に具現化・顕現化するのですから。
その先に道がないのなら。
ならば、
自らの心により創り上げようではないですか。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
2023/12/25(Mon) 20:20:30 | New Age