五感以外のセンサーを磨く

--神々しい!
--龍神さまが現れた!
こういった写真が撮れると、騒ぎ・踊る事例。極端に増えてきました。
一応、写真や映像を業務として扱う立場から、初めに但し書きを並べます。
・太陽の位置を考えて撮れば、ほぼ100パーセントに近い確率で撮れます。
・太陽の向きと構図次第では、ほぼ100パーセントに近い確率で現れます。
夢を潰す意図はありませんが、業務撮影者としては「こうした結果にならないよう」配慮する必要がある場合も多いのです。
むしろ「邪魔者」。
そして、そうなりにくい特性を持ったレンズを、メーカーも技術革新を重ね開発してきました。
はい、但し書きを終わります。
精神性を磨き、心の世界を拡大するに従って、冒頭のような印象の感覚を持つこと。
それは非常に大切だと感じます。
わたし自身が、この場で、何度も何度も綴り続けているのがその証拠です。
ここで一氣に意識と思考を転換してみます。
物理事象としては、シチュエーション次第で「ほぼ必ず発生する現象」にも関わらず、それを精神面のエレメントで感じられるのは、そこに「何かの力」があったのかもしれません。
あるいは、
「何らかの導き」があったとも考えられます。
こうした発想は、支配者層による一般臣民隷属化の施策により、ことごとくスポイルされ、その心のセンサーが壊滅してしまった現状を考慮するならば、極めて重要な「感覚」を取り戻しつつある、その顕現化でもあると思われることです。
言葉を変えてみます。
「単なる物理事象」それは、シチュエーション・条件次第で必ず起きる現象でありながら、これまでに「ほとんど体験してこなかった」かもしれない。ということ。
いえ、
太陽に向かって撮るという行動が増えただけかもしれません。
しかしながら、
それなら「太陽に向かって撮るという行為」が、なぜ増えてきたのでしょう?
それなら「太陽に向かって撮るという行為」は、どうして多くの人たちが同じように行うようになったのでしょう?
SNSで、人目(ひとめ)を引きたいから?というのもあるでしょう。
まだまだ自己顕示欲と自己承認欲求の塊として固着した心・魂が多いようですから。
もう一段、発想を展開してみます。
わたしは、こうした事象が発生することは百も承知の立場です。
ところが、
この場・この時には、意識から完全に外れていました。そして、その被写体をよくご覧になってみてください。
「太平洋戦争当時...」との表記があります。
ここに、何らかの必然性があり、この結果が導かれたのだと。
そして、
単に、物理現象として「五感で感じられるもの以外」の何らかの力が作用してこの一枚が記録されたと。
そしてその思考展開はここに帰着します。
五感以外の「何か」は、現時点のわたしたちには感じられないものかもしれません。
けれども、
その力は必然的に作用し、五感で感じられるものにまで「表出」してくることを。
だからこそ、それをただ待っているだけではなく、自ら「そのセンサーを磨いて」行きたいと思うのです。
そのセンサーは、手でも耳でも目でも肌でも舌でもなく、「心」であることを。
わたしたちの存在は、物質エレメントの体と、精神性エレメントの心と。
ともに両輪として備えた「エネルギー体:魂」であるからこそ、その抜け落ちてしまった片方の感性を取り戻す必要があるはずです。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
2023/12/17(Sun) 11:37:23 | New Age