川を眺めるのは別の理由もあったりします

川床のイメージが続いていますが、夏の印象ということで。
今日、この川を橋の上から眺めていましたら。
年配のご婦人お二人が、怪訝な顔つきで、わたしの顔を覗き込まれました。
ここから飛び降りる、とでも思われたのでしょうか?
目が合った瞬間に、サッと去って行かれましたが。
あるいは、川を流れる水を眺めるなんて、なんと風流な。
と思われるかもしれません。
その昔のこと。
星を眺めて「天体写真」を撮っています。と言おうものなら、瞬間湯沸かし器のように「まぁ高尚なご趣味ですこと。おほほ…。」と、高いところから笑い飛ばされた経験があるので免疫はできています。
でも、川を眺めるのは別の理由もあるのです。
川の水音は「耳の老化」チェックの目的。これが自分にとっては大きな要素であったりします。
一般論的には、同年齢・同年代では10kHzあたりさえ聞こえないとされています。
けれども、体調が良い時には16から18kHz程度まで認識できることも多いのです。
業務上、楽器の音(倍音成分:2次倍音・3次倍音等々)のキャラクターを決定する「色」を感じることが難しいと、現在のこの仕事ができません。
もちろん、色とは例えであり、音を視覚的な「色」と比喩表現しています。
(わかる人にはわかる、と思われます。)
水音のキャラクターの「色」を感じるために、川を眺める。
いえ、正確には「聴く」でしょうか。
そんな場面に出くわした人たちは、なんて奇妙な奴なんだ、と思うのでしょう。
いつもこの場に綴っていますような話題、それは、心に通じる世界の感覚的で、ともすれば「浮ついて・フワって・得体の知れない」とさえ揶揄される話題。
それとは別の、
音域や音の周波数、そこにリンクする音とそのキャラクターを色に例えた感覚と。
そして、楽器と演奏と演奏家と。
論理的思考と、物理的要素と、感覚と、感性と。
それに、
光の具合や、色そのものズバリの写真的感覚も。
すべてがミックスされ、そして右脳も左脳もフルに稼働していることを、常に感じています。
それは、42歳時点の重大な分岐点で選択した「道」に誤りがなかった証明でもあります。そして、49歳からの体質改善と56歳以降の食生活の大転換と。
おかげさまで、年齢を重ねるほどに健康・元氣になる一方です。
やはり、
口にするもの、その大元「言葉」と「食べ物」、その両輪がモノを言います。
おばあちゃんの知恵袋は、50年以上経ってから役に立ちます。
【「おばあちゃんの知恵袋」〜先人の知恵を今日に活かす】[Link]
川を眺めてみませんか。
もちろん、緩やかに心を落ち着けるためでありなら、その一方で、極めて物理次元的な、そして論理的な世界における「センサー」も同時に磨くというスタイル。
歳をとった…と唱えるヒマはないようです。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
ありがとうございます。感謝申し上げます。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/07/07(Fri) 21:32:11 | New Age