必然を受け入れる

必然。
その現実を創り出したのは、
その結果を生み出したのは、偶然ではなく必然だと。
諸説あろうかと思われます。
その中で、ひとつ大きく頷くことがあります。
今世・今生は「過去に溜め込んだ因果の解消」の目的で生きている。
という論説。
激しく同意せざるを得ません。
人間、マイナスポイントの方が多いはずなのです。
といいますか、前世までに「プラスのポイ活」ができていたならば、今世この地で「再教育」を受ける必要がないわけで、そもそもここに存在していないでしょう。
苦しみ。逃げ出したい・耐え難い苦。
それが「なぜ生じているか」を考えるならば、その体験をするための必然があるからこそ。
その瞬間、その「苦のタイムライン」に自分が同化している時点では、決して氣づくことがないと思われます。苦しみの中で、そこから逃れたい一心で。
そして、心に余裕が一切存在しないために、意識がそれ以上に及びません。
満足に睡眠もできず、食べ物も口にできずの日々を重ねると、どういう結果がもたらされたのかを、この体でトレースした故、ここに記しています。
初めに戻ります。
学び直しをするため、過去のマイナス点を挽回するために、生かしていただいている、という意識。
それなのに、
現状に不満を重ね続け、裕福になろう…、幸せになろう…?
すでに、
十分に恵まれていますでしょう。十分に幸せでしょう。
すでに、
ここに、立派な体をお借りして存在できることこそ幸福そのものでしょう。
感謝してもしきれないほど恵まれていますでしょう。
数十年間、無意識に呼吸ができ生かせていただける時点で、もはや奇跡でしょう。
だからこそ、必要なことは、
ここで起きてくるすべてに感謝を捧げ、尊重し、それを受け止め・受け入れる。
体験できること、経験させていただけること。
自分は、これが必要だったからこそ巡ってきたのだと。
不足や不満にフォーカスし、そこから逃れることや、不足しているものを引き寄せようとすることよりも、過去に溜め込んだ(であろう)マイナス点の挽回こそが、この今の存在の時点で必要とされていることに。
この今の体験こそが貴重で重要であることに。
そのために、心からの感謝が生まれ、滲み出る。
そういった展開だと感じるのです。
よって、その論説ではこのように締めくくります。
引き寄せよりも過去因果の解消こそが優先される。
過去因果が解消されない限り、いくら引き寄せようとしても実現せず、むしろ古い
意識状態に輪をかけて自分が増幅し、自分自身がそれを選択しその道を歩み続ける。
過去因果の解消のために最優先されるものは本心からの感謝の心。と。
必然を受け入れ感謝を忘れず。
いま最も大切な感覚ではないかなと感じています。
わたしが感じた心、
「その一枚の中に込めた心」を受け止めていただける方々と、肩を張らず、ともに心から響き合える感動を共有してゆきたいと思っています。
それが、望ましい未来を創り上げる方法だと思うからです。
数を追い、人と比べる必要性。
それらを捨てたときに、初めて見えてくる風景を。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/08/09(Wed) 20:20:37 | New Age