燃え尽きる前に切り離す

燃え尽きるまで仕事をし続ける。
燃え尽きるまで努力し続ける。
それが美徳とされた時代がありました。
冷たい板の上に伏すのが勲章とされた経験も味わってきました。
でも、もう昔の話。
現在は、タイムラインを乗り換えたはず。
すでに異なるレイヤーに生きているはずです。
自己顕示欲の塊のような、これだけやってんだぞ!アピールは、何の役にも立たないでしょう。
そこに無理がかかり、望ましい展開を生み出す波動が一切存在していない限りは。
努力が必要なタイミングはあるでしょう。
ここぞ!といった、ここ一番の機会には、踏ん張って飛び上がる必要もあるでしょう。
そこに望ましい展開があり、望ましい近未来を描いている限りは。
燃え尽きる前に、その負の力で固まった巨大な錘(おもり)を切り離してみます。
燃え尽きる前に、その激しく大きなうねりの波長から離れます。
体の一部であった「葉」を「落ち葉」として切り離す樹々のように。
一切の「葉」を落とした枝は、まるで生命を失ったかのごとく見えるかもしれません。
しかし、
だからこそ、その無の枝には新たな芽と葉と花を生み出すことが可能になります。
いつも植物から学ぶことばかり。
常に大いなる教科書であり、大切な仲間として、ここに感謝を捧げます。
この国の先人が決して忘れることのなかった、森羅万象への感謝の心を。

わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄ましませ。
弥栄ましませ弥栄ましませ。
2023/12/11(Mon) 20:34:02 | New Age