身近にあるアートに触れて感じるもの

小鳥のさえずりに耳を傾けます。
風のささやきに耳を澄ませます。
そして、
色とりどりの草花・木々のいで立ちに心を合わせてゆきます。
その感覚を維持したまま路地裏に入りますと、こんなところにもアートがあることに氣がつきます。
急ぎ足で通り過ぎれば、恐らく記憶に残ることはないでしょう。
自然や周囲の心地よさを感じる感覚を持たず、スマホ画面を覗き込んでいれば、意識のテーブルに乗ってくることは、まずあり得ないでしょう。
どうして、こんなところ(失礼な意味はなく)に、この作品が?
どうして、こんなところに、この色彩感が?
そう長い年月が経っていないであろうと思われる、数段のコンクリートの階段に、わずかに寒色系(青色氣味に)に振った車止めの半ループ。
ともに並ぶ、シルバーの手すり。
そこに、同じ寒色系に統一感を持たせ、路面一面に散りばめられたこのモザイク。
大きなものではありません。
構成されるパーツそれぞれ、材質も異なるように見えます。
立地的に私道であろうと思われ、近隣にお住まいの方の作品なのかもしれません。
心地よい風に誘われ、小鳥のさえずりに耳を傾ける。
その「自分自身の心の状態」が、こうした環境に引き合わせてくれるのだと。
感じる。とは、
「〇〇でなければならない…」だとか
「XXではダメなんだ…」といったような、両肩に思いっきり力を入れて、張り詰めた意識状態に追い込んだ、そんな感覚とは無縁の世界に存在するのではないかな?
と思われるのです。
ゆっくりと。
そして、ゆったりと。
切れそうなほどに偏って高まったテンションが、心の中から、すっと解放される感覚を楽しみます。
そこにあるアートに彩りを添える、そよ風と小鳥たちのささやきにハートを合わせながら。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/07/09(Sun) 20:07:05 | New Age