その氣になれば

「稼ぎは仕事についてくる。」
そのように語られてきました。
いま、この言葉が正しいのかどうか。
それを検証する意味・意義そのものが消滅しつつあるように思われます。
わたし自身、初めての転職時には、この言葉を伝えられました。
ですが、その言葉は正確ではありませんでした。
客先によっては、前年比300パーセント超の実績を積み上げたにも関わらず。
です。
客観事象として、歩合制ならまだしも、オーナー企業では必ずしもその結果が比例関係となるかどうかは、まったくもって不透明だ(さじ加減でどのようにも…されてしまう)。と、感じた経験でした。
もうひと昔前の出来事です。
そして時は流れ、わたしたちは現在、この大転換期を過ごしています。
がむしゃらに動き回れ・走り回れ。そうすれば結果は出てくるものだ!それが美徳だ!などと発言する人はもう絶滅危惧種レベルでしょう。
そして、ついに意識は覚醒し、いまここまで到達したのです。
「自らの心が自分の現実を創り出す」と。
ところが、これ、ひと昔前の語りと似通っていませんか。
--- その氣になれば、結果はどのようにもなる。
--- その氣になれば、数字はいくらでも積み上げられる。
あれっ、と感じてしまいました。
その氣になる。
自分でモチベーションを高みに持ち上げる。
まさに、自分の氣持ちが自分の結果を創っていたこと。昔からそうだったのではないのかな、と。
唯一の違いは、
-- 苦労しなければならない。
-- 苦しまなければ結果は出ない。
そのように前提を作り、自分から制限をかけていた点でしょうか。
あるいは、そのように思い込んでいただけかもしれません。
そして現在。
この思い込みさえも自分が創り出していた。と理解できるところにまで到着しました。
すべては経験をするために、学びを得るために通ってきた道でした。
その氣になれば、何でもできる。
ええ、もちろん、現時点での物質次元における物理法則を無視した展開は不可能ですけれど。トラックと相撲をとっても生きて帰れない例えです。
その氣になれば、自分から創り出すことができる。
ここに加えて、
その氣になっても、自分から至るところに制限をかけてしまうクセからも卒業する必要がある。
走り回らなければ絶対に答えが出せない…という意識の制限も然り。
ここまで到達して初めて、
「その氣になれば何でも創り出せる」のだと。
そして、
力を入れず、視点を固着せず、川の流れに身を任せるように自然に過ごす。と。
生きるために、種をつないでゆくために、絶壁のコンクリート護岸の隙間にも花を咲かせる植物たち。
「その氣になっているかどうか」は不明ながら、その氣になれば何でもできる。
と、心に逞しい力が満たされる瞬間でした。
素晴らしい仕組みを知り得たことに感謝申し上げます。
ありがとうございます。
わたしたちは一人残らず、
みな恵まれています。
満ち足りています。
弥栄(やさか)ましませ。
弥栄(いやさか)ましませ弥栄(いやさか)ましませ。
2023/06/16(Fri) 20:15:10 | New Age